第15話

 直木が妻と離婚したのは、それから一ヶ月ほどしてからのことだった。たとえ個人的な問題にしても、支社長の耳に入れば、出世に響くと考えたので社には報告しなかった。

 それにしてもあの女をこのままにしておくことは、プライドが許さない。

 直木は知り合いの探偵事務所を訪れた。

「その女性ですが、住所とか連絡先はご存知なのでしょうか」

 探偵事務所の所長・田村が訊ねた。

「いや、外で二度ほど会っただけで何もわからん。とにかくその女の正体を探ってくれ」

「女性が出入りする場所などはご存知ですか?」

「マンハッタンの国連ビル近くにダンサというクラブがある。そこに時々出没するというのは同僚から聞いたことがある」

「ダンサでしたらわたしも知っています。ママとも顔なじみです」

「それは好都合だ。その線から探ってみてくれ。それからもうひとつ、Fブロードキャスティングという日系放送局の支局に五木田という男がいる。そいつとその女との関係も調べてもらいたい」

 田村は表情さえ変えなかったが、直木の口からF局の五木田という名前が飛び出し、少なからず驚いていた。田村の親しいクライアントだったからだ。

「で、その五木田とかいう人とその女性の何を調べればいいんでしょうか。不倫か何かという・・・・・・」

「いや、男女の関係じゃなく、二人がどういう関係で、一緒に何をしようとしているのかという点を詳しく調べて欲しい」

「一緒に何を、ですか。承知しました。しばらく日数を下さい。それで費用のことですが・・・・・・」

 田村はポーカーフェイスを決め込んで、直木の依頼をパソコンのクライアントメモに書き込み、料金表を直木の前に置いた。


 久し振りに俺は支局で落ち着いていた。田村から電話が入ったのは、街路樹をすり抜ける陽光が眩しい午後だった。

「五木田さん、浮気でもされているんじゃありませんか?」

 田村は笑いをこらえているような口調だった。

「冗談じゃないよ。超多忙でそんな気力も体力もない。一体どうしたんだ」

「殺虫剤メーカーM社で広報部長をしている直木って人ご存知ですか」

「ああ、知っているよ。それがどうしたんだ」

「五木田さんと美樹という女性の関係を調べて欲しいって言って来ましたよ」

 直木がこそこそと動き回っているのを感じた。

「まさか積まれた大金に眼が眩んで変な気を起こしたんじゃあるまいな」

「そのとおり。いや、冗談ですよ。そんなことをするわたしじゃないのは、五木田さんが一番よくご存知でしょう?」

「それで直木は何だって?」

 田村から詳細を聞いた。

「直木には俺と美樹は全く関係がないと報告してやれ」

「わかりました。ところで美樹さんってどんな方なんですか」

 田村の口調に真剣味があった。職業的な関心というよりは、個人的な興味の発露のように聞こえた。俺は美樹について話し、田村に嘘の報告をさせる代わりに、美樹を紹介することを約束した。電話口で鼻の下を伸ばしている田村の顔が浮かんだ。


 美樹は直木の一件があったにも関わらず、俺を介して客を受け容れていた。そこは連戦練磨のプロである。

 俺はダンサに美樹を呼び、直木の動きを耳打ちした。

「かわいそうに。奥さんに愛想を尽かされちゃったのね。男にはよくある話だけど」

「身から出た錆だが、君を逆恨みするかも知れない。気をつけた方がいい」

「わかったわ。ところで明日空いているんだけど、誰かいい人いないかしらね」

「田村という新客を紹介しよう。女好きの典型みたいな奴だ。探偵事務所の所長をしている」

「探偵さん? 面白そうね」

 美樹は水割りをなめた。

ドアが開き、新聞記者の長谷部が入って来た。

「よお、久し振りだな。ちょうどいい。ちょっと話したいことがあったんだ」

 奥の個室で長谷部と二人きりになった。

「ロングアイランドの件は知っているな?」長谷部が訊ねた。

「Kコンサルティングの建物の一室が吹っ飛んだという例の件だろ?」

「あれを今フォローしているんだが、どうも殺虫剤メーカーM社の製品に対する一連の事件と絡んでいるみたいなんだ。KコンサルティングはM社お抱えの会社だし、ロングアイランドの件については実験の失敗による爆発事故だという発表以外は黙して語らずの構えだ。だが、あれは一連のM社の不可解な事件と密接に繋がっている爆破事件だと俺は睨んでいる。事故じゃない」

 長谷部はそう言いながら、タバコに火をつけた。

「爆破事件だって? その根拠は?」俺は驚いて見せた。

「記事にはなっていないが、あの爆破事件の一週間ほど後で、妙な飛行物体が南米エクアドルの山中で墜落した。首都キトから南東約四十キロのあたりだ」

 探査ロボット25号のことを思い出した。爆破したシステム司令室のモニターで見たロボットだ。

「その飛行物体と事件が関係しているのか?」

 しらばくれて訊いた。長谷部はバッグの中から数枚の写真を取り出して見せた。契約通信社のドローンが撮影した写真の一部だという。

「これが墜落した飛行物体だ。関係者の話を総合すると、ピンポイント爆破された部屋がこいつらをコントロールする司令室だったのではないかという推測が成り立つってことだ」

「しかしもしそうだとすれば、司令室が破壊されれば飛行物体は直ぐに動かなくなるんじゃないのか?」

「おそらくシステムコントロールとは別系統の内蔵エンジンか何かで飛行していたんだろう」

 そうか、俺の見方が少々甘かったようだ。引き続きM社は探査ロボットを自力飛行で稼動させているようだ。早急に帝国を探査ロボットのセンサーから防衛する必要がある。

長谷部は煙を燻らせながら続けた。

「墜落した飛行物体は粉々に壊れて形状も何もわからなくなっていたそうだが、現地の目撃者の情報によれば、ボディはこいつと同じ赤と青のツートンカラーで二本のアームがボディから出たり入ったりしていたらしい。ところが、こいつと同じものが世界各地、主に熱帯周辺の各国で続々目撃されているんだ。何か臭うだろう?」

「こいつらの目的が何かということになるな」

「専門家に取材したところでは、何かを探知する目的の探査ロボットの一種じゃないかと言っている。二本のアームは強力なセンサーかカメラを備えており、画像を基地に向けて伝送する機能を備えていると推測される。ロングアイランドの事件は、探査を阻止しようとする何者かがこいつらをコントロールする中核システムを破壊する挙に出たんじゃないかと思えるんだ」

「専門家はこいつらの目的についてどう言っているんだ?」

「まだ結論めいたものは出ていない。だが、地上にあるターゲットを狙うにしては少々大掛かりな感じがするらしい。恐らくは地上ではなく、地下にある何か巨大なターゲットを狙っているようだと言っている。Kコンサルティングに話を向けてみても、極秘事項だとの一点張りで、頑として口を割ろうとしない」

「長谷部さんはどう思っているんだ?」

 俺は顔色を窺った。

「M社は殺虫剤メーカーだ。したがって探査の内容は恐らくゴキブリか何か虫に関するものだろう。ちょいと調べて見たら、ゴキブリは熱帯を好むらしい。飛行物体が目撃されているのは亜熱帯から熱帯の諸国だ。ひょっとしたらゴキブリの巨大な巣でも探し出そうとしているんじゃないかとも思える。巨大な巣を破壊するためにその場所の特定に動いているんじゃないかということだ」

 長谷部はタバコを灰皿でもみ消し、オンザロックのグラスを持ち上げた。

「だが、そんな巣が実際にあるとしても、破壊してゴキブリを根絶やしにしてしまったら、メーカーは自分の首を絞めることになるんじゃないかと思ったりもする。適当にゴキブリが周りにいるからビジネスとして殺虫剤が売れる訳だ。ゴキブリがいなくなってしまったら、メーカーは商売上大変な事態を引き起こすんじゃないか。勿論害虫はゴキブリに限らないが、ゴキブリ用の殺虫剤はメーカーの主力商品のひとつに変わりない。ゴキブリにはやはり害虫として存在してもらわなくちゃ商売にならない。と考えれば、ゴキブリを根絶やしにするのではない別の目的があるんじゃないかと考えられる。一体それは何かと」

 俺は耳をそばだてていた。

「効き目が全く無かった例の殺虫剤ミサイルXの件では、ゴキブリの体内に殺虫剤を無効にするワクチンが発見されている。あれはどう考えても人工的なものだ。しかし全世界のゴキブリに一匹ずつワクチンを埋め込むなどということは、人間技として絶対に不可能だ。ということは一体どういうことなのか。これは全く仮定の話だが、ゴキブリが我々の想像を絶する高度な文明や技術を持っていて、新型の殺虫剤に対応するワクチンを開発し全世界のゴキブリに向けて配送するシステムのようなものを持っているのじゃないか。それを破壊すれば、今まで通りゴキブリを殺す製品が売れる。儲けが転がり込むって寸法だ。したがって探査ロボットはワクチン配送システムの破壊を目的に、その大元になるところを捜すために稼働しているのではないか。そう考えていくと、これまで謎としか言えなかった事柄の説明がある程度つくような気がするんだが・・・・・・」

 長谷部はオンザロックをなめた。

「なるほどね。すばらしい推論だ」

 俺は新しいタバコに火を付けようとする長谷部の横顔を見つめた。


長谷部と別れ、真夜中の支局に戻った。デスクの窓から不夜城マンハッタンの灯りが闇夜の中に輝いていた。パソコンを立ち上げて、緊急メールを大帝に送った。


『ゴーキー大帝殿

 殺虫剤メーカーM社の探査ロボットが中枢司令室の破壊にもかかわらず自力飛行で動き始めています。ロボットは強力なセンサーを装備しており、すでに各地にある比較的大きな巣の幾つかは発見されているという情報まで届いております。このまま放置しておけば、いずれ帝国本体が発見されるという重大事態を引き起こす恐れさえあります。そこで進言申し上げます。早急に帝国全体を覆い、ロボットのセンサーをはね返すシェルターを建設されんことを。帝国研究開発室の叡智をもってすれば、可能であることを確信しております。それと帝国が発見される恐れも十分ありますので、急いで予備の新しい帝国へ全員移動されるべく、準備されますように進言致します。海外諜報部人間対策課 ブリ蔵拝』 

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