35 最後の切り札
水しぶきをあげて、透き通る湖へと飛び込んだ佐伯。
小学生だからと、俊が無理しなくてもいいと言ったが、佐伯は自分がやると言って聞かなかった。
メガネをかけた佐伯の姿からは、決して運動が得意のようには見えない。この作戦が失敗したら、より片瀬からコードを奪うことは難しくなる。何としても成功させたいからこそ、俊が水中に潜むことも提案した。
しかし、自分がやると決めた佐伯の意思は固かった。
底まで見えるほど透き通った水。湖の中の様子をうかがうことができる。
俊と速水は祈るように水中を見つめた。
スーツ姿の片瀬の足を、鳴海がつかんで泳いでいた。
足を動かそうとする片瀬だが、両足をしっかりとつかまれているため思うように泳げない。
鳴海も息が続く限り、片瀬を水底へと引きずり込んでいく。
そこへ片瀬の正面から佐伯がやってくる。
片瀬の胸ポケットにはコードが書かれたカードが入っている。
勢いよく引きずり込まれていくので、カードが飛び出しそうになっていた。
「ふぐっ……」
誰のものなのかわからない、呼吸による泡が水面へと浮かぶ。
「そろそろ鳴海の息がまずいんじゃ……」
「大丈夫かな……?」
俊と速水の心配も最もだった。
先に水中にもぐっていた鳴海の息は限界に近いだろう。ましてや水中でずっと動いているのだから、心配になる。
一方で、佐伯の泳ぎはしっかりとしたものだった。
まっすぐに片瀬の元へと泳ぎ、目的のものに狙いを定めて手を伸ばす。
それに気づいた片瀬は、奪われないようにとカードをポケットに押し込んだ。
しかし、片瀬も人間だ。
いきなり水中に引き込まれているため、息が続かず動きも鈍くなっている。
一番最後に水中へと飛び込んだ佐伯が有利だ。
地上では体格や力、すべての面で負けるが、今の状況なら佐伯が一番有利である。
「いっけーっ!」
「がんばってっ!」
聞こえるかもわからないが、俊と速水は水中へ声援を送った。
気持ちが伝わったのか、片瀬の背後に佐伯がまわると、胸ポケットからカードを抜き取った。
「あっ! 取りました!」
「うっしゃあ!」
俊と速水がハイタッチをする。
水中では佐伯がカードをとったことを確認した鳴海の動きが止まった。
「鳴海っ!」
息が続かなくなったのだろう。口から空気の泡を出し、力なく水中に漂ってしまう。片瀬をつかんでいた手も離していた。
鳴海のことが心配になった俊は、湖へと飛び込もうとしたが、速水に腕を引かれたのでそれはできなかった。
だが、鳴海の限界に気づいた片瀬は、鳴海の腕を引き、水面へと引き上げた。
「ぷはっ……はぁはぁ……」
片瀬に続き、佐伯も水面へと顔を出した。
肺へと酸素を送る。しかし、鳴海は二人と違い、息を吸っていないように見えた。
「無茶しすぎだ。そんなやり方では命がいくつあっても足りないぞ」
意識のない鳴海を片瀬が陸へと上げた。
「鳴海! 大丈夫……じゃねえよなあ。えっと、こういうときは……?」
「溺れたときは人工呼吸じゃないですか……?」
速水は俊と鳴海を交互に見て言うと、なぜか速水が顔を赤くした。
「その必要はない。なぜなら……」
片瀬が鳴海の上半身を起こし、拳を腹部へと思いっきりあてた。
「ぐっ……げほっげほっ」
鳴海は水を吐き出し、そしてゆっくりと目を開けた。
乱暴な片瀬の処置に、俊と速水は鳴海を哀れにも思った。
「鳴海、大丈夫か?」
「? ああ、だいじょ……げほっ。いってえ……なんでだ?」
何度もせき込む鳴海。意識もはっきりしており、問題はなさそうだ。
何が起きたかわかっていない鳴海は、痛む腹部をなでている。
「って、佐伯! カードは?」
「それならここに」
ハッと思い出したように、佐伯を見た鳴海。
湖からあがった佐伯は、冷静にぐしゃぐしゃになったカードを見せた。
もともと防水使用になっているようだったが、力を入れすぎたために、しわくちゃになってしまっている。しかし、それでも書かれている文字はしっかりと読むことができる。
「おおっ! やったなあ! な、これでいいんだよな?」
鳴海が片瀬に嬉しそうな顔をして問う。
片瀬は濡れた髪をかき上げ、ため息をつきつつもその笑顔に答えた。
「……ああ。確かに俺からコードを奪えているからな。お前らの手に渡ったコードはお前らのものだ」
「っ……やりましたね!」
「しゃあ!」
俊、鳴海、速水は再びハイタッチをする。
その輪に入れなかった佐伯が少し残念そうな顔をしていることに気づいた俊が、佐伯の身長に合わせてかがみ、佐伯の前に手を出した。
「えっ……?」
なぜと言いたそうな佐伯。しかし、俊も手を戻さない。
「ハイタッチだ。今回の功労者!」
「だなっ! 俺らじゃどうにもできなかったし、お前がいてくれて助かったわ。サンキューな、佐伯!」
「お疲れ様です」
今度は佐伯を含めて四人でハイタッチをする。
全員はもう、やりきったというような顔だった。
「更生はそれで終わりとでも思ったか?」
「へ?」
終わったと思っていた鳴海が、きょとんとした顔をしている。
片瀬はまた、あきれたようにため息をついた。
「忘れたんですか? コードを集めて、ゲートに行って帰るということだったでしょう? ほんと、猿みたいな頭ですね。いや、ニワトリかな……?」
「んだと? 俺は猿じゃねえし、ニワトリでもねえ!」
怒る鳴海を佐伯は無視した。
その反応が気に食わない鳴海は拳を握りしめている。
佐伯はさっとその場を離れ、木陰に置いてあった自分の服の元へと向かった。
「てんめえ……ハッ、ハックシュン! うげえ」
「水、冷たかったか?」
「割と……今になって冷えてきたわ」
制服のまま水中へと潜んだ鳴海。
水を吸ってしまった制服が、鳴海の体を冷やす。
「あ、俺いいこと思いついたわ。たぶんできる、はず……」
俊は近くの枝を集める。
そしてその枝に向けて、手をかざし、心の中で何度も練習した言葉を唱えた。
すると、枝から煙が出て、次第に炎が灯る。少しずつ大きな火へなっていき、たき火ができた。
「すげえ! なんだそれ! 花崎、すげえな!」
俊の肩をびしょ濡れの鳴海がたたく。
少しの動きでも水がかかり、俊の顔には苦笑いが浮かんだ。
「とりあえず、これで服を乾かしながらあったまるといいよ」
「サンキュー! くぅぅぅ! あったまるぜ」
「俺も使わせてもらうぞ」
鳴海に続いて片瀬が小さなたき火の前へと向かう。
片瀬はネクタイをほどいては、ジャケットを軽く絞って広げた。
続いて鳴海もシャツを脱いでは絞り、乾かしながら温まる。
「僕も……いいですか?」
脱いでいた服とメガネを持ってきた佐伯。
「もちろん。風邪ひくなよ」
「……はいっ」
佐伯に会って間もないが、今の返事が一番見た目にふさわしい笑顔だった。
服がある程度乾くまでも時間、ゲートへ向かわずにたき火の前で休んでいた。
片瀬は何も言わず、静かに体を温めている。
「佐伯くんは、何歳なんですか?」
「僕は……小学五年です」
「ガキじゃねえか。その年で、そんなに老けた話し方をするとか……」
「たかが数年早く生まれたぐらいで、馬鹿にしないでください」
「数年でも先輩なんだからな!」
「わかってますよ! 年齢的には、ですけど! 敬語使ってるじゃないですか!」
速水の問いに答えた佐伯。そこに鳴海が絡むと再び口論となった。
お互い寒いので、決して火から離れず、口だけでもめている。
止めても繰り返すだろうと、俊は何も口出ししなかった。
「いいのか? あいつらを放置で」
あまりにもうるさいのか、片瀬が俊に聞く。
「俺が止める必要なくない? だってほら、喧嘩するほど仲が」
「「よくない!」」
馬鹿な俊でも、喧嘩を繰り返しているときに保険医から聞いた言葉。
「喧嘩するほど仲がいい」と言おうとしたが、鳴海と佐伯の重なった声にかき消された。
「ほらね」
にらみ合っている二人だが、なんでも言えるほどやはり仲がいいようだ。
俊の隣で速水がクスッと笑っていた。
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