18 過去と今と②

 人気が少ない場所での出来事だったが、それでも人はわずかながら通る。

 殴りあっている学生たちを横目に見ながら、大人たちは通り過ぎていくのであった。


「危ないよ!」


 メガネの少年が殴り合う俊の前に急に飛び出した。俊を狙って殴ろうとしていたその手が少年に当たる。か細い体の少年はそのまま壁に頭を打ち付けて血を流し、動かなくなった。

 動かない少年を俊が気にかけた一瞬で、俊も強い力で殴られた。そして運悪く俊の体が少年の上に覆いかぶさるように倒れこんだ。その衝撃が変な方向へ少年の足にかかってしまった。


「うわあああ! ああああ!」

「ゲホ……やべえ……」


 少年が足を抑えて叫ぶ。医学の知識がない俊でも、少年の足が折れているだろうということがわかった。しかし俊に手当の知識はない。少年にそれ以上被害がないように、殴りかかる相手に対応するしかなかった。


 殴り合って一時間以上。全員が血を流している。そんな中、誰かが通報したのか警察がやってきた。少年はその後遅れてやってきた救急車で運ばれていき、残された俊たちは警察に世話になることになった。


 警察に事情を聴かれて、一から素直に話す。カツアゲの場面に遭遇したこと、相手から手を出したこと。しばらく警察から質問攻めになった。かなりの時間がかかり解放されたときには、もう日は沈み、真っ暗だったはずだ。しかし、そんな場面が目の前で繰り広げられることはなかった。

 俊達の姿は消え、警察だけが立っている。


「あの一人の少年、相手グループの話と意見が合わないんですよね」

「なんだって?」

「少年はカツアゲしていたから止めたって言うんですが、グループの少年たちはカツアゲしていたのは向こうだって。それを止めようとしたら殴りかかったので仲間を呼んだとか」

「あー……そりゃあれだろ、嘘ついてんだろ」

「どちらがですか?」

「まあいつも警察にやっかいになってるやつだろ?」

「そうですよね。運ばれた少年の怪我もその人のせいみたいですし」


 警察官と思われる人物の会話。一人は若く、もう一人はひげを生やしベテラン感がある。そんなベテランでも、勝手に俊が悪いと決めつけるように話していた。

 これでは俊のせいだと、すべてを押し付けてきそうなので必死の訴えを伝える。


「違う! 俺じゃない! 先に手を出したのはあいつらだ! 俺はあのメガネの助けようとっ!」


 自分ではないことを訴えようと警察官に触れたとき、またしても霧のように消えていった。


「こんなの見たくねえ……早く終わってくれ……夢なら覚めてくれ」


 嫌な場面しかない。自分がいなかった場面は事実なのかどうかわからないが、自分のことを悪く言うところを見ていたくない。

 俊は自分の頬をつねる。痛みは確かにある。しかし暗闇から出ることはできない。誰もいない暗闇に取り残されたままだった。

 俊の無実の訴えは誰も聞かない。誰も俊の声を聞いてくれない。孤独でつぶされそうだ。


 今すぐここから逃げ出したい。俊の足はその場を離れるために、どこへともなく進む。周りの見えない真っ暗な世界の中を、進み始めた。



 すると今度は開けた街並みとなる。

 そこは俊が暮らす街だった。大きな交差点は、忙しそうに車が行きかっている。この交差点はいつも人が多い。俊にとってこの場所は大嫌いな場所だった。


「きゃああ!」

「危ない!」


 甲高い女性の悲鳴と危険を告げる男性の声とともに、車のブレーキ音が響く。

 嫌な感じがしつつも、俊は現場へ走り近寄った。


 シルバーの車は信号機にぶつかって止まっていた。エアバッグが作動しており、運転している人は無事のようだ。だが、横断歩道には倒れている人が男女年齢問わず何人もいる。その中に家でいつも俊の帰りを待ってくれている母の姿があった。

 慌てて倒れる母に近寄り触れようとするも、触ることができない。よく見ると、わずかに母は透けていた。


「母さんっ……」


 何もできない無力さ。俊はこぼれそうな涙をこらえた。

 俊の母は交通事故に巻き込まれた。青信号でわたっていた人たちのところへ、酒に酔った男が運転する車が横断歩道につっこんだらしい。らしいというのも俊が現場に立ち会ったのではないからだ。事故のことについて、警察で聞いたり、ニュースでも取り上げていた。母に非はないことは確かである。


 事故に巻き込まれた人の中には、命を落とした人もいた。母は幸いにも一命をとりとめたものの、意識が戻らなかった。一人親家庭の俊にとって、唯一の家族である母が動けなくなり、俊を気にかけ、俊の帰りを待つ者はいなくなった。母が生活を支えていたため、収入がなくなる。なので生活費のためにも、アルバイトを掛け持ちして過ごした。必死に稼いで母の見舞いに行くも、目覚めることがない母。眠ったままの母を見るたびに一人ぼっちであることを痛感するので、だんだんと見舞いに行かなくなった。寂しい気持ちをごまかすように、俊は、さらに喧嘩をすることが増えた。



「こんなん見せんなよ……」


 今も俊の心はボロボロだ。

 繰り広げられる過去の光景に目を背ける。


「あなたは私の子……大切な子」


 真っ暗になり、響き渡る母の声。

 俊に向けられる優しい言葉。ふと顔を上げるが、暗闇の中には誰もいない。


「母さん……?」


 母を呼ぶ小さな俊の声は響くことなく消えていく。


「でもいらない、喧嘩ばかりでお見舞いにもこない子は私の子じゃない」

「えっ……?」


 母の優しい声が急に低くなる。母らしからぬ言葉に俊の動きは止まった。


「あなたはいらない。いらないの! 私だけじゃない、みんなあなたと必要としないわ」

「違う! そんなこと、母さんは言わない!」

「あなたは社会のゴミよ」


 母の声で紡がれる言葉が、俊にとどめを刺した。

 だんだんと俊の息があがり、苦しそうにゼイゼイと肩で息をする。

 いくら息を吸っても苦しい。


「もう……嫌だっ。やめてくれ……」


 俊の心は限界だった。何も聞きたくない、見たくない。早く出たい。


「ゴミは燃やさないと」


 その言葉が聞こえると、俊の周りは炎に包まれた。

 俊は逃げることもしなかった。


 ――ここで死ぬならそれでもいいや。

 そう思い、俊は瞳を閉じた。

 しかし、いつになっても体が熱く感じなかった。

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