第28話

 良枝は子どもとロサンゼルスの有名な保養地・サンタモニカの海岸を望むホテルに逗留していた。太平洋戦争の時代に戦禍を逃れるため国民学校の児童が田舎に集団疎開したという話を親から聞いたことはあったが、まさかアメリカで子どもと一緒に同じような経験をするとは思いもつかなかった。

 事情はともあれ、良枝はニューヨークやシカゴなど東部大都市に住む住民のあこがれの的になっている陽光カリフォルニアの海岸暮らしを心ゆくまで楽しんでいた。

 そんなある日の午後、良枝はいつものように部屋のバルコニーに置かれたサンデッキで、キラキラと輝く真っ青な海を見ながら日光浴をしていた。ルルルルと部屋の内線電話が鳴った。邪魔な電話だこと! 良枝は仕方なくデッキから起き上がり、電話に出た。地元警察からだという。警察って? 電話の向こうの野太い、早口の米語に耳を傾けていると、良枝の顔から血の気が引いた。

 息子の良夫が学校帰りに立ち寄ったコンビニで強盗事件に巻き込まれ、大ケガをして病院に運ばれたという知らせだった。良枝は急いで服を着替え、娘の良子にメモを残してホテルの前からタクシーに飛び乗り、良夫が運ばれたという病院に駆け付けた。良夫はすでにICUに運ばれて集中治療手術を受けており、良枝は手術室のサインが消えるのを、まんじりともせず待ち続けた。

 どれくらい経ったのだろう。手術が終わり、出て来た医者に容態を尋ねたところ、命に別状はないということでほっとしたが、医者が良枝にちょっと報告したいことがあると、別室に呼ばれた。

 良枝は何のことかといぶかりながら、医者について部屋に入った。

開口一番、医者は良枝に告げた。

「手術の関蓮でお宅の息子さんの内臓の状態を診ましたが、普通のヒトに比べて脂肪体が極端に多いのです」

 良枝は思わず噴出しそうになった。

「先生、うちの子は脂肪が多くって、太っているってことでしょ?」

医者は首を振り、厳しい表情を良枝に向けた。

「お母さん、そうじゃないんです。脂肪体というのは、食べ物が消化されて、余ったエネルギーが大量に貯蓄できる組織のことです。ヒト以外の生物なら、このような組織を持っているものがいます。でも、人間となればちょっと考えられません」

「ヒト以外とおっしゃいますと、例えばどんな生物を想像すればいいんでしょう」

 医者はためらっている。どうしたのか。沈黙のあとで、医者の口から意外な言葉が流れ出た。

「あの、あ・ぶ・ら・む・しって、いますよね」

「ゴキブリのことですか?」

 医者は小さく頷いた。

「えっ、うちの子はゴキブリかもしれないってことなんですか?」

 良枝には降って沸いたような展開である。

「奥さん、そうは申しておりません。精密検査をしてみないことにはね。ですが、ざっと診た限り、お子さんの内臓の位置や他の臓器の大きさとバランスなどを総合して、人間とゴキブリのハイブリッド状態にあるんではないかと思われます」

 良枝はめまいを感じ、体をふらつかせた。

「お母さん、大丈夫ですか!」

 医者が咄嗟に良枝の体を両腕で支えた。良枝は大きく息を吐き、自分を落ち着かせてから医者にようやく向き直った。

「それでお子さんですが、過去に大きな病気をされたことなどは?」

「いえ、いたって健康です。すこぶる健康な子なんです!」

 良枝は事態を打ち消すように強調した。

「ご兄弟は?」

「妹がおります」

「念のため、妹さんもご一緒に、家族の方全員の内臓チェックをされた方が・・・・・・」

「夫は今ニューヨークにおります。チェックを受けるように連絡いたします」

「何でしたらニューヨークの知り合いの専門医がいる病院をご紹介しましょう。ここでお待ちください」

 医者はそう言うと、急いで部屋を出て行った。一体全体どういうことなのか。独りで部屋に残された良枝の不安は、ますます広がっていった。

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