第33話

 翌日、支局に訪問者があった。

「五木田さんですね。初めまして。わたくし高村の娘で、響子と言います」

訪問者には珍しい若い女性だった。長い髪を後ろで結び、喪服のようなダークワンピースを着ている。俺は支局長室のソファに案内した。

「五木田です。この度はお父様がとんでもないことに。ご愁傷さまです」

 俺は娘に深々と頭を下げた。

「マンハッタンのお隣のニュージャージーに住む叔父と日本人会から五木田さんのことをお聞きして参りました。生前は父に大変よくしていただいたと存じ上げます。本当にありがとうございました」

「ご遺体を引き取りにニューヨークに来られたのですね」

「はい。何しろ事件がらみなもので、警察でまだしばらく時間がかかるそうです。こちらには母と参りましたが、ずいぶん落ち込んでいる様子で、叔父の家に預けてわたし独りで出て参りました」

 俺は事件を報じる新聞記事をファイルから取り出して来て、二人の間に置いた。


深夜の銃撃戦で日本人二人死亡 犯人は逃亡か 

十二日ニューヨーク発RQ通信

午前二時すぎ、マンハッタン内の空地で銃撃戦とみられる事件が発生し、日本人二人が遺体で発見された。ニューヨーク市警察本部の調べで、死亡したのは日系のS銀行ニューヨーク支店副支店長・高村一郎氏(五十五歳)とM社元広報部長・直木英雄氏(五十八歳)。警察では死亡者の中に、先日社員ら三十九名が死亡したビル爆破事件で大きな損害を受けた殺虫剤メーカー・M社の元幹部が含まれていることなどから、爆破事件との関連を調べている。また現場の足跡などの分析から空き地での事件関係者は四人で、このうち二人は逃亡した容疑者とみて警察で行方を追っている。


娘は何かを言いよどんでいる様子だった。

「何かおっしゃりたいことでも?」

 俺は発言を促した。娘はようやく決心したように、話し始めた。

「実はわたし、警察の鑑識に勤めています。わたしは父が危ない仕事をしているのを知っていました。娘が警察の仕事をしているのに、よりによって銀行員の父親が裏で殺し屋稼業に足を踏み入れているなんて、職場にも、家族にも打明けられないことですよね。もしそんなことで父が逮捕されでもしたら、わたしは仕事を辞めなくちゃなりません。だから、何度も父に考え直してくれるように説得しました。でも、いくら父と娘でも人生行路は別々だなどと言って受け入れてはくれませんでした。そんな悩みを独りで引っ張りながら、いずれこんなことが起こるのではないかと危惧していたんです。知らせがあった時はやっぱり、と思いました」

 娘は涙ぐみながら父親のことを話し始めた。

「わたしが小さい頃から、父は狩猟好きでした。日本の家の地下室には武器庫があって、厳重に鍵がかけてありました。猟に出かける時には散弾銃やライフルを武器庫から取り出し、弾を腰のベルトに巻いて暗いうちからランドクルーザーで出かけていました。山の中で射撃訓練をしていると聞いたこともあります。武器庫の隣の部屋には、自分が仕留めた小動物の頭蓋骨を壁に並べてコレクションしていました」

「ある意味でプロのスナイパーになられたのは何かキッカケがあったのでしょうか」

「詳しくはわかりませんが、わたしの知る限り父は劇画が大好きで、一匹狼の凄腕スナイパー・ゴルゴ13の主人公・デューク東郷にあこがれのようなものを持っていたのです。まるで子どもじみた話ですが」

「お父さんは大手銀行の金融マンとしてニューヨークにもあこがれに近いものをお持ちだったと話されていましたが」

「その通りです。ニューヨークに来るのを希望していました。でも冷徹であるべきスナイパーにしては寂しがり屋の面も持ち合わせていたんです。父がニューヨークに単身赴任すると聞いて、こちらにいる叔父も心配していたようです。だからせめてニューヨークにいる間は兄弟同士で助け合っていこうと思っていたようです。でも、結局は酒に溺れちゃったみたいで」

「お母さんはなぜ夫婦一緒にニューヨークで生活されなかったのでしょうか」

「母は外国で生活するというのがそもそも苦手な人だったんです。言葉の問題とか、外国人との付き合いだとか。そういうことを考えるだけで怯えてしまうというか・・・・・・」

「なるほど。お父さんは家族一緒にこちらで暮らすのを楽しみにされていたようでしたが、そういう事情で叶わないままだったのですね」

「はい。それで、この前の事件のことですが・・・・・・」

 娘は下を向いて、言いよどんだ。

「どうぞ、おっしゃって下さい」

「父はもうひとり亡くなった直木さんという人に雇われて、こともあろうに五木田さんを狙ったのではないかと聞いています。」

直木は高村の勤めていたS銀行のセーフティ・ボックスにミサイルXXXの極秘資料を隠していた。二人は銀行の副支店長と顧客という関係でまず知り合い、酒場を通じて懇意になって、そのうちに直木は高村のライフルの腕前を見込んだんだろう。

「今おっしゃったことですが、そんなことを何処でお聞きになったのでしょうか」

「叔父からです。事件が起こる直前、叔父は父とマンハッタンで飲んだらしくって、その時に父が酔いに任せて殺人計画の一部を話したらしいんです。叔父はもちろん酒の勢いに任せた悪い冗談だと思っていました。それでも父は直木という人に雇われたとはっきり言っていたそうです。五木田さんの名前もその場で出たということですが、ターゲットだったのかどうかははっきりしません。

さて、新聞によるとあの現場では父と直木という人が亡くなっています。叔父が雇い主は直木さんと言っていた通りで、酒の勢いにしても父が言ったことには信ぴょう性があるわけです。わたしの職業柄もあり、父が亡くなった場所に花でも捧げようと思い、現場にも足を運びました。当地警察の現場検証によると、現場には二人以外の足跡、すなわち鑑識用語で言うところの下足痕(げそこん)が二人分残されており、事件関係者は合わせて四人とみられると書いてありました。わたしは、現場を離れた二人のうち一人が五木田さんだと想像しましたが、あとの一人はわかりません」

 娘は俺の顔を見つめながら深呼吸をして続けた。

「では何故雇われた父と雇った直木さんが殺されたのか。父の腕は確かでターゲットを間違えたり、失敗したりするはずがない。とすれば直木さんは父以外の二人のどちらかに殺されたことになり、、父のターゲットは五木田さんか、もう一人の人物か、あるいは両方ということになります。いずれがターゲットであっても、二人とも逃走したわけですから、父は狙撃に失敗したことになります。でも、失敗するなど、どうしてもわたしには考えられないことです」

 俺は推理を進める娘の目を見つめていた。

「父が失敗していないとすれば、父が故意にターゲットを撃たなかったということになります。わたし、一度ニューヨークの父から手紙をもらったことがあります。それに書いてあったことでよく覚えているのは、叔父はさておいて、五木田さんという方がいつも父の酒の相手をしてくれ、何かと相談に乗ってくれているから安心して欲しいと書かれていたことです」

 俺も高村の言葉を思い出していた。

『酒乱の俺と本当に付き合ってくれるのは五木田さん、あんただけだ』

「その手紙のことを考え合わせると、もし直木さんから五木田さんを殺してくれと頼まれたとしたら、父は非常に戸惑ったと想像します。それでも父とすればクライアントと一度契約したら、それは破れない。だから、父はとにかく殺人計画の現場まで足を運んだのでしょう。でも、いざライフルの暗視装置で五木田さんのお顔を見た途端、心が揺らいだんじゃないでしょうか。ひょっとしたら、暗視装置を通してライフルの照準をターゲットに合わせた時点で初めて、ターゲットは五木田さんとわかったというのが事実だったのかも知れません。いずれにしても、父は五木田さんに向けてライフルを発射することはせずに、あるいは出来ないまま亡くなったという気がします」

 娘はハンカチで涙をぬぐいながら下を向いた。

「そうおっしゃると、わたしには非常につらいところです。スナイパーがお父さんとは全く知らないわたしが、身を守るためとは言え結果的にお父さんを撃ち殺してしまったんですから」

 俺は頭を垂れた。

「五木田さんに非はないと信じます。あくまで父が殺し屋なんていう存在だったことがそもそも間違いのもとですから。でも、母は何も知りません。わたしは父が危険な仕事をしていることを知った時から、そのことは母に何も言っていません。知ったらどれほど心配することか。ですから、これからもこのことはずっと胸にしまっておきます。どうか五木田さんも全てを胸にしまっておいてください。お願いします!」

 娘は立ち上がり、深くお辞儀をした。俺も立ち上がった。

「響子さん、わたしのことも是非ご内密に願います」

 俺は娘と目を合わせ、お互いを信じることにした。

「それにしても、父を撃つなんて五木田さんも射撃の腕すごいですね」

 娘がわずかに微笑みを見せた。たとえ知らなかった結果とはいえ、自分の父親を殺したこの俺に。

「危険が一杯のニューヨークで暮らすわけですから、わが身を守るために射撃練習場に通いました」

俺はそう答えておいた。

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