第七話

 相手を苛立たせるために、ダベンポートはその日の夜からアーロンの部屋に二人、二十四時間体制の歩哨をつけることにした。

 こうしてしまえば、誰かがアーロンの部屋の中に入りたくても入れない。

 そこで週末を狙って敢えて歩哨を下げる。歩哨がいないと知れば、誰かが必ず来るだろう。

 週末までまだ間がある。ダベンポートはグラム、ウェンディの三人と書類を片付けていた。

「ダベンポート、これで罠を張って誰も来なかったらどうするつもりだ?」

 グラムが訊ねる。

「絶対来るさ」

 自信たっぷりにダベンポートはグラムに答えた。

「でも、誰が来るかはまだ判らない」

「誰が来るか判らない?」

 ウェンディは書類を書いていた手を止めるとダベンポートの顔を見た。

「それは引きこもりちゃんの二人に決まっているんではなくて?」

「それならこんな面倒なことはしない。とっとと尋問する。僕はまだもう一捻りありそうな気がしているんだ。あくまでも勘だがね」

「勘って」

 グラムが呆れて言った。

「お前がそんな事で動くとは思わなかったよ」

「ま、たまにはね」


+ + +


 当日の土曜日、ダベンポートは自宅で夜までゆっくりとリリィと過ごした。

 リリィの作るエッグスベネディクトは絶品だ。焼いたマフィンの上にレタスとベーコンを数枚、その上に溶かしたチーズとポーチドエッグ。まろやかなオランデーズソースが全体を引き締める。付け合わせにはリリィが言うところのキャベツのお漬物ザワークラウトと生野菜。

 夕食は少し早めに兎のスープ。七時には馬車が迎えに来る。

「今日はゆっくりリリィと食事ができないのが残念だ」

 ダベンポートはリリィに言った。

 全くもって残念だ。土曜日に作戦をぶつけたのは失敗だった。

「お夜食のサンドウィッチをお持ちになりますか?」

「いや、食べる暇があるかどうか判らない。腹が空いたら明日埋め合わせるさ」

「判りました……あ、旦那様、馬車が来たようですよ」

 外の物音を聞きつけ、リリィが立ち上がる。

「じゃあ、行ってくる。遅くなるはずだから、今日は先におやすみ」

「はい。旦那様、お気をつけて」

 ダベンポートは玄関で室内履きから仕事用のブーツに履き替えると、リリィからインバネスコートを受け取った。


 魔法院の馬車にはもうウェンディが乗っていた。

 キキを抱いて外まで見送りに出たリリィをウェンディが後ろの窓からそっと眺める。

「あの子が噂のリリィさんですね。噂通りのとっても綺麗な子」

「そんな噂があるのか?」

 ダベンポートは馬車の奥に座りながらウェンディに訊ねた。

「ええ」

 ウェンディが笑顔で頷く。

「グラム中隊長から聞きましたわ」

「全くあのバカは何を吹聴してるんだか」

「でも少し妬けますわね」

 ウェンディは正面を向くとスカートを直した。

「リリィさんはダベンポート様と毎日一緒に暮らしているんでしょう?」

「そりゃ、住み込みメイドだからね」

 馬車が森の中を駆け抜けていく。アーノルド校までは一時間ほどの道のりだ。

「私も立候補しちゃおうかしら」

 不意にウェンディは婉然とした笑みを浮かべるとダベンポートに言った。

 朴念仁のダベンポートにも流石にその言葉の意味は判る。

「僕は奥手なんだ。面倒は御免だよ」

 ダベンポートの答えはにべも無い。ダベンポートは片手を振ると話題を変えた。

「それよりも作戦だ。部屋にいる騎士と交代する瞬間が一番危ない。ここだけは目立たないように気をつけないとな……」

…………


 持ち場の入れ替えは首尾よく行われた。騎士が静かに姿を消し、代わりにダベンポートとウェンディがアーロンの部屋に滑り込む。

 ダベンポートとウェンディは足音を立てないように注意しながら部屋の隅のソファに身を沈めた。

 真っ黒な制服のおかげで、暗い部屋の中で黙って座る二人の魔法捜査官はまるで影のように目立たない。例の日記帳とパズルボックスは元の場所に戻してある。

〈さて、いつ来るか。それまで身体を休めておけ〉

 ダベンポートはウェンディに小声で囁くと、腕を組んで目を瞑じた。


 チック、タック、チック、タック……

 ポケットの中の懐中時計が規則正しいリズムを刻む。

 一時間。また、一時間。

 そろそろ時計の針が十時を回る。

 ふと、ダベンポートは何者かが廊下を歩いてくる気配に気が付いた。一人、二人。

 その気配がドアの前で立ち止まる。

「!」

 ダベンポートは目を開いた。

 隣のウェンディもすでに開いた目を爛々と輝かせている。二人は目だけで合図すると、動きやすいように少し姿勢を変えた。

 ……キチッ、キチッ……カチッ

 ドアのロックがピッキングされ、鍵が開く。

 ダベンポートとウェンディは物音ひとつ立てずにソファの上で相手の次の動きを待った。

 最初、ドアから入ってきたのは携帯用の小さなランプだった。

 次いで人影がひとつ。やがてランプがもうひとつ。

〈急いで探そう。怖いよ〉

〈怖いもんか。ここでは誰も死んでいない〉

 小声の会話。

 二人とも、ダベンポートとウェンディがそこに座っていることに気づいてすらいない。

 先に入ってきたランプは迷わず本棚に向かうと、そこから二冊の手帳を取り出した。

 同時にもうひとつのランプがクローゼットの引き出しを開けてパズルボックスに手を伸ばす。

「そこまでだ、少年」

 ダベンポートは立ち上がると半開きになっていたドアを勢いよく閉めた。

「!」

「!」

 二つのランプがびくりと凝固する。

 と、ダベンポートの目の前を滑るように走る影がひとつ。

 ウェンディだ。

攻撃ゴンジー……」

 ウェンディは腰を深く沈め両手を前後に開いた独特の構えをとるや、いきなり本棚の前の人影に向かって身体を一回転させた。全身と腕の遠心力を使った超高速の猿臂。すかさず返す腕で猛烈な掌底。東洋の格闘術だ。

「フッ」

 その口元から気合が漏れる。

「ゲッ」

 息を一気に押し出され、少年の口元から声にならない悲鳴が漏れる。

「制圧します」

 続けて、ウェンディはスカートの裾を摘むと倒れた人影に情け容赦のない震脚を放った。

「グェッ」

 鳩尾を踏み抜かれ、少年の身体がそのまま床に沈み込む。

 ウェンディがこちらを振り向く。少年のランプを映したその目の光は昏く、険しい。

「う、う、うわっ」

 クローゼットの前にいた少年は悲鳴をあげると、パズルボックスのことも忘れてドアに駆け寄った。乱暴にドアを開き、廊下に駆け出していく。

「追います」

 ウェンディの目が据わっている。

 だが、ダベンポートは

「いい。行かせろ」

 とウェンディを止めた。

「このまま行かせて行方を突き止めるんだ」

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