第7話 首都へ
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眼下に拡がるのは首都フェオーセルの街並み。まさかこんな場所から望むことになるとは思ってもみなかった。
背の高い城壁に守られた街は格子状に整備され、とても美しい。飛行を目的とした
街の中にはとりわけ目立つ建造物がいくつかある。一つはエーテロイド協会本部、もう一つは国立図書館、そして残るはあたしたちが目指す場所――クリサンセマム邸。
そう、あたしは結局首都に向かうことに決めたのだった。その目的は別に式典で偉そうな文章を読み上げるためではない。あたしの中のわだかまりを消し去るためである。式典の話はそのあとだ。
あたしの中のわだかまりを解消するためにどうしたらよいのかという話し合いが開かれた結果、まずは国立図書館の改革についてを知るべきだということになった。何故なら、あたしは曾祖父の研究がここまで広まった理由を知りたいと思っていたし、また陣魔術がおいやられてしまった原因を探りたいと思っていたからだ。
そのためには国立図書館まで出向き、曾祖父が記したとされる二冊の本『エーテラーナ』『アストララーナ』のオリジナルを読む必要がある。となると、首都に行かなければならない。ならば別々に行動するよりは足並みをそろえるべきだということになって――半ば強引に押し切られるかたちで――あたしは承諾した。
だって仕方ないでしょ? 入院していたあの町からここまでの旅費が足りなかったんだから。切実な問題よ。
ここにやって来るまでのあれこれに思いをはせているうちにアベルとテンそれぞれが操縦する
いやはや、アベルが従えている
緑が生い茂る庭にふわりと降り立つと、屋敷の方から小さな影が駆けてきた。腰の辺りまで伸びているさらさらの銀髪はアベルのものと同じ。よく広がるスカートを翻し一直線に向かってくる。
「アベルお兄様!」
感動の再会というより、半ば張り倒す勢いで少女は声を掛けた。
「やあ、レイナ。しばらく見ないうちに大きくなったね」
のほほんとアベルは答える。それに対して少女は赤くなっている頬をいっぱいに膨らませた。
「大きくなったね――じゃありません! カイルお兄様の葬式にさえ顔を出さないとはどういう了見なんですかっ!」
アベルは少女の文句をうるさそうに聞いている。まるでいつものことだからいちいち気にとめてなどいられないとでも言いたげな態度である。
その様子にカチンときたのかこなかったのか、少女はますます膨れた。
「聞いているんですかっ?」
どこ吹く風のアベルに呆れたらしく、もうっと小さく呟いてようやくあたしの存在に目を向けた。
「――アベルお兄様が女性を連れて帰ってくるという噂は本当だったんですね」
興味深そうにじっと彼女はあたしを見ている。なんとなくあたしも負けじと見つめ返した。
それにしても彼女もまたできのいい
ほら、あたしの髪って太くて縮れぎみだからああはいかないのよ。
「おや? 挨拶はいいのですか?」
あたしたちが互いを見つめ合っていると、くすくす笑いながら
その声で少女は背筋をただす。
「紹介が遅れました。レイナ=クリサンセマムです。以後見知りおきを」
優雅な身のこなしでスカートの裾をつまむとぺこりとお辞儀をする。
「初めまして。あたしはアンジェリカ=アンジャベルです。よろしくお願いします」
対してあたしはごく普通に頭を下げた。いや、一般人には馴染みのない挨拶は咄嗟にできないものだわ。
「……アンジャベル?」
レイナはあたしの挨拶に可愛らしく首をかしげた。
「えぇ、アンジャベル家の末裔ですよ。正真正銘の」
補足はアベルから。非常にさばさばとした口調で。
それを聞いたレイナはあたしを再び不思議そうな目で見つめた。彼女なりに思うところがあるのだろう。
「こんな場所で立ち話もなんだ。さっさと中に入って休まないか?」
テンの肩から飛び立ってカイルが提案する。
「――それもそうですね。案内しますわ」
「あ、私は一度ここで失礼しますよ。協会に顔を出さないといけませんから」
レイナが言うとすぐにテンが告げる。やや急いでいるように見えた。
「じゃあ僕はどうしたら?」
カイルがアベルの頭の上に着地して――どうも彼はそこがお気に入りらしい――テンに訊ねる。
「アベル君に預けて行くよ」
「ですが、負担になりませんか? あまり
この質問はアベル。彼が心配しているように、
「町から出なければ問題ないでしょう。それにカイル君に対してはなんの拘束もしていないので、操作なんてあってないようなものですし。――第一、私はカイル君を操るために契約を交わしたわけじゃありませんからね」
自身の契約指輪を見ながら、当たり前のことのようにさらりと答える。
いやいや、さらりと言うわりには誰もが真似できる芸当ではないと思うんですけど。
「わかりました。あなたがそうおっしゃるのなら預からせていただきます」
アベルは頭の上に載るカイルを面倒くさそうにちらりと見て頷いた。
「そうと決まれば私はこれで。会長には協会に行ったとお伝えください」
「承知いたしました」
レイナが答えると、エーテロイド協会本部長は足早に庭を去った。
エーテロイド協会本部長――こう表現すればわかりやすいと思うけど、テンの肩書きは本部長、つまりは会長の次に偉い人なのである。
初めて聞いたときにはびっくりしたわ。タダモノではないとは思っていたけど、まさかそんな人物が迎えにくるとは思わないじゃない。それを頼む会長、つまりはアベルの父親もなかなかすごいと思うけど。
*****
屋敷の中はとても豪華な造りになっていた。
天井はかなり高いし、床に敷き詰められた絨毯は毛足が長くふかふかしている。装飾品はいずれもきらきら輝いて見えた。
あたし、とんでもなく場違いなところにいるんじゃないかしらね?
どうも落ち着かない。
あたしは幅のある廊下を歩くアベルの袖をついと引っ張った。
「何か?」
「やっぱりあたし、外に宿を取るわ。協会の施設に泊まれば安く済むし」
小声でアベルに伝えるとあからさまに寂しげな気持ちをその表情に滲ませた。
だからそういう顔をしないでってば。
「あ、そうか。アンジェはエーテロイド職人でもあるのでしたね」
ひどい。忘れないでよ。そりゃあ今のこの生活じゃ、せっかくのトリプルも活躍の場がなくて錆び付きそうだけど。
アベルはあたしの職業を思い出すと、言葉を続けた。
「確かに施設は使えるでしょうけども、遠慮せずこの屋敷を使って下さい。部屋ならいくらでもありますから」
「いや、そういう意味じゃなくってね……」
なんと説明したものかと考えあぐねていると、アベルはさらに続ける。
「当分の間、様々な手続きのため屋敷を出られそうにないのです。あなたに会えないのは寂しい」
こらっここでそんな台詞を使うなっ!
あれからどうもこんな感じで口説かれているわけだが……あたしもあたしで変に意識しちゃっているから返事に困る。
襲撃事件をきっかけにこうも立場が変わるとはね。
事件まではあたしがアベルに都合上言い寄っていたが、今は立場が逆転していた。あたしとしては、できるだけ距離を置きたい気分なので、そっとしておいて欲しいのに。
それに、あたしはアベルの本心がわからないのだ。疑っているわけではないと思うけど、あの男が言っていたことの意味には結論が出ていない。面と向かってアベルを問い詰める勇気が現在のあたしにはなかった。
「――それはあなたの都合でしょう? あたしには関係ないもの」
目を見て言えないので視線をそらす。
「さすがにクリサンセマム邸では休めないかね?」
アベルの頭上から声。カイルはあたしの顔を覗き込むような格好で訊ねる。
「…………」
肯定を意味する沈黙。
「だが、君にもここでやってもらいたいことがある。そのためにもここにいてほしいのだが」
「と言われましても、まだあたしは式典の件、承諾していませんよ?」
「意見の件はどうであれ、是非とも出席して欲しいんですけど……」
あたしの問いにアベルが答える。
「だから何度も言っているけど、クリサンセマム家の行事に参加する義理はないんだからねっ! あたしが首都に来たのは調べもののためなんだから、ここでお世話になるのもおかしいでしょう?」
「いいじゃないですか。私の客人には違いないのですから。歓迎しますよ?」
だからそうじゃないんだってばっ!
しかし文句はあれど、うまい台詞が浮かんでこない。あたしは面倒になってしぶしぶ頷く。
「――わかった。余計なことを聞いたわ。ごめんなさい。おとなしくいう通りにするわよ」
「そう拗ねないで下さいよ。代わりに国立図書館での手続きはやっておきますから」
「う、うん……」
いろいろ納得できないが、ここでアベルを困らせても仕方がないだろう。あたしは小さくため息をついた。
「そうだ。アンジェにこれを預けておきますね」
アベルはおもむろにローブのポケットから何かを取り出し、あたしの手のひらに載せる。
「通信用にお使い下さい。常時起動状態にしておきますから」
言って彼は契約指輪を自分の左手にはめた。
「なかなか可愛らしい趣味だこと。あなたが選ぶ
指輪がはめられるや否や、手のひらに載せられたねずみ型の
「このコも機能性重視に違いありませんよ。通信機能以外に標準仕様でじゃれつくという設定がされているくらいで、他はなんにもできませんから。サイズが小さいのも操作コストを考えてのものですし」
「ふうん」
指先でつつくとくすぐったそうに小さな身体をよじる。とても可愛い。
「名前は?」
「ありませんよ。自由に呼んでやって下さい」
アベルがあまりにも興味なさそうに言うので、あたしは懸命に考えてひらめいた。
「よし、じゃあアベルンで」
「……もう少しひねって下さいよ」
あ、さすがにそれはダメか。
あからさまにアベルに嫌な顔をされてしまった。あたしはもう一度考える。
「そうねぇ……なら、間を取ってベルでどう?」
気を取り直して提案した。アベルは少し悩んでいたが、小さく頷いた。
「いいんじゃないですか?」
「本当にど真ん中を取ったな」
頭の上に載るカイルがあたしたちのやり取りを笑っている。
うるさいなぁ、あたしにネーミングセンスを求めないでよ。
そうこうしているうちにレイナは豪華な装飾が施された扉の前で立ち止まった。アベルとの会話で気持ちが落ち着いてきたはずなのに、扉の前に立つと急に緊張してくる。
大丈夫、怖いことなんてないわよ。特別閲覧に指定された曾祖父の二冊の本『エーテラーナ』『アストララーナ』を読んで、必ずこの胸のわだかまりを消し去るんだから。
「さあ、どうぞ」
あたしは自分に言い聞かせると、震える足で一歩を踏み出した。
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