1-8 裏切りの青き薔薇
「――食べるなァッ!」
何かに気付いたロアが、ケーキの皿を腕で薙ぎ払った。
「ロア、どーしたの!?」
驚いた顔のフィレル。
ロアはいつも身に付けている長剣を、エイルに向けていた。
エイルは悲しげな笑みを浮かべていた。まるで何もかもわかっているように。
「説明してもらおうか」
「エイルちゃん、どういうことっ!?」
詰問口調のロアの声と、戸惑いが隠せない様子のリフィアの声。
ロアは溜め息をつき、ある人物の名前を呼んだ。
「王女さま」
「……えーと、何?」
訳が分からないといった体の彼女に、「腕輪を見せろ」とロアは言う。
戸惑いながらもフィラ・フィアは腕輪を身につけた手を掲げた。先程、クリームが付着したそこは。
「……黒く、染まって?」
ファレルが驚きの声を上げる。
銀は毒を感知するために使われる金属だ。ある種類の毒に触れた場合、銀はどす黒く変色する。そんな性質があることから、常に暗殺の危機にさらされている王侯貴族は銀の食器を使うのだ。
彼女の銀の腕輪が、黒く染まる。その意味は。
「えーと、さぁ。ケーキに、毒が?」
フィレルは驚きを隠せない。
ああ、とロアは頷いた。
「お前が食べる直前にそれが見えたからオレは防ごうとした。そしてこの毒に関わる人間が、同じケーキを作ったリフィアだと疑わなかった理由だが……。リフィアはケーキを薙ぎ倒されて純粋に驚いていたが、エイルはこうなることをわかっていたようにも見えた、それだけだ」
ロアはエイルに剣を向けたまま、問う。
「答えよ。お前はこれまでずっとオレたちに忠実でいてくれた。お前の為に、こちらだって尽くした。オレたちの間に悪い感情などなかったはずだ。それなのに一体どうして、このような真似を?」
エイルは悲しげに笑った。
「『命令』だからだよ、ロア」
「……命令、だと?」
ロアが眉をひそめた、瞬間。
食堂へ続く扉が開いて、そこから雪崩れ込んできた人間たち。彼らはフィレルらに武器を向けていた。
「くそっ、何のつもりだッ!」
「英雄なんて要らないんだって『お母さま』は言ってた。英雄の子孫なんて、要らないんだって。過去の遺物は捨て去ってしまえって」
「この裏切り者がッ! わかった、オレが道を切り開くッ! オレの傍から決して離れるな。行くぞ、今はこの場から逃げるッ!」
「できるかな」
エイルの言葉と同時、ロアの膝が崩れ落ちる。「ロアッ!」必死で駆け寄ったフィレルは、ロアの顔が蒼くなっていることに気が付いた。――そう、まるで毒物にでも触れたかのように。
「あのケーキ、触れるだけでも危険だから。ロアは直接腕で薙ぎ払ったよね。『お母さま』からすればロアみたいな前衛が一番邪魔らしいから、排除できて好都合だよね。安心して、致死毒だから。でもさぁ、大切な人を守って死ねるならば本望じゃないの?」
「……ふざけるな」
その言葉を聞いて、フィレルの顔に怒気が宿る。
彼は生まれて初めて、本気で怒っていた。
腕に抱きかかえたロア、大切な幼馴染。いつもうるさいけれど、彼はフィレルの大切な人。
そんな人が、裏切りなんかで命を落とす結末なんて、絶対に認められない。
そんな彼を見て、嘲笑うようにエイルが唇の端を歪めた。
「怒ったって、あなたに何ができるの? 絵筆とキャンバスがなければ何もできないくせに。あなたなんて脅威じゃない。ファレル様も王女さまも、そしてただのメイドのリフィアも。ロアが危険だった、ロアだけが危険だった。だから最初に排除した、それだけ」
あなたに何ができるの、と彼女は繰り返した。
うつむくフィレル。しかしその瞳に閃いたのは、何かの決意。
「……できるよ。だって僕はただの“絵使”じゃない。自分の描いた絵だけを武器とするわけじゃないんだ。僕にだって切り札の一つや二つくらいはあるんだよ? 舐めてもらっちゃあ、困るんだよねっ」
言って、何かを取り出そうとしたフィレル。
その肩にファレルが手を置いて、首を振った。
「お前は穢れなくていいんだ、誰かを傷つけなくていいんだよ。エイルは少し前まで仲間だったんだから、彼女を攻撃するのは辛いだろう? ……僕だって、ね。戦えないわけじゃあ、ないのさ」
ここは僕に任せて、と、その瞳が真剣な輝きを帯びる。
倒れたままのロアが、蒼い顔で「ファレル様……」と呟いた。そんな忠実な仲間に、大丈夫だよと優しく微笑む。
「……思い、出さなくちゃいけないんだよね。僕のトラウマ、心の傷。嫌だよ、嫌だなぁ。でもねぇ……」
彼の身体が、黄金のオーラを身に纏った。
「――家族を失うのは、もっと嫌なのさッ!」
彼は朗朗と何かを唱え始める。それを防がんと、エイルは城内に入り込んだ兵士に指令を飛ばす。ロアは蒼い顔をしながらも力なく剣を構えようとしたが、その身体に力が入らない。
ファレルは、叫んだ。
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