第5話

 日頃は日本の放送マンの顔をして、アメリカの最先端メディアを取材し、本社にリポートを送っている。勿論それはあくまで表の顔に過ぎない。ある日メディアの大物のインタビューを済ませ、ハーレムのアポロ劇場前からタクシーで支局に向かった。運転手はインド人だった。オレンジ色のターバンを巻き、あごひげが密林状態だった。俺はこいつをターバンと呼ぶことにした。

「ターバン、グランドセントラルターミナルだ。グラセンまで行ってくれ」

 ターバンは黙って車を転がし始めた。しばらくすると道が違うのがわかった。

「おい、何処に行くつもりなんだ。グランドセントラルだぞ」

 俺は後ろから声を浴びせた。

「おいら、今日初めてイェロー・キャブに乗っただ」

 ターバンがのんびりとした口調で言った。道理で危険なハーレムを流していたんだ。普通のイェロー・キャブは近寄らないからハーレムでは拾えないもんな。

「グラセンは知っているのか?」

「いや、知んねえ」

「知らないのに、何故車を出したんだ? 何処に行くつもりだったんだ?」

「お客さん、道案内してくんろ」

「ふざけた野郎だな。よし、次を左に行け。パーク・アベニューまでだ」

 タクシーはのろのろと左に折れて、東に進んだ。

「ターバンはいつニューヨークに来たんだ」

「きんの」

「昨日ニューヨークに来て、もうタクシーに乗っているのか。大した度胸だな」

「全てはヒンズーの神々の思し召しだ」

「ヒンズーの神だって? ふざけるな」

「あんたは何を信じておるか?」ターバンはバックミラーで俺を見た。

「ゴキブリ教だよ」

「ゴキブリ教だって? 世間は狭いな。俺のアパートはゴキブリだらけだ。あんたの仲間と同居している」

「大切にしてやってくれよ。連中は心やさしいからな」

「そんなものかい?」

 ターバンは驚いて、再びバックミラーを覗いた。

「ああ、そんなものだよ」

「そう言うとあんたはゴキブリみたいだな。その赤茶色の光るコートはアパートのゴキブリの色そっくりだ」

「あんたはアメリカ・ゴキブリと暮しているのか。連中はレストランやベーカリー、ペット・ショップなんかにたむろしている。食べ物が調理され、蓄えのあるところには必ずいる。触覚アンテナは結構立派だろ?」

「そうさな」

タクシーはパーク・アベニューを下り、グランドセントラルターミナルに着いた。

「よし、ここで降りる。取っておいてくれ。大奮発だ!」

 チップにと、料金とは別に五ドル札をターバンに渡した。

「本物かい?」

 ターバンが紙幣を透かして確かめた。

「本物に決まっているだろ。米ドルを一からちゃんと勉強しときな。でないと騙されるぞ。ターバン、同居のゴキブリ諸君によろしくな!」

 俺はさっさとキャブを降りた。冷え込みが厳しい。思わずコートの襟を立てて、顔を覆った。


支局での仕事を終え、ダンサでひと騒ぎしてから近くにある日系のスナックを覗いた。阪神タイガースの半被(はっぴ)を着たママが、客の高村とトランプをしていた。高村は大手銀行ニューヨーク支店の副支店長である。

「あら、五木田さん、いらっしゃい。何にする?」

 大阪出身で阪神ファンのママが訊ねた。

「ジェントルマン・ジャックの水割りだ。それとヤキソバをもらおうか」

 テーブル席に腰を降ろした。高村がグラスを持って近付いて来る。足元が危なっかしい。

「ハイ、ご機嫌・・・麗しく・・・ね」

 高村は乾杯の真似をして、ふらつきながら隣に座り込んだ。

「ダンサ・ママは元気か?」

 いきなり高村が訊ねた。

「ああ、さっき店で会ったばかりだ」

 酒癖のよろしくない高村にばったり会うなんて、店の選択を間違ってしまった。俺もひとりでゆっくり飲みたい時もあるんだ。

高村は日本国内の支店を家族と転々とした後、ニューヨーク赴任になった。国内最後の赴任地は長崎で、響子という娘さんの受験のため初めて単身赴任をした。その頃から酒に溺れるようになったと話したことがある。

単身のニューヨークで、高村は寂しさからか益々酒に溺れて行った。ダンサの常連だったが、客とのトラブルが絶えず、ダンサ・ママから出入り禁止を宣告されている。

「高村さん、もうそろそろ帰る時刻だよ」

 高村は首を縦に振らない。

「ここで会ったが百年目だ。五木田さん、さあ飲み明かしましょう」

 そう言うと、ウィスキーのダブルをゴクンと飲み干した。

「ママ、もう一杯!」

 とろんとした表情でテーブルの上で腕を組み、頭を横たえた。

「今日はおしまい。さっさと帰ってよ」

 ママが水割りとヤキソバを手に、眠り込んでしまいそうな高村に声を掛けた。

 俺はヤキソバを流し込むように頬張った。ママは高村を眠らせまいと、体を揺すっていた。ヤキソバを食べ終わり、水割りに口をつけた。

「ああ、うまい。満腹感の後のテネシーウィスキーは最高だな」

「起きて! ねえ!」

 高村は眠り込んでしまったようだ。

「しょうがない奴だ。ママ、俺が送って帰るよ」

「申しわけないわね」

 半被を脱ぎながらママが言った。リムジン会社に電話を入れ、セダンを一台頼んだ。

 郊外にあるマンションまで送る途中、高村は死んだように眠っていた。酒癖さえ良けりゃ楽しく酒が飲めるのに。車内の薄灯りに照らし出された高村の穏やかな寝顔を眺めていると、裏稼業が殺し屋とは信じられない。昼間はエリート・サラリーマンで、夜はとんでもない酔っ払いの男が。

 高村がまだ出入り禁止になる前、俺はダンサで高村と初めて出会った。酔えば人に突っかかる癖のある男が、何故か俺とは気が合った。ある時ニューヨーク郊外にある森にハンティングに行こうと誘われて、初めて一緒に出掛けたことがあった。その時高村が銃に対する激しい情熱家であり、天才的な腕を持っていることを目の当たりにした。工作活動で協力してもらうことがあるかも知れない。そう思うところがあって、俺は高村と夜の世界で付き合って来たのだ。

目を窓外に転じた。あと十分くらいで高村の住むマンションに着く。凍りつきそうな夜だった。俺はコートの襟を立て、顔を覆った。


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