第八話(エピローグ)

「う、う、うわーッ」

 少年がランプも忘れて廊下を駆けて行く。

 その後ろから黒い人影が二つ。

 パニックを起こす少年に対して黒い人影は冷静だ。沈着に距離を詰めていく。

 この廊下は一本道だ。少年の行く先に逃げ場はない。

 少年は一つのドアの前に立つとガチャガチャとドアノブを回した。

「早く、早くッ」

 体当たりするようにしてドアを開け、部屋に飛び込む。

『カチッ』

 鍵が閉まるラッチの音。

「突入します」

 先にドアの前まで追いついたウェンディが剣呑な事を言う。

「ああ」

 直後、ウェンディはそのドアを一撃で蹴破った。


+ + +


 ダベンポートとウェンディがそこに見たのは異様な光景だった。

 部屋中に焼けた肉と軟膏の匂いが充満している。

 ベッドの上には包帯に巻かれた少年の姿が一人。

 不思議なことに、その包帯のところどころからは湯気のような白い煙が立ち上っていた。

「アーロン君、だね?」

 ダベンポートは包帯の方の少年に訊ねた。

 少年が黙って首を縦に振る。

 その目は錯乱し、動作はまるで人形のようだ。

「助けてっ」

 逃げてきた少年は叫んだ。

「助けてっ、助けてっ」

 腰が抜けて尻餅をついた姿で後ろに逃げていく。

「ああ。君たちが全てを話せばね」

 そんな二人の様子を冷たく見下ろしながら、ダベンポートは静かに言った。

…………


 その日、エリック、ショーンはいつものようにアーロンの部屋で酒を飲みながら、三人で『シンジケートの日誌』を回し読みして楽しんでいた。

 つまみは厨房から盗んできたソーセージやチーズ、腿一本の大きな生ハムの枝。これを大きく切って、火で炙りながら飲むウィスキーは最高だ。

「しっかし、チャーリーの時は最高だったな!」

 頰を赤くしたアーロンが笑う。

「目が飛び出すとは思いませんでしたよね」

「顔なんか紫色になっちゃってな」

 ハハハハハ……

 三人で笑う。

「しかし、人数が減ってきたな」

 アーロンは『シンジケートの日誌』のページを繰りながら二人に言った。

「そろそろまた増やさないとな」

「今度はもっと下級生がいいかも知れませんね」

「ションベンちびりそうな奴な!」

「ハハハ……」

 ショットグラスのウィスキーをアーロンが煽る。

 と、ウィスキーが笑った拍子にアーロンの袖にかかった。

「わっ、アチッ」

 アーロンが悲鳴をあげる。

 袖口はすでに青い炎をあげて燃え始めていた。

「うわ、消せッ」

「アーロンッ」

 ショーンが火を消そうとアーロンにウィスキーの残りをぶちまける。

「バカ、そんなことをしたら……」

 すぐにアーロンの身体は火柱になった。

 全身からアルコールの青い炎が燃え上がっている。

「う、うわ……」

 ショーンがウィスキーのボトルをとり落す。

 慌ててエリックはクローゼットから新しい制服を取り出すと、アーロンの身体を叩いて炎を消そうとした。

 だが、火勢は衰えない。

 そのうちに、今度は魔法陣の上で燃えていた炎が床に落ちた。

 魔法陣の配置が変わり、アルコールの青い炎が白熱する魔法の白い炎に変わる。

「熱い、熱いっ!」

 白い炎はすぐにもがき苦しむアーロンの身体に襲いかかった。

 羊皮紙が少しずつ燃えていく。

 やがて羊皮紙の魔法陣は燃え尽きると、最後に銀色のルーン文字を残して姿を消した……

…………


 その後どうやって部屋を出たのか判らない。気づくと二人は火傷をしたアーロンを担いでその部屋に逃げ込んでいた。

「焦げた制服はその場に捨てました。どうなったのかはわかりません」

 エリックとショーンはアーロンのベッドの横に座らされていた。ウェンディが昏倒させた方がショーン、逃げ出したのがエリックのようだ。

「で? なぜ君らはこの部屋に逃げ込んだ? ここは誰の部屋だ?」

 ソファの上で腕組みをしたままダベンポートは三人を見下ろした。

 隣では膝を揃えて座ったウェンディが目を怒らせている。

「ここはチャーリーの部屋です。空き部屋だったことは判っていたから」

「……いい神経してるぜ。君らは自分たちが殺した生徒の部屋を使ったのか」

「気がついたらここにいたんです」

「とにかく火傷をしたアーロンの手当をして、ベッドの上に休ませました。シーツはなかったけど、マットレスはあったから……」

「で、どうなったんだ?」

 ダベンポートは長い脚を組み替えた。

「それからが悪夢だったんです……」

…………


 こんな状態のアーロンを校医のところに連れて行く事はできない。そこで二人は自分たちでアーロンを看護することにした。

 ところが不思議なことに、アーロンの火傷は軟膏を塗っても、治癒の護符を使っても収まらなかった。むしろ悪化していく。いつまでも熱を持ち、そのうちに傷口からは肉の燃える嫌な匂いがし始めた。

 二人は必死で介抱したが、アーロンの傷は治らない。やがてアーロンは高熱を発し、うわ言を言うようになった。

「その頃にはもうアーロンは死んだことになっていました。なんでか知らないけど、警察が『人体自然発火現象』だって発表したって聞きました」

「でも、本当は生きていたのね。で、ここに居たと」

「はい」

「まあ、死んだ生徒の部屋をわざわざ訪れる奴もおらんわな」

「だから幽霊騒ぎなんて起こってるんだわ」

「僕たちは昼間は部屋にこもって休んで、夜はアーロンの介抱をしていました」

「ハ。人体自然発火現象が聞いて呆れる」

 ダベンポートは暗い笑みを浮かべた。

「だが、判らないのはこれだ」

 ダベンポートは内ポケットから小さい日記帳を取り出した。

「なぜ、今更取りに来た。僕は違う理由で取りに来ると思っていたが、現実は想像を絶している。この状況で今更この日記帳が必要だとは思えない」

「それは、アーロンが……」

「アーロンが持ってきてくれってうわ言で……」

 二人の生徒はモゴモゴと言った。

「まあ、それで助けられた訳だが、これは魔法院が預かるぞ。どうするかはあとで考える」

 ダベンポートは冷たく三人に告げた。

「あ、あの、それでアーロンは?」

「ああ」

 ダベンポートは三人に言った。

「あれは燃焼呪文の跳ね返りバックファイヤーだ。魔法陣が崩されたから術者に跳ね返ったんだ。ちゃんとした手順を踏んで解呪すれば治るとは思うが……」

「お願いします」

「アーロンを助けて」

 二人は頭を下げた。

「全く、虫のいい引きこもりちゃん達ね」

 ウェンディはその様子を冷たく見下ろした。

「自分たちは二人も殺しておいて、助けてくれってどの口が言うのかしら」

「身体は治してやる。魔法院の仕事だからな。だが、その錯乱した頭は判らん。正直、治せる気がしない」

 ダベンポートは冷酷に告げると、小さな日記帳を再び内ポケットにしまった。


+ + +


「……というのが事件の全容だ」

 帰りの馬車の中でダベンポートは向かいのグラムに言った。

 大柄なグラムが乗ると魔法院の馬車は三人では少し狭い。

 だが、ウェンディにはそれが気にならないようだ。澄ました顔でダベンポートの隣に座っている。むしろ、密着していることを楽しんでいるようだ。

「胸クソの悪い話だな」

 グラムは吐き捨てるように言った。

「ええ、本当に」

 ウェンディもグラムの言葉に頷く。

「ともあれ諸君。これで解決したのは結構だが、どうにも気分は晴れん。ここは一つ帰りにパブに寄ることを提案するよ。良いブランデーを一杯もらって、葉巻でも吸わんとやっておれん」

「ああ」

 グラムは頷いた。

「私も結構でしてよ」

 ウェンディが嬉しそうにする。

「では、そうしよう。御者君……」

 二人の同意を得ると、ダベンポートは御者に行先の変更を伝えた。

…………


「ところでな、ダベンポート」

 セントラルの街中に入ったところで、不愉快そうに馬車の外を眺めているダベンポートにグラムは話しかけた。

「その日記帳はどうするんだ?」

 グラムが言っているのは『シンジケートの日誌』と少年たちが呼んでいた小さな日記帳のことだった。これには事件のあらましが事細かに書かれている。これさえあれば、少年たちを法廷に送るのは容易い事のように思える。

「捨てる」

 だが、しれっとダベンポートはその考えを否定した。

「こんなもの警察に差し出したって何も起こらん。もっと残酷な結末を何か考える」

「まっ。残酷な結末!」

 ウェンディはダベンポートの隣で両手を組み合わせた。

「素敵ですわ!」

「お前、残酷な結末ったって……」

 まだ常識のあるグラムが流石に困った顔をする。

 今までダベンポートと組んで長く仕事をして来たが、こんなに怒っているダベンポートを見るのはグラムも初めてだった。

 それにウェンディも大概だ。魔法院の連中は全員頭がおかしいと思っていたが、ウェンディのアタマのネジの緩み具合も相当なように思える。

「まあ、パブで相談しようじゃないか。方法はいくらでもあると思うよ」

 ダベンポートはグラムに暗く笑った。

「だが、ひょっとしたらこのまま放って置くのが一番残酷かも知れんな」


──魔法で人は殺せない13:人体自然発火事件 完──

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【第三巻:事前公開中】魔法で人は殺せない13 蒲生 竜哉 @tatsuya_gamo

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