第14話

 翌日のM社。支社長の高木の周りに直木ら幹部が集まり、重苦しい空気が流れていた。その席にはKコンサルティングの藤村が呼ばれていた。沈黙を破ったのは高木だった。

「藤村さん。一体ロングアイランドで何が起こったというんですか。説明して下さい」

 藤村はうな垂れていた姿勢を正し、高木の睨みつけるような視線を浴びた。

「探査ロボットの制御システムが爆発で吹っ飛んだということです。それ以上のことは警察の調べを待ちませんと・・・・・・」

「それでこれからどうなるんですか? ゴキブリの転送システム破壊の方は・・・・・・」

「制御システムが破壊されたので、当面打つ手はロボットを自力飛行させることしかありません。それに当社の受けた被害は甚大ですので、まずそちらから手をつけないと」

「どうせたっぷりと保険に入っているんでしょう? このまま手をこまねいているのなら契約違反ですよ。契約書には今後二ヶ月以内をメドにゴキブリの大きな巣を見つけて、その転送システムとやらを破壊すると明言してある。甚大な被害とおっしゃるのなら当社も全く同じ事情だ。むしろうちの方が甚大だ」

「お言葉を返すようで恐縮ですが、今当社はクライアントの事情を考える余裕は全くございません。お急ぎなら他のコンサルタント会社をお使い下さっても結構です」

 藤村の言葉に、高木も沈黙せざるを得なかった。力量からしてKコンサルティングを上回るエージェントはそう簡単には見つからないことを高木はよく承知していた。

「それでシステムの復旧にはどれ位?」

「少なくとも二年はかかるでしょう」

「二年か・・・・・・」

 高木は口をへの字に曲げて、下を向いてしまった。

 高木と藤村の会話を、他の幹部とはまた別の沈痛な思いを抱いて聞いていた男がいた。直木である。今回の事態はひょっとして自分が招いたことではないか、と心の奥で疚(やま)しさが渦巻いていたのだ。

あの夜、酔いに任せて美樹という女にぺらぺらと極秘情報をしゃべってしまったような気がする。大分と記憶が途切れており、何をどれだけしゃべったのかははっきり覚えていない。かなり酔っていた上に、あの女の醸し出す恐ろしいほどの色香に参っていた。ロングアイランドのシステムや探査ロボットの話をおもしろおかしく話したような微かな記憶がある。そこから情報が洩れてしまったのではなかろうか。もしそうで、それが社内に察知されたら身の破滅だ。これまで部下に対して、情報を他に洩らすことのないようきつく申し渡して来たこの俺が、肝心要の情報を、しかも商売女との寝物語でしゃべったのだから。それにしても、あの美樹という女、元々俺から情報を聞き出そうとしていたような気がする。一体どんな女なのだろう。調べてみる必要があるぞ。

「直木君、何をぼーっとしているんだ。ちゃんと話を聞いているのか?」

 気付くと、高木が睨みつけていた。

「これからどうするのか、藤村さんと早急に協議し給え! 君が現

場の責任者なんだからな」

「申しわけありません。すぐ対応を協議致します」

 高木は秘書に電話を入れ、社長宅にすぐ連絡を取り次ぐように電話口で怒鳴った。


 直木は藤村と協議した後で、外勤の最上をスマホで呼び出した。

「君に世話してもらったあの美樹とかいう女に至急会いたい。今夜会えるようにセットしてくれ。今夜だ。わかったな?」

 電話を受けた最上は困惑していた。また五木田に同じ頼みごとをするのか。五木田を介して直木部長を美樹に引き合わせたのはついこの間のことだ。部長は余程美樹のことが気に入ったに違いない。それにしてもえらく慌てていたような感じがする。俺に対する感謝の言葉もなかった。一体どうしたというのか。だが、出世街道に戻るためには、今夜部長と美樹をどうしても引き合わせなければならない。

 俺に電話が入った。

「最上、そう何度も美樹は紹介できないぜ。美樹はプライドの高い女性だ。仕事に誇りを持っている。その辺の淫らなコールガールと一緒にしてもらっては困る」

 それにしても何故直木がそう頻繁に美樹を指名するのか。美樹に惚れ込んだのかも知れないが、別の意図が潜んでいるような気がする。

「直木はどんな感じだった?」

「感じって?」

「今回お前に美樹のことを頼んだ時の直木の態度や様子のことだ」

「何か焦っていたようだったな。今夜じゃないと絶対にだめだと言うんだ。でも部長の命令に逆らうことは出来ない。広報にもう一度戻りたいからな」

 最上の苦渋に満ちた声が電話の向こうでくぐもった。

 あの爆発で探査ロボットが使えなくなった直後に、美樹に会いたいと焦るってことは、直木は美樹が誰かに情報を洩らしたと思い込んだのに違いない。美樹に至急会い、恐らくそのあたりを確かめようという魂胆だろう。さてどうするか。最上の情報でワクチン製造が可能となり、多くの同胞の命が救われたこともある。最上は気付いてないが、我々同胞の命の恩人だ。そのために最上はエリートコースをはずれ、冷や飯を食わされている。最上の立場も考えてやらねばならない。とすれば、今夜美樹にまたお出ましを願わなくちゃならない。美樹も直木をまた呼んで欲しいと言っていた。直木と寝れば、高レートの料金も取れるし、美樹のためにもなる。敢えて美樹を危険に晒すことで、まだ見知らぬ直木の意図や本性を掴むこともできよう。

 皆の幸せを考えて、最上には美樹に頼んでみることを約束し、電話を切った。

 美樹は即OKを出した。ホテルの部屋番号を知らせるように美樹に言い、最上にゴーサインを出した。


 その夜、ダンサに出掛け、直木が美樹と密会する時間を待った。

「ママ、今夜は客の入りが余りよくないね。レギュラーの華子はどうしたの?」

 俺は店内を見渡しながら尋ねた。

「あの娘、近くの店に引き抜かれたちゃったのよ。この頃、国連ビルの近くに日系のクラブが次々に出来て、客の奪い合いになってるの。うちもいい娘を入れないと太刀打ちできないわ」

 ママは着物の帯に挟んだスマホを取り出して、ホステスのリンダを呼び出した。

「今日は来なくていいわ。お客さん少ないから。明日はお願いよ。予約が入っているから」

 スマホを仕まい込み、ママは俺に微笑み掛けた。

「大変だね。水商売は」

「気長にやらないとね。またいい日も来るわよ」

 俺は後ろ手に隠していた花束をママに手渡した。

「お誕生日おめでとう!」

「まあ、覚えてくれていたの。サンキュー」

 花束を受け取り、俺の頬にキスをして微笑んだ。

「スー、これ生けて」

 地元マンハッタン出身のホステス、スーザンが立ち上がり、花瓶を棚から出して生けた。

「うまいもんだね」

 俺は生けられた花に見入った。

「スーはフラワー・アレンジメント習ってるの。こういう時には便利な娘よ」

「ママ、後でハッピー・バースディよ」

 スーザンが微笑んだ。

 時計を見たら八時過ぎだった。直木の密会まであと一時間余り。俺はトイレに入り、直木の自宅に電話を入れた。コールが何度か鳴り、女性が出た。

「ハロー」

 日本人の英語だった。

「奥さんですか?」

 日本語が返って来て、女性はほっとした様子だった。

「どちら様ですか?」

「こちら匿名の電話です。あと一時間ほどしますと、ご主人がHホテル710号室で女性とベッドをともにされます。これは信頼すべき筋からの情報であります。一度お確かめになったほうが今後のためと思われますので、一言ご連絡差し上げました。マンハッタンのHホテル710室です。あと一時間ですのでお急ぎ下さい。」

「ちょっと、あなた一体誰なの!」

 電話は既に切れていた。


 俺は店の身内だけのハッピー・バースディを済ませ、Hホテルに急行した。ホテルのトイレで変身し、710号室のドア下の隙間から進入した。真っ暗な部屋の中で壁に架かっている静物画の額の裏側に陣取り、直木らが現れるのを待った。

 しばらくすると男女の声がしてドアが開き、部屋の灯りがついた。直木が美樹の肩を抱き、寄り添っている。軽く直木の頬にキスをした美樹は衣服を脱いでベッドシーツの下に身を隠した。直木もあとを追うように滑り込んだ。

ねんごろに愛撫を繰り返し、クライマックスに達した直木の脳天の小刻みな揺れが収まった頃、美樹は頬に鋭い痛みを感じた。

「何?」

直木の人差し指の爪が頬に食い込み、射るような目が注がれている。凍りつくような恐怖が美樹を包み込んだ。

「ロボットの話をばらしたな。相手は誰だ」

 押し殺すような声が耳に絡まり、美樹はいっそう裸身をこわばらせた。跳ね除けようとしたが、びくともしない。

「何のことかしら」

「しらばくれるのもいい加減にしろ!」

 直木の平手打ちが頬に飛んだ。

「何するのよ!」

 苦痛にゆがんだ顔を隠すように頬を押さえた。

「さあ、言うんだ!」

 首根っこに両手を掛け、直木は締め付けるような仕草をした。

 このまま手をこまねいているわけにはいかない。救わないと!。俺が変身ボタンに手を掛けようとしたその時、ドアが激しくノッ

クされた。直木は我に返り、美樹の首から両手を離した。一体何事

なのかとドアに神経を集中させていると、キーが開く音がしてドア

が開かれた。誰かが部屋に走り込んで来た。

「あなた!」

 間接照明の灯りが妻の顔を照らし出していた。

「咲江!」

 直木は思わずベッドから飛び降りた。

「あなた、これは一体どういうことなの! 説明してちょうだい!」

 美樹はシーツを目のあたりまで被り、目を白黒させていた。

「いや・・・その・・・」

 直立不動のまま咲江と向き合っていたが、ようやくへその下を両手で蔽った。

 咲江の背後にはホテルの従業員が目のやり場に困った顔をあからさまにしながら、鍵の束を持って突っ立っていた。咲江はベッドに近付き、シーツを引っぱがして、美樹を穴の開くほど見つめた。

「この泥棒猫!」

美樹は慌ててパンティを穿き、急いで身繕いをした。

「あなた! 何よ、この女! 浮気したわね! 許さないわよ!」

「ちょっと待ってくれ! これには訳が・・・・・・」

直木はそそくさとパンツを穿こうとした。

「どんな訳なの! 早く言いなさいよ!」

 妻の剣幕にたじろいだ直木はパンツを足に絡ませ、その場で床にひっくり返った。

「くやしい!」

 咲江はかがみ込んで直木の頭を両腕でポカポカと叩きまくった。

「ごめん! 許してくれ!」

 直木は全裸のまま土下座していた。

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