第22話
M社支社長室。高木が直木ら幹部社員を前に社を取り巻く状況の説明をしていた。
「主要製品だったミサイルX、続いてミサイルX2と社の命運をかけてきた新規事業が、ゴキブリのせいで相次いで頓挫している。社長は頭を抱えておられる。アメリカの殺虫剤メーカーとの連携も、事業の失敗でわれわれは完全に信用を失墜してしまった。長引く不景気の中で業績は全くよろしくない。このニューヨーク支社も縮小が検討されている」
高木は大きなため息をついた。幹部社員をひとりずつ見つめながら、次の言葉を探していた。支社長と眼が合うと、直木は黙って下を向いた。
「事態はもう切羽詰ったところまで来ている。ここで踏ん張らないと、支社どころか、本社の屋台骨も危なくなる。諸君、危機感を持って仕事に当たって欲しい」
高木の顔が紅潮して来た。何か重要な事柄を話す時の癖だ。直木は高木の表情を凝視していた。
「さて、わが社は起死回生のため、今回ミサイルX2を改良し、効き目をより強力にしたゴキブリ専用殺虫剤ミサイルXXXを開発することになった。この開発と販売が成功すれば、今までの失敗をカバーしても、どんとお釣りが来ることになる。ゴキブリのワクチン作りを今度こそ絶対に阻止するためにも、成分表などマル秘資料の扱いはトップシークレットとする」
「われわれは一切目に触れられないということですね」
口を開いた直木を高木が見つめた。
「直木広報部長は指示を待ってくれ。とにかくこれまでの失態だけは繰り返してはならぬ。以上」
半時間後、高木に呼ばれた直木は耳元で極秘資料の扱いについて、指示を受けた。
「いや、支社長、それは・・・・・・」
「これは社長の厳命を踏まえて、俺が決めたことだ。変更はできない」
「公私混同はいくら何でも・・・・・・」
「俺の言うことが聞けんというのか」
「いや、そんなことは・・・・・・」
直木は首を傾げながらも、頷かざるを得なかった。同じ失敗は絶対出来ない。直木は心の中で何度もつぶやいた。
二人のひそひそ話が辛うじて聞けそうなところにボッカが張りついていた。
全ては聞きとれなかったが、極秘情報の隠し場所は直木が個人的に借りている銀行のセーフティ・ボックスになることはわかった。
これだけで大収穫だ。ボッカは羽を振るわせた。
直木は最近頻繁にクラブ築地に通っていた。昔は自分の娘が勤めていたため、行くのは避けていたが、娘が辞めたこともあり、通うようになったのだ。築地に行く最大の理由は、しかし別にあった。
新しく入った若くて美しいホステスのせいである。スレンダーな体躯に豊満なバストを誇るルリというホステスがお目当てだ。故郷が同じということで最初出会った時から意気投合し、独り身の直木にとっては、機会があれば一度お手合わせ願いたいという下心が出来ていたのだ。
その夜築地の客は少なく、店も早仕舞することになり、直木はルリを食事に誘った。店でリムジンを呼び、深夜営業する三番街の有名店に入り、軽い食事をとりながらワインで乾杯した。もう一歩押せば、この美貌と肉体は俺のものだ。直木は微笑むルリを見つめ返した。
時が過ぎてリムジンを呼んでもらい、直木は試しに車内でルリの肩に手を回してみた。ルリが甘えて来た。ブランドの香水が直木の鼻をくすぐった。
二人はホテルの前でリムジンを降りた。部屋に落ち着いてから、ルリが最初にシャワー・ルームに入った。そのシャワー音を聞きながら、直木はルリの裸体を想像していた。バスタオルを巻いて出て来たルリと交代に、直木はシャワーを浴びた。部屋に戻ると、赤ワインがグラスに用意してあった。
「さあ、乾杯しましょ。素敵な夜のために」
ルリはバスローブの胸元から巨乳をのぞかせ、ほほ笑んだ。
「乾杯!」
バスローブ姿の直木は赤ワインを飲み干して、ルリにほほ笑んだ。
次第にルリの顔がぼやけ、直木は間もなく床に倒れ込んだ。ルリはバッグからスマホを取り出してコールした。
「OKよ」
一言で電話を切り、ソファに置かれていた直木のスーツのポケットを片端から探った。携帯電話、キーの束、財布、クレジットカード、社のIDカード。全てをナイロン袋に収めた。ドアがノックされ、開くとマッチョな男が二人、作業着で現れた。直木を軽々と担ぎ上げ、持って来た寝袋に放り込み、肩に担いで出て行った。ルリは服を着て、鏡で化粧を整えてから部屋を出て行った。
直木が目覚めたのは、暗い部屋の中だった。床に横たわり、バスローブがはだけて、身体が冷え切っていた。見回しても家具も何もないガランとした部屋だった。ふと見ると、傍らにピエロの面を被り、黒装束をまとった人物が座り、直木を見つめていた。
「あんた誰なんだ。ここは、一体?」
頭痛がして、直木は顔をしかめた。何処か遠いところでBGMが鳴っていた。ピエロが呪文のようなものを唱え始め、一度起き上がった直木をもう一度横たえて目を閉じるように言い、呪文を耳元で囁き続けた。しばらくして直木は強烈な眠気を催し、眠り込んでしまった。ピエロは次々に直木に質問を浴びせて行った。
「あなたのお名前、何てえの?」
「直木・・・・・・英雄」
「ミサイルXXXって知ってるね?」
「ああ」
「極秘の資料は何処なのさ」
「銀行のセーフティ・ボックス」
「何銀行かなあ?」
「S銀行・・・・・・六番街支店」
「セーフティのキーは何処だろか」
「スーツのポケットの鍵束にある」
「セーフティ開けるのに要(い)るモノ、全部教えてちょうだいな」
眠り込んでいるはずの直木は問われること全てにはっきりと答えていった。
「ご用が済んだら、涙のバイバイ」
ピエロは直木を部屋に残したまま、書き上げたメモをポケットに入れて出て行った。
ルリからナイロン袋を、ピエロからメモを受け取った俺はただちに銀行に向かった。黒光りした三つ揃えのスーツに身を固め、縁のある帽子を目深にかぶり、サングラスをかけて、付け髭を鼻の下に蓄えていた。直木から奪ったキーで、セーフティ・ボックスを開けるブースに入り、カードをスロットに挿入して、暗証番号でカバーを開けた。
ボックスが目の前に現れ、カバーを持ち上げると、いくつかのUSBメモリがあった。俺は全てのメモリを持参したケースに収め、逆の操作をしてボックスを閉じ、何食わぬ顔で銀行を後にした。
ようやく催眠から覚めた直木は部屋を出ようとしたが、ドアが開かなかった。携帯電話を取られ、外との連絡手段がない。
それにしても俺はルリといいところだった。そのうち記憶が途切れた。確かワインで乾杯していたのは覚えている。あのワインに睡眠薬が仕込まれていたのか。それにしても、俺のスーツはどうなったのか。そうだ、セーフティ・ボックスのキーが! ミサイルXXXの極秘資料が奪われる! 直木の頭に一気に血が上った。
ドアをたたいて見たが、何の反応も返って来ない。目が暗がりに慣れて、天井下の壁を見ると、人が通れそうな通風孔の穴があり、網がかぶせてあった。直木は飛び上がって網の蓋をたたいてはずした。頭を打たないようにかがむ姿勢をとって再度飛び上がり、穴のふちに両腕をかけて、思い切り身体を穴に押し込んだ。溜まっていたホコリにむせながら必死に穴を這い出ていったら、先にぼんやりとした光が見えた。
ようやく外に這い出した直木は、裏通りから汚れたバスローブのまま表通りに出て、走って来た車の前に立ちはだかった。車は急ブレーキをかけて止まった。
「あぶねえじゃないか! 何だ、お前は」
年配の紳士が開けた運転席の窓から首を突き出して怒鳴った。
「すみません。電話を貸していただけませんか。決して怪しい者じゃございません。ニッポンの殺虫剤メーカーの社員でナオキといいます。緊急に社に連絡することがありまして」
「それならこっちまで来い。俺が見張っているそばで電話しな」
紳士は不審げな表情を向けながらも、スマホを直木に手渡した。
直木は社の部下を呼び出し、銀行に電話を入れて、直木名義のセーフティ・ボックスの出入りをストップするよう伝えた。
待たせている紳士に頼み込んで部下からのコール・バックを待った。
「直木部長、ボックスは空っぽとのことですが・・・・・・」
やられた! あの女。直木はその場にへたり込んだ。
スーツを着に自宅へ戻った直木は、辞表をしたためて支社長の高木に電話で一報を伝えた。
「これから銀行に行きまして、詳細を調査して参ります」
「何をしてくれたんだ! 一体全体」
高木の一言一言が心臓を突き刺すように感じられた。直木は銀行に直行した。もう俺も終わりだ。ミサイルXXXの極秘資料が盗まれたということは、あいつの仕業に違いない。あの男だけは絶対に許せない! 直木の心に怒りの炎が燃え盛っていた。
ボッカは俺の指示で、支局をミッド・タウンから、南のダウン・タウンに移していた。前の支局はあまりにも知れ渡っていたから、もう一度カバーを掛けなおそうというわけである。アシスタントは新しい支局が自宅から近くなり、最近は手当ても割り増しになったので喜んで仕事をしているらしい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます