第7話

 ある夜を期して、M社から機密情報を盗み出す工作に取り掛かった。良枝には本社から来る役員の随行でボストンに数日出張すると言い残し、ゴキブリに姿を変え、ボッカと共にマンハッタンにあるM社ニューヨーク支社に忍び込んだ。

 灯りの消えたビル六階の廊下には、ガードマンの靴音が響き、時折懐中電灯の凄まじい明かりが廊下や部屋の中を照らし出していた。

「機密情報の在処はわかっているのか?」

 ボッカが辺りを見渡しながら訊ねた。

「探った限りでは、この階にある広報室だ。オリジナルはなくても、資料作りのためにコピーを持ち出しているはずだ。とにかく捜してみよう」

 ボッカと広報室に向かった。部屋は真っ暗で、入り口には鍵がかかっていた。ドアと床の隙間を通り抜け、頭に装着したペン・ライトを頼りに部屋の中を探索していった。デスクの上に西条と書かれた名札があった。

「最上の後釜になった広報マンのデスクだ。ここから捜してみよう」

 鍵のかかったデスクの全ての引き出しに、サイレンサーを仕組んだ超小型リモコン爆弾を仕掛けた。

「ボム!」

 鈍い小さな音がし、全ての引き出しでキーが壊れた。引き出しの中に入り、それらしいものがないか、物色していった。

 廊下の方で突然大きな音がした。

「ガードマンの巡回だ」ボッカに囁いた。巨大な怪物でも接近しているような足音が迫って来た。ドア・ロックを開ける騒音がしたかと思うと、部屋の闇をぶった切るように閃光が走った。俺とボッカは資料の紙の下に身を隠した。

 強烈な光がしばらく部屋の隅々を照らし出していた。再びドア・ロックが閉められた。

「さあ、捜そう」

 再びファイル資料の隙間に入り込んだ。

「どうだ? ありそうか?」

「いや、見つからない。ここにはないんじゃないか?」

 結局、西条のデスクで機密情報は見つからなかった。

「以前は最上が広報資料を把握していたから、同じクラスの西条のデスクに保管されていると思ったけど、ひょっとしたら管理が厳重になって、部長クラスでないと保管出来なくなったのかも知れないな。と、すれば、あのデスクだ」

 俺は一回り大きな広報部長・直木のデスクを指差した。爆破し開いてみたら、USBをいくつか収めたケースがあった。俺は持ち込んだ超ミニパソコンを標準サイズに変えるパソコン内蔵の特殊ボタンに触れ、電源を入れた。たちまち標準サイズのノート・パソコンが姿を現した。これも帝国の超ハイテク秘密兵器だ。二匹とも人間に変身し、ケースから順にUSBを取り出して内容をチェックしていった。間もなく『ミサイルX2広報関係』というタイトルのUSBが見つかった。

「これだ!」俺はパソコンに情報を全て取り込んでから、パソコンもろとも超ミニ化したものをリュックに詰め、USBを直木のデスクにあったケースに戻しておいた。

同じ階にある保安室では、M社ニューヨーク支社の入っているビルの六階から十階までの各部屋を監視するモニター・カメラが回り続けていた。モニター監視をしていたガードマンが、真っ暗な広報室のデスク付近で微かな光が断続的に点滅したり、揺れ動いたりしているのに気付き、同僚に声を掛けた。

「おい、あれは何だと思う? 何かの光が点滅してるだろ?」

 同僚も一緒になり、モニターを見つめた。

「何だろう。あれは位置からして、広報の直木部長のデスク辺だ。念のため調べてみよう」

 ガードマンは懐中電灯を持って広報室に急いだ。しばらくして広報室に向かい、再び巨大な怪物が接近して来るような足音が迫って来た。

広報室のドア・キーが開けられ、懐中電灯の閃光が暗闇を煌々と照らした。直ぐに部屋の照明が一斉に灯り、部屋の中は光の渦になった。ガードマンが二人、大きな靴音を響かせて広報部長のデスクに走り寄った。

「あっ、引き出しが全部開いているぞ!」

「何か無くなっていそうか?」

「それはわからんが、引き出しのキー辺りが黒くなって全部壊されている」

「西条さんの引き出しも同じだ!」

「おい、緊急だ! 直木部長の家に電話を入れて事情を報告するんだ」

「了解!」

 ひとりのガードマンが部屋を飛び出して行った。残ったガードマンが引き出しの辺りを細かく調べていた。

 しばらくしてガードマンが戻って来た。

「連絡した。これから社に来られるそうだ」

「引き出しは何かが爆発してこじ開けられたような跡があるな。でも、爆発音はモニターでも聞こえなかったしな」

「引き出しから何かを盗み出そうとしたのは間違いないだろう」

「でも、おかしいぞ。ここに人が入れば、絶対にモニター・カメラに映るはずだ。それに鍵もかかっていたし。おい、念のためもう一度モニター画像をチェックしてみよう」

「引き出しは閉めておこうか?」

「いや、直木部長はそのままにしておいてくれ、ということだった。明日、部長立会いの下で、再チェックしよう」

 部屋のドア・ロックが閉められ、ライトが落とされて、ガードマンは去って行った。

「寸でのところだったな。よし、とりあえず今日はここまでだ。支局で機密情報をチェックしてみよう。また明日の朝早く引き返して来るぞ」

 俺は超ミニパソコンの入ったリュックを担いでボッカとM社を出た。


翌朝M社広報室で緊急ミーティングが開かれた。俺とボッカはプリンターの陰で耳をそばだてていた。直木が口火を切った。

「何者かが広報室に侵入し、引き出しの中を漁ったことは間違いがない。しかし、保安室のモニターには何も映っていなかった」

「一体どういうことなんでしょうね」

 西条が首を傾げた。

「君と俺の引き出しが、何か爆薬のようなもので開かれた形跡がある。爆発のようなもので生じたらしい、焦げた跡と歪みがあっただろう? 恐らく狙いはミサイルX2の機密資料に違いない」

「でも、USBは無事だったんでしょう?」

「覗かれた可能性はある」

「産業スパイか何かですか?」

 西条が直木を見つめた。

「とにかく人間がこの部屋に入れば、保安室のモニター・カメラに姿が映ってしまう」

「じゃ、幽霊が現れたとでもおっしゃるんですか?」

「ばかなことを言うな。それにしても、この前のミサイルXの時と言い、今回と言い、不思議なことが多すぎる。あの時はゴキブリの体内から、ミサイルXの効き目を無効にするワクチンが発見されている。そんなものがゴキブリの体内に自然と存在するはずはない。しかも、サンプルは世界各地で採られたものだ。か、と言って全世界のゴキブリに一匹ずつワクチンを埋め込むなどということは絶対に不可能なことだ」

「これからどう致しましょうか?」

 西条が直木の顔色を窺った。直木の顔には不敵な笑みが浮かんでいた。

「USBの中身は試作品で失敗したものの資料だよ。こんなこともあろうかと、わざとニセ資料を放り込んでおいたんだ。それに何処かのバカが食いつきやがった」

「そうだったんですか。さすが部長!」

 直木は部下と大笑いした。直木にはめられたことを知り、俺は地団駄を踏んだ。

「ということは、本物は何処に保管されているんですか?」

直木はその質問には答えずに、部下に注意を促した。

「ミサイルXの時には極秘資料が事前に洩れていた。うちの社員がうかつにも放送局の五木田という人間に資料を渡してしまったことがわかっている。五木田がそれを誰か他の人間や組織に流したのか、あるいは己で使ったのかまではわからない。本人は頑なに否定しているそうだが、怪しいものだ。いずれにせよ、絶対にあの五木田という人物には近付くな。ましてや、事前に極秘資料を見せるなんてことは間違っても無いように。あいつは限りなくクロに近いと俺は睨んでいる」

 部員がお互いの顔を見合いながら頷いた。

「もしその男が記者発表に現れたらどうするんですか?」

 若い部員が直木に訊ねた。

「それは仕方ないだろう。あの局だけ立ち入り禁止になり、発表資料を渡さないとなれば、マスコミのことだ。不当差別だと騒ぎ立てるだろうからな。いずれにしても狙いは新型殺虫スプレーの中身、すなわち詳しい成分表だろう。それについては配る資料には載せないし、質問が出ても一切答えない」

「記者発表はいつ頃になるんですか?」

「大体、四月初めをメドに広報することになるだろう」

 俺はそれまではとても待てないと思った。より強力な「殺虫兵器」の開発を、手をこまねいて見過ごすわけには絶対に行かない。帝国の諜報部員の威信にかけても、成分表を入手して同胞を守らなくてはならない。しかし、直木は口が堅そうだ。最上を反面教師にして、部内の人間にも、詳細を知らせようとはしない。当然己の昇進がかかっている事項だ。慎重にならざるを得ないのであろう。

 俺はボッカとミーティングの成り行きに神経を尖らせていた。

 しばらくして、直木が支社長の高木に呼ばれた。俺はボッカと直木の後を追った。

支社長室は十階にあった。部屋に滑り込んだ時には、直木と高木の秘密会談が始まっていた。マンハッタンを見下ろす明るい窓に囲まれた支社長室の真中にあるソファで、高木は直木の報告を受けていた。俺はソファの下に潜り込んで、聞き耳を立てた。

「侵入者は誰かわからないが、とにかくミサイルX2の機密資料を狙ったことは間違いなかろう。本物の資料の保管は大丈夫なんだろうな?」

 高木が直木を睨んだ。

「侵入者があれば、二十四時間センサーで感知し、警報が鳴るシステムを稼動させている部屋ですので、ご安心下さい。猫の子一匹通れません」

猫はまだしも、ゴキブリはどうなんだ? 俺もボッカも笑いを堪えていた。

「そんな部屋がうちにあったかな?」高木が尋ねた。

「九階のルームAです」

「ああ、あの部屋か。あそこにそのシステムを稼動させたわけだな」

「たとえセンサーを突破されたとしても、重要資料はUSBの状態で大金庫の中に入れてありますので、取り出せません。これで新製品の販売以降も完全に機密資料として封印されることになります」

「よし、それじゃ頼んだぞ。俺から社長に報告を入れておくからな」

「支社長、警察への連絡はどういたしましょうか」

「何者かが侵入したのは気になるが、特に盗まれたものもないから、連絡は要らない。警察にヘタに目をつけられると、かえって難儀だからな」

 直木はソファから立ち上がり、高木に最敬礼をして支社長室を出て行った。

「えらいところに保管されているな。まるでルパン三世から世界最高のダイヤモンドを守るための警備みたいだ」

「ブリ蔵、腹が減ったな」

「そう言えば、昨日から何も食べていないな。よし、一階にレストランがある。そこの厨房で食事をしよう」

 ボッカと一階に降りて、厨房に潜り込んだ。コックが数人、開店の準備にとりかかっていた。気付かれないように、料理台の上に転がっている野菜クズやこぼれたスープをいただいた。食べながら二匹は作戦会議を開いた。

「センサーは潜り抜けられるとしても、金庫が厄介だ。正面切っては、どだい無理だからな」

「爆薬を使うにしても、部屋は照明の下で一日中モニター監視されている。目立ったことは出来ない。さて、どうするか」

 ボッカが腕を組んだ。俺が口火を切った。

「モニター・カメラに目隠しをして、しばらく中の様子がわからないようにする。当然ガードマンはその時点で異常に気付くだろう。しかし、六階から九階の部屋まで駆けつけるには、少なくともあいつらの足で一分はかかるだろう。その間に事を運ぶ。爆薬で金庫のドアを開き、USBを取り出して、二人でドア下の隙間から運び出す。その頃には大騒ぎになっているだろう。その騒ぎに乗じて、逃げるというのはどうだ?」

「金庫の中がどうなっているかが問題だ。直ぐにUSBが見つかるかどうかだ。X線モニターで中を調べてからにしよう。USBを廊下まで運び出したとしても、ちょっとしたサイズだから人目につき易い。それをどうするかだ」

「その前にルームAの構造を調べよう。窓があるかどうか」

「窓があったとしても、恐らく開く窓じゃない。爆破している時間は無いから、叩き割るしかなかろう。そうなれば、ゴキブリの状態では不可能だ」

「だったら人間に戻って、ガラスを叩き割るというのはどうだ。そうすれば、USBなんてポケットに放り込めるぞ。そのあとでゴキブリに戻って飛び降りりゃいいさ」

 作戦が固まった。下準備として部屋に忍び込んで調べたところ、はめ殺しの窓が一箇所あった。金庫の中にはドル札の束が山積みされ、傍らにUSBが一枚置かれていた。我々は夜の帳が降りるのを待った。

 午後九時、猫の子一匹通れないというルームAに二匹のゴキブリがドアの下から侵入した。センサーを潜り抜け、二匹は金庫の扉にへばり付いた。一匹が扉に爆薬を仕掛け、リモコンで扉を爆破した。

「ボム!」サイレンサーで爆発音は極力抑えられていたが、途端にセンサーが稼動して保安室に異常を知らせた。

「おい、ルームAだ!」

 ガードマンが色めき立ち、保安室から全速力で走り出た。

 二匹のゴキブリはUSBを床に置き、俺がたちまち人間に変身した。帝国オリジナルの特殊破壊棒ではめ殺し窓を叩き割り、USBを持って窓から飛び出し、飛行した。

 ガードマンが部屋に入って来ると同時に、一匹のゴキブリが部屋から飛び出して行った。

 窓から飛び出した瞬間に俺はブリ蔵に変身し、羽を広げてUSBを抱きかかえるようにして空中を飛び降りて行った。USBは風に揺られてヒラヒラと落下し、俺は羽を精一杯震わせて抵抗を作りながらゆっくりと降りて行った。地上に降り立ち、周りに人が居ないのを確認して再び人間に変身し、地上に置いたUSBをジャケットのポケットに滑り込ませ、ビルの前でボッカを待った。

「USBは無事か?」

 いつの間にか、ボッカがズボンの裾にへばり付いていた。

「作戦成功だ」

「やったぞ!」

 一人と一匹はタクシーを拾い、支局に向かった。

 支局のパソコンにUSBを突っ込み、中味を開いた。複雑な計算式やグラフがびっしりと詰め込まれていた。詳しい成分表がある。間違いなく本物だ。帝国の研究開発室あてに至急メールを打つ準備をし、USBの中味を添付して送った。これで成分表を基にワクチンが製造される。ワクチンが世界中に配られ、同胞が装備する。新型殺虫剤・ミサイルX2撃沈だ!

 支局の部屋でタバコを取り出し、火をつけた。まだゴキブリの姿のままで肩に乗って触覚アンテナを振るボッカと一緒に摩天楼の光の渦を眺め、帝国に思いを馳せた。

  

 夜明け前からM社は騒然としていた。支社長の高木がデスクに足を乗せてふんぞり返り、全支社員の前で吠えまくっている。

「二十四時間センサーで感知し、警報が鳴るシステムを稼動させているから安心だと? 猫の子一匹通れませんとはよく言ったものだ。たとえセンサーを突破されたとしても、重要資料はUSBの状態で大金庫の中に入れてありますので、取り出せませんだと? 資料は封印されただと? それならこの様はどういうことだ! 説明し給え!」

 高木は先日広報部から極秘資料を守る対策の説明を受けた時のメモを順に読み上げながら、広報部員を睨みつけていた。

「誠に申し訳ございません!」直木が深々と頭を垂れた。つられて広報部員も直木に従った。

「この分では、新製品の記者発表はおろか、販売の大幅な延期をせざるを得ない。もしも前回のような失敗を繰り返せば、わが社の信頼は地に落ちる。早速社長に事態の緊急報告に入るから、君らはこれから一体どう対応するのか考えろ! 徹底した真相の究明にかかれ! いい加減なことでは済まされんぞ! わかったな!」

「ははあ!」

 直木ら広報部員はコメツキバッタのように、平身低頭を繰り返した。

 

早速お抱えのコンサルタント会社・Kコンサルティングの担当者・藤村が呼び込まれ、M社は緊急対応の検討に入った。

直木が口火を切った。

「目に見えない何者かがセキュリティを易々と潜り抜けて、ターゲットの極秘資料を盗み出している。犯人は誰かということだが、人間技とはとても思えない」

「姿の見えないというのがどうも気になります。人間がリモコン操作で事に及んでいるのか、あるいは人間以外の何かが現場で動いているのか、いずれかしかないでしょうね」

「人間以外というのは?」

「ここは殺虫剤メーカーです。敵とすれば、例えばゴキブリとか、ハエとか」

「ゴキブリがそんな知能を持ち合わせているとでもいうのか? そんなことは考えられない」

「例えば、ゴキブリ集団の背後に、人間のコンサルタント集団がいるとかが考えられます」

「ゴキブリと人間が共闘しているとでも? ばかばかしい!」

「そういうことまで想定しないと、今まで起こった一連の不可解な出来事は説明不可能です」

「百歩譲って、もしもそうだとすれば、どんな対処が可能になるんだ」

「ゴキブリのスパイを放つんです」

「ゴキブリのスパイだって?」

「マインド・コントロール専用のチップを埋め込んで人間が操作できるゴキブリを作り、ゴキブリの世界に送り込むんです。そして、内情を探らせてみるんです」

「そんなことが出来るのか?」

「今までやったことはありませんが、やろうと思えば出来ないことはない」

「うまく機能するのかね?」

 直木は不信感を露にしながら、藤村を見つめた。

「やってみるしかありません。今や事態はそういうことまで試してみないと、解決出来ないところまで来ています」

「ゴキブリをマインド・コントロールすると言ったね?」

「そうです」

「コンサルタント料は如何ほどになるんだ?」

 直木が不安げな表情で尋ねた。

「お高くなります。何しろうちが抱えている専門家集団の特命事項になりますので」

「とにかく見積もりを出してくれ。支社長と協議しないと」

「結構です。予算をはじいてみましょう」

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