第8話
久し振りに俺はダンサに顔を出した。
「まあ、ゴキタさん、お久しぶり。さあどうぞ」
ママが奥のテーブル席に案内した。客が居なかったので、多国籍軍が一斉に俺を取り囲んだ。
「皆元気か?」
「ええ、とっても」
一斉に答えが返って来た。ボーイ君がボトルと氷を持って来た。ママが来たので、ホステスが席を空けた。
「どうだね、最近は」
俺は黒光りするスーツのボタンをひとつはずしながら訊いた。
「この頃少し客足が減ったわ。。周囲にも日系の店がちょこちょこ開店したせいかしら」
「浮気者が増えたってことだな」
「ゴキタさんは浮気しないでね」
ママが微笑んで科(しな)を作った。
「M社の連中は来るかい?」
「モガミさんが昨夜いらしてたわ」
「独りで?」
「いえ、ナオキさんとかいう上司らしい人と、サイジョウという若い人と一緒だったわ」
直木と西条が最上と店に現れた。どういう風の吹き回しだろう。最上は広報から追い出された人間で、直木らとは気まずいはずなのに。
「三人はどんな様子だった?」
「楽しく飲んでいたわよ。特にモガミさんは、その上司の人と親しそうだったわ。あっ、そうそう。ミキさんのことで盛り上がっていたわ」
「美樹のことで?」
最上が美樹のことを直木に話したんだろうか。
「モガミさんが今度ミキさんをナオキさんに紹介するって言っていたわ」
「直木に?」
「ええ」
最上の野郎、美樹を使って部長の直木に付け入り、失点を取り戻すつもりだな。美樹を自分で直木に引き合わせようというつもりなのか。考えを巡らしながら、水割りを飲んだ。
「ママ、最上に電話を入れてくれ。俺が会いたがっているって」
「いいわよ」
ママは帯に挟んだスマホを取り出して、コールした。ママの着物の文様に眼をやった。紺色の基調の上に、白波が踊っている。白波に翻弄されるように、紅葉があしらってある。それを見て、美樹に翻弄される直木を連想した。
「近くにいるから直ぐに来るって」
「どんな様子だった?」
「お酒が入っているせいか、上機嫌だったわ」
「そうか」
ママと談笑していると、ドアベルが鳴った。ボーイ君がのぞき窓から客を確認してドアの鍵を開けた。最上だった。
「この前は有難う」
俺の手を握り、大袈裟に振った。
「どうだった?」
最上はOKサインを示しながら隣に腰を掛けた。
「良かったぜ。たまりません、とはあのことだ」
「そりゃ良かった。今度こそ本懐を遂げたな。おめでとう」
「あんな商売女がいるんだね。一回目は一物が一気に蟻地獄に吸い込まれるような感じがしたよ」
最上がママの視線を気にしながら言った。ママは無関心を装うように、席をはずした。
「ところで、五木田さん。頼みがある」
おいでなすったなと思いながら、最上の言葉を待った。
「直木部長を美樹さんに紹介したいんだが、仲介してくれないか?」
最上は俺の横顔をじっと見つめながら、反応を探っていた。
「直木さんという人を俺は知らない。紹介はできないな」
わざと素っ気なく、言い放った。
「部長を紹介するからさ」
「風の噂では、今回の件で直木部長は俺をとことん疑っているそうじゃないか。情報を漏らした張本人だと決め付けてかかっているそうだな」
最上の困惑した表情を、眼の角で感じ取った。
「実は、もう部長に約束しちまったんだ。だからさ、頼むよ!」
「それはあんたが勝手にしたことだからな。いずれにしても、こちらにも何かそれ相応のメリットがないとな。わかるだろう?」
俺は最上の眼を見つめた。
「例えば、どういうことなんだい?」
真顔の最上がいた。
「俺は部長に疑われているんだ。だから、その疑惑を晴らしてくれれば、検討しなくはない」
「それは・・・・・・」
「難しいならいいよ。どっちみち、俺は清廉潔白だからな」
「・・・・・・」
最上は何かを必死に考えるように下を向き、半分残っている水割りのグラスを神経質そうにカタカタと鳴らした。
「俺に対する疑惑はそう簡単には晴らせないのはわかっている。だとすれば、メリットをくれるのは最上さん、あんただ」
「一体どういうこと?」
「美樹を動かせるのは俺しかいない。あんたは部長にいい目をさせて、失地を回復しようとしているのはわかっている。だから、俺が美樹に部長のお相手をするように仕向けて、表向きはあんたの力で美樹を部長に紹介したようにして協力するから、それと引き換えに、必要な時にマル秘情報をこちらに渡すことを約束してくれ。これなら双方にメリットがある話だろ」
「どんな情報がいるんだ?」
「今すぐには言えないが、とにかく必要に応じてだ。さあ、どうする?」
黙って考えに耽っていたが、最上はおもむろに顔を上げた。
「よし、こうなればお前のいうとおりにする。俺も直木部長の力でまた広報に戻りたい。外回りの営業なんて真っ平ご免だ。出世コースに返り咲きたい。だから、美樹さんのことは頼んだぞ」
「よし。話は決まりだ。念のため、一筆書いてくれ。今じゃなくてもいいから、支局に郵送してもらってもいい」
「トイレにいって今すぐに書いてくる。ちょっと失礼」
最上は足をふらつかせながら、トイレに立って行った。
「何のお話なの。二人ともえらく難しい顔をしていたわ」
ママが席に戻り、向かいに座った。
「男の世渡りの話さ。さあ、飲むぞ!」
ホステスが呼ばれ、二人の新しい水割りを作り始めた。
「ゴキタさん、久し振りに歌ってよ」
ママが多国籍軍の一人に、マイクを渡すように指示した。
倉田の伴奏で歌い終わり席に戻った時、トイレから戻った最上が俺のポケットに紙片を滑り込ませた。俺はポケットの上をポンとたたき、最上に微笑んだ。
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