第8話 勉強と交流
*****
フェオーセルにやってきてから三日が経過。文句を言わせてもらうなら、よくも騙してくれたわねっといったところだろう。
あたしは今、幽閉状態にある。クリサンセマム邸に着いてから一歩も屋敷の外に出ていないのだ。いやはやまさかこうなるとは思っていなくって鬱憤が溜まり気味。その上――。
「会いたいからここにいろって言ったくせに一度も顔を合わせないってどういうことよ!」
寝る前にベルをつつきながら小言をブツブツと呟く。
彼が何をしているのかよくわからないのだが、クリサンセマム家の連中とさえ顔を合わせていなかった。お世話になっている以上、アベルの両親に挨拶をしておきたかったのだがそれも叶わぬくらいに慌ただしいらしい。
食事もばらばらで――それはあたしを除け者にしているわけではなく――元から一緒に食べる機会がないのだと聞いた。せっかくの美味しい料理も同じ食卓を囲む人がいないというだけで味気ないものになってしまう。
アベルは小さい頃からそんな生活をしていたってことなのよね?
一方であたしはこの屋敷で何をしているか。
別に愚痴をこぼしながら独りで過ごしている訳じゃないのである。めまぐるしく、あれだこれだとやることがあるのだ。
ただそれは、客としてもてなしを受けているからだけではない。あたしがやるべきこと、それは本を読むための手続きだったり、式典で着ることになるドレス選びだったりする。
アベルはあたしのために図書館の特別管理室に入る準備は整えてくれたのだけれど――彼の母親に一声掛ければなんとかなるらしい――その他の事務手続きについては利用者本人が行わなくてはならないわけで、これがまた面倒なのだ。
仮にも『エーテラーナ』『アストララーナ』は厳重に管理されている本である。それもできるだけオリジナルに近いものが良いとなっては、よほどの理由がない限りちょっとやそっとじゃお目にかかれない。著名な研究者でさえなかなか読む機会が与えられないとも聞いている品なのだ。
アンジャベル家とクリサンセマム家の確執の原因を探るためというこんな個人的な理由で、果たして許可がおりるものなのか。
もちろん、これであたしのわだかまりが解消されれば気兼ねなくアベルに手を貸すことができるし、
しかし、そううまくゆくものなのか懐疑的だ。
だって、十六歳の少女が語る言葉で緊張状態が解かれるなんて考えられる? ろくに物事を知らない少女にそんな力があるなんて信じられる?
また、こうも考えられる。
あたしのクリサンセマム家への想いが決定的なものとなり、彼らを受け入れることができなくなった場合、式典をもって宣戦布告をすることもできる。あの男側につくことだってあり得るのだ。
あたしの言葉に力があるとすれば、それは充分に事態を混乱させることができるってことでしょう?
現在、あの男が言っていたと思われる集団が各地で協会に対し抗議活動を行なっているらしい。通信目的の
それはそれとして、だ。
果たして
それと同時に、なんでこのタイミングで暴動を起こす気になったのかが引っかかる。カイル=クリサンセマムの死やエリザベス=アンジャベルの死に関連があるのだろうか。
両陣営の象徴にあたる人物の死はそれなりに影響していそうなものだけど……再考の余地ありよね。
「……寝るか」
大きく伸びをするとベッドに移動する。天蓋つきのきらびやかなベッドに身体を埋めると、あたしはそっと瞳を閉じた。
*****
クリサンセマム邸、四日目の朝を迎えた。今日の予定は特にないとのこと。休日ということらしい。
そんなわけであたしは午前中を調査準備の時間にあてた。街に出ることも考えたのだが、許可がおりなかったのだから仕方がない。
この屋敷は中で大抵のことを片付けられるが、いざ外で何かをしようと思うと不便だ。まるで鳥かご。生きるには不自由しないが、そこに本当の自由はない。あたしにはここの生活は向かないだろうななんて思う。そういう意味では今までの
そういえばあたし、式典が終わったらどうすればいいのかしら?
アベルはあたしがクリサンセマム家にいられないようなら、また一緒に旅をしないかと誘ってきている。その際には次期当主の権利をレイナに譲り、クリサンセマム家との一切を断ち切ると宣言した。
断ち切る覚悟ができているからこそ、アベルは実家に帰って式典を行うことを承諾したらしかった。なかなかに思い切ったことをする人だ。あたしに何を求めて期待しているのかさっぱりつかめないけども、彼が彼なりにあたしを必要としているらしいことは確かなようだ。
昼食後の和やかなひととき。あたしが借りている部屋の扉が不意に叩かれた。
「はい?」
机に向かって資料作成の続きをしていたあたしは、とことこと扉に向かうとそっと開けた。
「あの……勉強を教えていただけませんか?」
そこに立っていたのはアベルの妹のレイナ。古そうな本と使い込まれたノートを両手に抱えている。申し訳なさそうな表情にあたしは負けた。
「あたしで良いのかしら?」
「はいっ! アベルお兄様からアンジェリカさんがエーテロイド職人で修復を得意としていることは伺っております。トリプルをお持ちだそうですね。アベルお兄様、まるで自分のことのように話していましたよ」
アベルが、ねぇ。なんだか照れくさいわ。
レイナが向けるきらきらした笑顔はアベルにはないものだ。見た目はそっくりなのに、この兄妹の持つ表情はどこか根幹となる部分が異なっているように感じられた。
「そう言われると嬉しいです。――さ、中へどうぞ」
扉を大きく開けてやると、レイナはぺこりと頭を下げて中に入った。
正直、この部屋は広い。前に使っていたアトリエはアベルの
二人は寝られるだろうサイズの天蓋付きのベッドがどんと置かれているのに圧迫感がまったくないんだもの。そりゃ広いわよね。
屋敷にはこのような部屋があと二十ちょっとあるというのだから、その辺の宿よりよっぽど規模が大きいと思われる。ちなみに離れにはお手伝いさん方が生活している建物がある。庶民代表のあたしには思いつかないスケールの大きさだ。
「――レイナさんは今何の勉強をしているんですか?」
部屋に置かれた小さなテーブルの前にやってくるとあたしは訊ねた。
「
勧めた椅子にちょこんと腰を下ろしてレイナは答える。
「あっ、今年ですか? 試験は」
レイナがアベルの三つ下であることは前に聞いている。試験は十五になる年から受験できるので、おそらくそのくらいだろう。
「はい」
はきはきとした受け答えには好感が持てる。
こんな妹なら大歓迎だわ。
「――でもあたし、
「それはご心配なく。お聞きしたいのは『エーテロイド共通基礎』ですから」
レイナは本の表紙をこちらに向けてにっこりとする。
科目『エーテロイド共通基礎』は
「それならわかるわ。――ですが、もっと適任の方がいらっしゃるのではありませんか? 本当にあたしでよろしいのですか?」
「あら、自信がありませんか?」
あたしの戸惑いの台詞に対し、レイナは不思議そうに首をかしげる。
「えぇ」
素直に頷く。だってここは首都であり、しかもクリサンセマム邸だ。優秀な家庭教師はいくらでも雇えるだろう。あたしがでしゃばるところではない。
「そんなご謙遜を」
レイナは上品にくすくすと笑った。
「謙遜もなにも事実ではありませんか」
「ご存知ではないのですね」
「?」
なんのことかとあたしは首をかしげる。
「あなたが受験したあの年の試験、首席で共通基礎を通過しているんですよ」
「誰が?」
あたしの問いは不自然じゃないはずだ。
「アンジェリカさん、あなたが」
そしてにっこりスマイル。無邪気な笑顔は嘘をついているようには見えない。
「まさか、ご冗談を」
担がれても何もでないわよ?
「事実ですよ。成績優秀者表彰式に参加なさらなかったでしょう? あのとき発表がありましたのに」
「!」
ええっ……本当のことっぽい?
「名字がダイアンサスになっていましたが、住所から考えてもあなたですよね?」
「……本当にあたしのこと?」
「始めからそう言っておりますでしょう?」
ダイアンサスは父方の名字。お父さんの死後、遺言により名字をアンジャベルに改めたのだ。だから試験を受けたときとは名字が違う。
「――アンジェリカさんはどうしてエーテロイド職人試験を受けたのですか?」
興味津々の表情であたしの顔を覗く。あたしはまだレイナが言ったことが信じられなくて半ば呆然としていた。
だってよ? あたし、成績優秀者表彰式に呼ばれたこと自体夢だったんじゃないかって思っていたのよ?
確かに勉強は誰よりも頑張ったつもりだったし、密かに自負していたけれど、そこまでの実力があるとはさすがに思わない。トリプルを取得できたのだって奇跡的にギリギリで通過したものと考えていたくらいなのだから。
「えっと……」
そうだ。あたしがエーテロイド職人を目指した理由。それは……。
「……お父さんが
「
本当に興味があるのだろう。レイナは身を乗り出してあたしに訊ねた。
「……繋ぐ職業だから、かな」
具体的な言葉が浮かばず、濁すように答える。
「繋ぐ職業?」
レイナはすぐに首をかしげる。どういう意味だろうと真剣に悩んでいるらしい様子が伝わってくる。
「うーん、なんといえばしっくりくるかしら」
あたしは視線を天井に向けて考える。
「想いを繋ぐ仕事だなって、漠然と認識していて……えっと、例えば、ある
あ、その辺の話はエーテロイド共通基礎で勉強することになっているんだったわね。
で、できるだけベストの状態でいてもらうためにはどうしたらいいかって思ったら、エーテロイド職人になって修復の仕事をするのが良いかと……」
どうにも要領を得ない台詞で恐縮するが、仕方がない。レイナはあたしの説明をひと通り聞いてにこっと笑んだ。
「
再びきらきらとした眼差しがこちらに向けられる。
照れくさい。
「そこまで大袈裟なことじゃないですよ。――さぁ、雑談はこの辺にして、勉強を始めませんか?」
「はいっ! よろしくお願いします」
嬉しそうにレイナは微笑む。
あたしが彼女の期待にそえるかはわからなかったが、誠意を尽くしてにわか家庭教師になることにしたのだった。
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