第32話

 その翌日のことだったと記憶する。ゴーキー大帝の命を受けた海外諜報部長が特殊携帯電話で連絡をよこした。大帝が俺と話がしたいとおっしゃっているので、テレビ会議場にすぐ行くようにとのことだった。

十分後、俺はボッカが人間改造手術を受けたマンハッタンの帝国ホスピタルの一室にあるモニター画面の前に座っていた。間もなく画面にゴーキー大帝の姿形が映った。ゴキブリ然とした触角、単眼と複眼、大きな頑丈そうな顎、黒光りする肢体。大帝の姿のアップ映像は以前にも増して気味悪かった。しかし、目を背けるわけにはいかない。俺の人間的要素が人間社会に長くいる分、また増えたのだろう。

「ブリ蔵、人間との最終戦争とまで言われた一連の今回の戦いに勝利出来たことは、お前の活躍によるところが大きい。本当によくやってくれた。感謝する」

「ありがたいお言葉、嬉しい限りでございます」

「お前ならとっくに分かっているじゃろうが、今回の戦いは、人間どもとゴキブリの最終戦争でも何でもない。帝国を挙げて敵対する殺虫剤メーカーの目論見を粉砕したということなのであり、最終戦争はまた将来必ずやって来ると思う。その時のために、お前にはボッカという右腕と共に今後とも人間社会で優れた諜報活動を続けてもらいたいのじゃ」

 大帝の触覚が大きく震えた。

「承知いたしました。ボッカにもよく大帝のお考えを伝えさせていただきます」

「ところで、お前は人間のメスと同じ屋根の下で暮らし、子どもまでいると聞き及んでいるが、お前の正体はよもやそのメスの知るところではなかろうな?」

 射るような大帝の複眼が睨んでいた。俺は気取られまいと表情を動かさず、落ち着いて答えた。

「ご心配には及びません。全くそのようなことはございません」

 大帝の単眼と複眼が柔和になった。

「安心したぞ。戦いが一段落して、これからはどんな計画があるのか。ぜひそれを聞かせて欲しい」

「以前大帝がおっしゃっていましたゴキブリ社会の芸術化計画でございます。先日、人間界では最高の美術館のひとつ、メトロポリタン美術館を取材して参りました。集めました資料を今度まとめてお送りいたします」

「それは結構なことじゃ。楽しみにしておる。何しろわが帝国は人間どもを凌駕する超技術をいくつも持っておる。あとは美術と芸術を備えれば、われわれ以上の存在はなくなるからのう」

「これから各地の美術館を回り、ゴキブリ芸術なるものがどうすれば確立出来るか調べ上げます」

「いや、ご苦労なことじゃ」

「大帝、一つ質問させていただきたいのですが、よろしいでしょうか」

「何じゃ、申せ」

「ありがとうございます。他でもない、新しい帝国の様子は如何でございますか」

「いや実に快適じゃ。皆生き生きとして帝国のために働いておる。しかし、それで安心ばかりはしておられん。今度のようなことは、また将来必ず起こるのじゃ。そんな時にすぐ間に合うように、予備帝国の建設を既に開始しておる。ゴキブリ三億年の歴史を踏まえ、今後帝国を守っていくためにも是非必要なことじゃ。色々とご苦労じゃった。それではこの辺で」

「ありがとうございました!」

 モニター画面から恐ろしい顔が消えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る