第11話

 藤村をマークする必要があると思い、Kコンサルティング社を連日張った。ある日の午後、藤村がアタシェ・ケースを持って、社の玄関の階段を急ぎ足で降りて来た。階段の下には黒塗りのセダンが停まっている。ゴキブリになっていた俺は、サングラスを掛けた白人運転手がガムを噛みながらドライバー席を降り、藤村のために後部ドアを開け、閉じる一瞬を狙って、藤村と一緒に車に乗り込んだ。

床に這いつくばり身を潜めるすぐ傍に、巨大な藤村の黒靴があった。新革のニオイが漂って来る。磨き込んでいるらしく、靴の表面は眼が眩むほど黒光りしている。ボストニアンの高級靴。俺の好みのブランドだ。

「M社に行ってくれ」

 藤村の太い声が、俺の薄い鼓膜をビンビン震わせた。車は轟音を立てながら急発進した。タイヤが頑丈なせいか、スピードが出ている割には揺れが少ない。コンサルタント料でたんまり稼いでいるんだろう。運転手付きの高級セダンで商談か。結構なご身分だぜ。人間に変身して、思いっきり藤村の靴を踏みつけてやりたい気をやっとの思いで抑えていた。

 M社着。コートを着た藤村は辺りを見回して、アタシェ・ケースの取手を握り締め、玄関に向かった。俺は車内で藤村が座席に置いていたコートのポケットに潜り込んでいた。カツカツという床を歩く音がポケットの中の暗闇にこだましていた。エレベータに乗り込む音がして、今度は急にドカンという音がした。藤村がエレベータの壁にもたれかかったらしい。行儀の悪い奴だ。しばらくすると、エレベータドアが開く金属音が耳に飛び込んで来た。広報室に着いたんだろう。

「いらっしゃい」

 直木の声が響いた。藤村はソファに腰を降ろし、応接セットのサイドテーブルにアタシェ・ケースを置き、ソファの反対側にコートを投げ置いた。俺はポケットの入り口あたりに陣取り、耳を澄ませた。直木は藤村の真向かいに座り、葉巻を燻らせていた。

「早速話を聞かせてもらおうか」

 直木が切り出した。

「ワクチンの件ですが、驚くべきことがわかりました。何処かで何者かが製造したワクチンを世界中にばら撒くデリバリー・システムがあるようです」

「一体どんな?」

 直木はしかめっ面で藤村の言葉を待っていた。

「恐らくは最新の超転送システムが使われています。ワクチンの製造場所は全くわからないが、そこから世界各地に向けて大量のワクチンが転送され、世界中に毛細血管のように張り巡らされた配給拠点でゴキブリに対してワクチンの大量投与が行われている可能性があります。ゴキブリが最新鋭の転送システムとワクチンの製造技術を持って我々に対抗しているという図式ですね」

「そんなことがあってたまるか!」 

直木の顔は不信で溢れていた。

「しかし、これはゴキブリにマインド・コントロールを施して、ゴキブリ界に潜入させて得た情報を基にわが社のエキスパートが導き出した精度の極めて高い情報であり、夢想でも何でもありません。ゴキブリは我々人間の想像を絶する超高度な文明を持ち、最高度の技術を駆使していると考えられるんです」

直木は葉巻をくわえたまま、ソファに体を沈み込ませた。

「前にも申し上げましたが、ゴキブリの背後には恐らくそれをバックアップする人間の存在が想定されます」

「人間がゴキブリと共闘して、我々と対抗しているってことか。一体何故人間がゴキブリの味方をするんだ。そんなことをして一体何のメリットがあるんだ。ばかばかしい!」

 直木は葉巻を灰皿の淵で神経質そうに揉み消した。

「例えばゴキブリと人間の混血あるいはハイブリッド的な存在があるとしましょう。ゴキブリが人間に変身したり、人間がゴキブリに変身したりする存在が想定されるかも知れません」

「藤村君。わが社は何もそんな荒唐無稽な報告を聞くためにバカ高いコンサルタント料を支払っているんじゃないよ! そんなでたらめな報告を支社長に上げるわけにはいかん」

 直木がブチ切れた。

「そうおっしゃられても、それが事実であり、今まで起こった一連の不可解な出来事を最もよく説明できる内容です」

 直木は頭を抱えていた。

「そうだとして、一体どうすればいいのか言ってくれ」

「これまで二度にわたり、ミサイル・シリーズの情報が盗まれています。あれほど死守しようとしたミサイルX2の情報まで奪われてしまったのです。どんなに守っても情報は盗まれると仮定した方がこの際良いでしょう。そうすれば、後はワクチンの問題になります。新しい強力な殺虫剤を開発し効果あらしめるためには、ワクチンを転送するシステムを破壊するしかないでしょう。そうすれば、ゴキブリは手も足も出なくなる。ただ、その転送システムの拠点が一体何処にあるのか特定するのには、相当な時間がかかるでしょうし、割増の特別料金が発生します」

 直木の顔は歪んでいた。

「とにかく一緒に支社長に会ってくれ。あんたの口から直接支社長に説明して欲しい」

 直木は立ち上がり、藤村を連れて広報室を出て行った。俺はコートのポケットから飛び出し、階段を通って支社長室に忍び込んだ。

 部屋では支社長の高木が眼をつぶり、腕を組んで藤村の説明に耳を傾けていた。

「信じられんことだな」

 高木が眼を開け、藤村を見つめた。

「ただ、確かに藤村さんの言う通り、そういう説明が、一番説得力があるのも事実だ。よし、社長に結果を報告する。それとデリバリー・システムの破壊費用とやらの決済も仰いでみよう。君、見積もりを早急に上げてくれ給え」

「承知しました。転送システムを破壊するには、拠点が一体何処にあるのかまず捜し出す必要があります。これには定期コンサルティング料とは別に相当費用がかかります。さらに破壊のための費用は別料金になります」

「背に腹は変えられない。とにかく見積もりだ」

 高木の声が部屋に響いた。

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