第3話
帝国では俺が入手した成分表を基に、ワクチンの開発が急ピッチで進んでいた。大量生産されたワクチンは帝国の秘密ルートを通じて世界各国にいる同胞の許に届けられ、体内へのワクチン装備が一斉に開始される。
M社が誇る強力ゴキブリ駆除剤ミサイルXは広告媒体を通じて一大PRキャンペーンを展開し、世界中のマスコミで大きな話題になっていた。販売が開始されるや否や、飛ぶように売れ、最上は鼻高々であった。
しかし、しばらくするとアメリカや日本など各国のM社のお客様相談室に、苦情が怒涛のように押し寄せて来た。ワクチンの効き目が世界的に広がったのだ。
(ミサイルXを試してみたが、ちっともゴキブリが死なない。逆に増えたような気がする。欠陥商品じゃないのか)
最上も苦情の対応に追われた。マスコミも動き出し、最上は連日のように記者から質問攻めにあった。
「ミサイルXに対する苦情が殺到していますが、どう対応するんですか?」
「現在原因調査中で、コメントは差し控えます。本社と緊密な連絡をとり・・・・・・」
「これは大問題ですよ。消費者の期待を完全に裏切ったことになる。メーカーとしての責任は一体どうとるつもりですか?」
「今申しました通り、当社といたしましては事態の把握に努めている最中でして・・・・・・」
最上の日頃の甲高い声は何処かに失せていた。
マスコミだけではない。今度は本社営業部長の森屋が国際電話をかけて来た。
「社長は激怒されている。早急に原因を調査し報告せいということだ。俺はこれからニューヨークに飛ぶから、S社のマッキー部長に連絡し、至急アポを取ってくれ! このままではわしの首が飛ぶ!」
ミサイルXに欠陥か。消費者の苦情相次ぐ
新聞に大見出しが飛んでいる。ネットワークテレビも大きく取り上げている。
マスコミの反応を確かめているところに、最上から俺に電話が入った。
「もうぶっ倒れそうだよ。ところでね、本社の森屋という部長がニューヨーク入りするんだ。勿論今回の緊急案件のことで出張して来るんだが、顔を強張らせている部長を何とかお慰めしたい。提携先との会談が終わったら、お付き合い願えませんかな」
「どうすりゃいいのさ? 森屋さんはマスコミの人間と会うのは嫌がるんじゃないの?」
「部長は責任を取らされて更迭必至なんだ。だからニューヨークでいい目をさせてあげたい。そこで例の美樹さんを部長に紹介してくれないかな」
「おいおい、最上さん、あんたのせいで美樹の信用をすっかり失ったんだよ。面目丸つぶれだ。こっ酷く叱られたよ。おまけに、あんたがいびきをかいて眠り込んでいる間に部屋にゴキブリが出たらしい。あのホテルはもう二度と使わないって大変な剣幕だった。もっともゴキブリの方は最上さんのせいじゃないけどね」
そう言いながら、俺は噴出しそうになった。
「いや、申しわけない。身から出た錆だ。許してくれ。俺もどれほど無念だったことか。思い出すたびに悔しい」
「まあ、そうめげなさんな。美樹に話してみるよ。日頃お世話になっている最上さんの頼みだからな」
電話口でペロリと舌を出してみた。ミサイルXの件では最上が提供してくれたデータが同胞を危機から救ったのだから、あながちお世辞ではない。これからのこともある。
「森屋部長の用件が済んだら、また連絡してくれ。お疲れが出ませんように」
俺は電話を切った。
提携先の企業との対策打ち合わせなどアメリカ出張の仕事が一応終わり、森屋は最上と一緒に待ち合わせ場所の日本料理店に現れた。
「ミサイルXの件ですが、何かわかりましたか?」
俺は早速探りを入れた。
「ミサイルXが何故全く効かないのか、その原因を探るためにS社でアメリカ・ゴキブリを別の方法で殺し、死骸のサンプル分析を進めています。その分析の報告がもう間もなく入ることになっているんです」
森屋が背広の胸ポケットからスマホを取り出し、刺身料理の横に置いた。
「死骸から何かわかりそうですか?」
「とりあえず原因のヒントでもわかればね。S社も今回の事態を非常に憂慮していましてね。何年もかかった開発の費用は莫大だし、全く売れないとすれば、損害は計り知れないわけです」
さぞ苦虫を噛みつぶしたような表情だろうと森屋に目をやると、熱燗を口に運ぶ眼には輝きさえ感じられた。
「美樹さんとかいうステキな女性を紹介していただけるそうですな。楽しみにしていますよ」
俺は笑みを返し、酒を酌み交わしながら分析報告の電話を待った。
しばらくして、森屋のスマホが鳴った。英語が得意な最上が代わりに電話に出た。受け答えをする最上の表情に緊張が走っていた。電話は十五分ほど続き、最上の顔に困惑の度が深まっていた。
「何だって言っている?」
最上がスマホを切り、森屋に返した。
「信じられない事実がわかりました。死骸の中からミサイルXを無効にするワクチン状の成分が見つかったそうです。それは本来ゴキブリの体に備わっているものじゃなく、新たに人工的にゴキブリの体内に埋め込まれたもののようだということです」
「ミサイルXに対抗するワクチンをゴキブリが前もって体内に備えていたとでもいうのか。そんなばかな!」
森屋も最上も首をひねっていた。
「信じられないことだが、いずれにしても何故ミサイルXが効かないのか原因らしきものはわかった。早速本社に報告を入れて来る。君も一緒に来てくれ」
「じゃあダンサでお待ちしていますから」
俺は二人を見送った後支局に戻り、ワクチンの存在が発覚したことを知らせる緊急メールを帝国に送った。ワクチンの存在がわかったとしても、何故同胞の体内にワクチンが入っていたのかはそう簡単にはわからないから安心するようにという内容だった。
ダンサに行くと、美樹が水割りを片手にタバコを吸い、ダンサ・ママと談笑していた。ママが席を立ち、俺は美樹の隣に腰を降ろした。
「マニラ封筒受け取ったわ。サンキュー。それと最上さんの件、倍増しのギャラを振り込んでくれたのね」
美樹がタバコを灰皿でもみ消しながら微笑んだ。
「とんでもない客を紹介した迷惑料と思ってくれ。それで、今夜のお相手は大会社の部長さんだ。今仕事オンリーで大変だから、君のバディで仕事を忘れさせてあげてくれ。ギャラは明日振り込むから」
美樹は科(しな)を作り、頷いた。
翌朝、新聞の一面に続報の大見出しが載っていた。
ゴキブリの体内から殺虫剤を無効にするワクチン発見!
記事を読み進むと、S社とM社に対する謀略説や、どのようにしてゴキブリの体内にワクチンが挿入されたのかについて、憶測記事が乱れ飛んでいた。捕獲して殺したゴキブリのサンプルは両社の世界ネットワークを通じて世界各地で採られ、分析の結果全ての死骸からワクチンが発見されていた。全世界のゴキブリに一匹ずつワクチンを埋め込むなどということは、絶対に不可能である。一体どうしてそんなことになったのか、謎は深まるばかりと結ばれていた。
俺は新聞を閉じ、最上に電話を入れた。
「どうだい、部長様は美樹とよろしくやったのかい?」
「とろけるようだったとご満悦さ。それにしても俺は無念だ」
「女と致す前に酒を飲み過ぎるからだよ」
「もう一度というのは無理だろうな?」
「だめだ。美樹は大恥をかいたんだから、彼女のプライドが許さない」
電話の向こうで、最上は沈黙していた。
「今夜部長が返礼をしたいと言っている。時間取れるか?」
最上の甲高い声が耳に飛び込んで来た。その夜は良枝と家族で食事に出かける約束をしていたが、俺はいつものように仕事付き合いを優先した。
タイムズスクエアー近くの寿司バーを覗くと、二人の姿があった。最上は無表情で顔を合わそうとしないので、森屋に声をかけた。
「部長、昨夜はお楽しみだったそうで」
「美樹さんはすばらしい。さすが一流のコールガール。ニューヨークの女にしたいもんです」
森屋が鼻の下を大きく伸ばした。
「ところで五木田さん」
森屋の表情が一転曇った。
「最上があなたに例のミサイルXの詳しい成分表を渡したそうですね。あれは社外秘なんですよ」
最上は顏を伏せたまま沈黙していた。
「まさか社外秘の資料を何処かにお流しになったというようなことは・・・・・・」
森屋が俺を穴の開くように見つめた。
「断じてありません。そんなことをするはずがないでしょう。あくまで、取材の参考資料として特別に預かっただけです。疑っておられるのですか? 何でしたら支局のファイルに保存していますので、そっくりお返ししますが・・・・・・」
「誰の仕業かわからないが、詳しい成分表が洩れたのが今回のワクチンに関わっているのではないかという見方が出て来ましてね。参考に伺った次第です。お気を悪くなさらないで下さい」
表情から読み取れるものはないか確かめるように、森屋は俺を見つめたまま寿司をつまみ、ビールを口にした。
「最上が社内ルールに違反したのがいけないんです。彼には責任を取ってもらいますが、御社を疑っているわけではありませんので」
森屋が場の雰囲気を和らげようとしているのがわかった。
最上は相変わらず下を向いて黙っていた。この分じゃ今後成分表など重要データは奪い取るしかなさそうだ。
「さあ、どんどんやりましょう。わたしは明日ニューヨークを離れますんで。色々とお世話様でした」
森屋は日本流に俺のコップにビールを注いだ。
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