第34話

「ブリ蔵、築地に行こう」

 マンハッタンに紅葉の季節が訪れた頃、ボッカが誘って来た。ボッカが俺をクラブに誘うなんて初めてのことだ。どんな心境の変化だろう。

「誰かお目当ての娘(こ)でもいるのか?」

「まあな。どこかの記者会見じゃあるまいし、質問タイムは省略だ。さっさと行こうぜ」

何処となく照れくさそうだ。

 週末のせいか、築地は賑わっていた。ボッカがそわそわしながら、ひとつの方向ばかり見ている。

「おい、ボッカ。誰を待っているんだ」

「あそこにいる華子だよ」

「ああ、あの娘か。お前が人間になって初めてクラブ・ダンサに行った時、席についた娘だな」

「あの頃、俺は本当にうぶだったな」

 当時を思い出すような表情を浮かべながら、ボッカは水割りをなめた。

「お前、ひょっとして彼女と付き合ってるんじゃ・・・・・・」

 華子が席の客にあいさつして、俺たちの席にやって来た。

「まあ、五木田さん。お久しぶりです。どうしてらしたんですか。吾郎さんもいらっしゃい」

 吾郎の隣に座った華子はずいぶんと大人びて見えた。

「華子もすっかりこの店に定着したな」

「ええ、おかげさまで。五木田さんはダンサに行かれてるんですか?」

「忙しかったので、ずいぶんご無沙汰している」

「五木田さんはテネシーウィスキー、ジェントルマン・ジャックでしたね」

「よく覚えているなあ。さすが水商売」

「吾郎さんはいつものね?」

「ああ、頼む」

「華子さん、吾郎はよく来てるのかい?」

「そうですね。最近は、ほぼ毎日かな」

 二人が微笑み合っているのを感じた。

「華子さんがお目当てだというのはホント?」

「ご想像にお任せします」

 華子は吾郎を見つめながら楽しそうに笑った。

「図星のようだな。吾郎、なかなかやるじゃん」

「五木田、よしてくれよ。恥ずかしいじゃないか!」

「何を恥ずかしがってんだよ。さあ二人に乾杯だ。乾杯!」

「直木も最近よくここに来ていたらしいな」

 空気が一瞬変わった。

「直木さん殺されたんですって? ニューヨークはやっぱりそんなことあるのね。怖い!」

 華子が吾郎に抱きつくような素振りを見せた。吾郎は華子のウェストにそっと手を回して、身体をくっつけるようにした。

「直木は最近誰と酒を飲んでいた?」

 俺が訊ねた。

「高村さんが多かったです。あの人、ダンサの出入り禁止がずっと解けなかったから、代わりにうちに来るようになったのよ、きっと」

「高村は最近どんな様子だった?」

「どんなって、別にいつも通りでした。変わりはありませんでしたよ」

「誰かと喧嘩をおっぱじめるようなことは?」

「何度かあったみたいですけど、ママが間に入って止めていたから」

「やっぱりあいつの悪い酒癖は最後まで治らなかったんだなあ。さあ、気分を変えてカラオケでも歌おうか」

 俺はマイクを握った。吾郎と華子のことは、やはり感が当たっていた。吾郎も人間社会にやっと慣れて、独身のままでは淋しかったのだろう。華子はまじめな娘だし、連れ合いにしても申し分ない。いい奥さんになるだろう。

吾郎を連れて店を替え、久しぶりに日系のスナックを覗いた。高村が通っていた阪神タイガースの半被(はっぴ)を着たママがいる店だ。

「まあ、五木田さん、珍しい!」

客は誰もいなかった。

「閉めるところだったんじゃないのかい?」

「いえいえ、さあどうぞお掛けになって」

 ママがBGMをつけた。

「高村さんが殺されるなんてね。あんな酒癖の悪い人でも、もう二度と来ないと思うとホント淋しいわ。さあ、五木田さん、何にする?」

 ちょっと考えた。

「やっぱりジェントルマン・ジャックの水割りをもらおう。紹介する。こいつは同僚の滝吾郎だ。シンガポールから赴任して来た」

「初めまして。何にしますか」

「同じものをいただきます」

ママが酒を準備している間に、俺はストレートに訊ねた。

「華子と一緒になるつもりなのか」

「そうだ。僕ら結婚することにしたんだ」

「そうか、いつの間にかそんな仲になってたんだなあ。気付かなかったけど」

 水割りが出て来た。

「さあ、もう一度乾杯しよう。乾杯!」二人でグラスを合わせた。

「ハネムーンには出かけるのか」

「ああ、サンタモニカの海岸で一週間ほど過ごしてから、ルート66沿いにアリゾナに出て、もしも華子が行ってもいいと言ったら、ナバホ居留地の砂漠地帯まで行こうかと」

「直木と対決したあの砂漠か。地下水が豊富な地域に水生昆虫の王国が再建されたんだってな。帝国から祝電が打たれたらしい」

 吾郎すなわちボッカはあの砂漠の作戦がとっても印象に残っているようだ。お店のママがお通しを作るため台所に引っ込んでいるのを確認してから俺の耳元で囁いた。

「あの時は砂漠にあったツインと太平洋の帝国本体が発見されないかと大騒ぎだったな。俺たちはこれからも水生昆虫とスクラム組んで共闘していかないとな。その決心を固めるためにも、あの砂漠地帯にもう一度行ってみたいんだ。今度は華子と一緒に」

 俺は吾郎が帝国諜報部のエージェントとして輝き始めているのを感じていた。

「華子は築地を辞めるのか」

「子どもが出来るまでは働きたいと言ってる」

「子どもは何人欲しいって?」

「おい、ブリ蔵。また質問攻めの記者会見モードになってるぞ」

「すまん。俺にこんなクセあったかな?」

 ママがお通しを持って来たところで、俺たちの会話はいったん途切れた。

店が看板になり、俺は吾郎と別れて独りリムジンに乗り、社宅に向かった。

吾郎が華子と結婚すれば、子どもが生まれる。人間とゴキブリのハイブリッド状態の子どもが。華子は母親としていつかそれに気付くかも知れない。そうなれば、良枝と同じように思い悩むことになるだろう。人間の女とゴキブリのオスがお互いに好きになって結婚することは果たして許されないことなのだろうか。それは禁断の愛なのか。

俺は人間の社会に慣れれば慣れるほど、ゴキブリの姿形が恐ろしく見えるようになって来た。大帝のお姿を見てはっきりその変化がわかる。俺が段々と人間存在に近づいた証拠だろう。ボッカもいずれ同じようになる。

だが、体の隅々まで完全に人間になることは出来ない。きっと華子は将来子どもの「異常」に気付き、ボッカとの間がおかしくなるかも知れない。でも、二人は今愛し合って結婚しようとしている。  

俺も良枝と愛し合って結婚し、子どもが生まれたんだ。ボッカと華子を祝福してやるのは決して間違っていないと俺は思う。

 リムジンが社宅に着いた。俺は夜風を黒光りしたスーツで跳ね返しながら、良枝と子どもが待つ家のドアを開けた。

         

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