第6話 現実からの逃走



*****



 やっぱりな、と思った。

 アベルが前にしたことと同じことをしようとしているのだから、対策を立てないわけがないのだ。でも、そこにいた人物はあたしが知らない人で、その肩に鳥の姿を模した人形エーテロイドを載せていた。


「――逃げるのではないかとアベル君に言われていたもので」


 赤みがかった髪の男があたしの前に立ちはだかった。見た目は二十代後半といったところだろうか。胸の部分にエーテロイド協会の紋章を入れた上着をはおっている。しかし見慣れないデザインの服だ。ちょっと華美な感じがする。

 あたしは警戒する。現在は消灯時間が過ぎた時間帯であり、もちろん面会時間は終わっている。こんな時間に待ち構えているとは準備がよい。


 念には念を入れて、姿を隠す術を使っておくべきだったようね。魔術の使いすぎで倒れていた手前、病み上がりに使うのはどうかと自粛したのが甘かったか……。


「お手洗いへ行こうかと思いまして」


 それっぽい嘘を何食わぬ顔でついてみる。反応をみるためだ。


「その大荷物で?」


 やんわりと指摘されてしまった。思わず苦笑してしまう。

 あたしはきちんと身支度を済ませており、身の回りの荷物もしっかり抱えていた。お手洗いに行くだけにはさすがに見えないだろう。


 ま、簡単には見逃してくれないか。もはや言い逃れはできまい。


「……あなた、誰?」


 話題を変える。相手の指摘を肯定する意味も込めて。


「テン=ローズと申します。アベル君の迎えを頼まれましてね」


 あ、なるほど。あたしが動けなかったばかりに協会に追いつかれてしまったのか。それで実家に帰るって……そういうことね。


 テンと名乗る男性の自己紹介に、あたしは納得した。


 それにしても、なんだろう。一般職員には見えないわね……。


「あたしはアンジェリカ=アンジャベルです。アベルにはいつもお世話になっております」


 警戒しつつ、あたしはぺこりと頭を下げる。


「それはそれはご丁寧に」

「――そういうことなんで、あたしはこれで。アベルにはよろしくお伝えください」


 にこっと笑ってさっさとその場を抜けようとしたが腕を捕まれた。


 当然か。


「出ていくなら出ていくで、きちんとアベル君に説明すべきです。こっそり去るなんて卑怯だと思いますよ」

「…………」


 テンの言い分はわからないでもない。始めはあたしもそうしようと思っていたのだ。ちゃんと事情を説明して彼の元を去ろうって。


 だけどそう考えただけで苦しくなっちゃうんだから仕方ないでしょ? こんなんじゃ彼の顔を見て話せるわけがないじゃん。


 話せそうになくて、でもアベルとともに行くのは無理だと判断したのだから、こっそり様子を窺って脱走するしか方法がない。あたしの行動を読んでいたらしいアベルによって、簡単に逃げられないように高層階――眺めの良いここは六階である――に閉じ込められていたため、逃走ルートは制限されていた。まったく準備がいいものだ。


 黙ってにらんでいると、テンは言葉を続けた。


「――やはりアンジャベル家の者だからですか?」


 その言葉に身体がびくりと反応する。

 アンジャベル家とクリサンセマム家の確執は根深いものなのだ。


「否定はしません」


 はっきりとあたしは告げる。


「それならそうと伝えるべきですよ。彼もアンジャベル家との出来事については把握しているはずです」

「…………」


 あたしは視線を床に向けたまま黙り込んだ。


※※※※※


 アンジャベル家とクリサンセマム家の確執というのは、エーテロイド職人と傀儡師アストラリストが定義されたことを発端としている。

 陣魔術師エーテリストから派生して生まれたこの二つの職業は、私の曾祖父の研究により確立された。『エーテラーナ』『アストララーナ』と呼ばれる二冊の本の発表によって。当時それらの本は注目されていなかった。応用研究の一つとしか見られていなかったからだ。

 しかしこの本に目を付けた人間がいた。クリサンセマム家である。この時代からある程度の富を築いていた当時のクリサンセマム家当主は、これらの本の増刷を買って出た。先見の目があったのだろう。その頃の印刷技術は大したことはなく、手書きで写すよりも読みやすい程度の代物で急激に冊数が増えるということはなかったが、それでも本の総数が増えれば増えるだけ情報は伝達される。

 にわかに曾祖父の研究が騒がれるようになると、クリサンセマム家はその売上金でエーテロイド協会を設立。これにより陣魔術師エーテリストからエーテロイド職人や傀儡師アストラリストに転職する人間が増えた。クリサンセマム家の働きで法が整備されたということも影響している。


 この程度のことで陣魔術師エーテリストがいなくなるわけはない。最大の原因とされるのは、現クリサンセマム家当主クリストファー=クリサンセマムの改革によるものだろう。

 彼はそれまで王家――といっても現在その権限はほとんどなく形骸化している――が管理していた図書館を買収、エーテロイド協会の一機関にしてしまった。そのおさに王家の血を引きかつ自分の妻であるコーネリアを据えて。

 それに伴い、今まで一般に広く公開していた『エーテラーナ』『アストララーナ』はその閲覧を制限されることとなった。つまりは神聖化がはかられたのである。


 それに加えていよいよエーテロイド職人、傀儡師アストラリストが国家資格として管理されることが決まった。協会も国営化が進む。名前としては国営だが、その実、ほとんどがクリサンセマム家に委託されている。

 そして現在に至る。


 その一方でアンジャベル家は滅びの道をたどっていた。

 本の権利がクリサンセマム家にあるせいでお金は入らず、かといって法で整備された以上勝手にその知識を広めることはできない。その上今まで陣魔術を使っていた人間は新たに確立された二つの魔術へと流れ、これまでやっていたように陣魔術の研究をしているだけでは食べていけなくなったのだ。もともと短命であるアンジャベルの一族は研究を捨てて別の道を模索するようになったというわけである。


※※※※※


 多少主観的意見が紛れるもののあたしが把握している限りではそんなところだ。

 大っぴらに対立したことはないが、これらの出来事に対し陣魔術師エーテリストはクリサンセマム家をよく思っていない。仕事を奪われたわけだし。

 で、アンジャベル家に同情する人間もいるわけだ。元は曾祖父の研究なんだけどね。クリサンセマム家のやり方に対する反発がそういう形となっているのかもしれない。

 とにかく、あたしとクリサンセマム家の間にはこういった経緯があり、疑問を持っているのだった。


「――とにかく、一度話し合うべきです」


 言いながらテンはあたしの手首を掴んだまま歩き出す。


「えっあっ? ちょっと待って下さい! あたしまだ心の準備がっ」


 振りほどこうとするものの、こうもしっかりと握られてしまっては歯がたたない。テンの大きな手のひらはあたしの手首をすっぽりと覆っている。なんとかして行くのを止めさせようと考えているうちにある部屋にたどり着いた。


「アベル君? 入るけどいいかな?」


 テンはドアを叩くと確認する。


「どうぞ」


 アベルの声。反応が早かったことから起きていたらしい。

 その返事を聞くなりテンはドアを開けた。


「君の言う通りだったよ」


 あたしを部屋の中に連れ込むとようやく解放した。テンは入口の前に立ち、逃げ場をふさいでいる。

 この部屋はあたしと同じ階にあり、個室であった。また襲撃を受ける可能性があるので当然かもしれない。


「でしょう? ――ひょっとしたら明け方に実行するかもと考えていたんですが、よほど急いでいたんですね」


 アベルは部屋に備え付けてあった机に向かっていたが、ドアが閉まる音を合図にこちらを向いた。


「…………」


 彼の顔を見ることができない。視線を床に落としてあたしは黙る。


「私は急がなくて良いと言ったはずですが」

「だ……だって、あの男の話を聞きたかったから……復讐だなんてやめてって言わないといけないって……早く追わないと見失ってしまうから……」

「それだけじゃないでしょう?」


 とても優しい声。

 あたしは恐る恐る視線を上げる。彼は困ったような気持ちがこもる笑顔をこちらに見せていた。


「……どうも追い詰めてしまったようですね」


 アベルは立ち上がり、あたしの前にやってきた。そしてふいに抱きしめた。


 ふぇっ!


「あなたが何に苦しんでいるのかを知っていながら、あんなことを言った私を許してほしい」

「べ、別にあたしは……」


 ぎゅうっとされてあたしの心音は余計にはねあがる。


「私はあなたがうなされている原因を知っているのです」

「!」


 え? どうして?


 あたしはゆっくりと顔を上げた。アベルの顔が間近にある。胸が高鳴った。


「ずっとうわ言のように呟いていましたよ。あの日の朝も、そして眠り続けたこの三日間も」

「な、なにを?」


 あの日の朝って、寝室侵入事件の日のこと? 寝言を聞かれていたとはなんたる失態かしら。


 さすがに寝言までは注意を向けられないし、気付いてもどうしようもないのだけれど。


 アベルはふぅと小さく息を吐き出して、形の整った薄い唇を動かした。


「クリサンセマム家のせいじゃないから――と、まるでまじないのようにずっとおっしゃっていました」

「それを知っていて……!」


 あたしの本心を、彼は知っていたというのか。


 それでいて――首都について来いと言うの?


「だからあなたに無理してついてくることはないと言ったのです。毎晩うなされていたのでしょう? 私のせいだと思いました。でもついて行きたいというのはあなたの意志であって、私の意志ではありません」


 確かに、最初に言いだしたのはあたしだ。うなされていようがなんだろうが、アベルについていけばお母さんのことがわかる、そう信じてくっついてきた。


 でも、そのことで彼を苦悩させていたというの?


「そりゃああなたがそばにいてくれたらどんなに楽しいかとは考えましたけど、それによってあなたを苦しめるのなら本末転倒です。私はあなたが幸せならそれでいい」

「なっ!」


 あたしは咄嗟にアベルの手から逃れる。そして警戒した。

 アベルは悲しそうな顔をする。


「あたし、あなたにそこまでしてほしくはない! あなたは勝手だわ! あたしはあたしのやりたいようにやるの。――ここでお別れね。今までありがとう。楽しかったわ。それじゃ」


 思った通りね。あなた、絶対に悲しげな表情を浮かべるだろうって、そんな予感がしていたの。

 あたしはアベルに背を向ける。


「嫌だっアンジェ! 行かないで!」


 彼の必死な声。それと同時に腕を引き寄せられて強く後ろから抱き締められた。


 あぁ……あたしは……。


 やっと自分の涙のわけがわかった。


 あたしはアベルのことが……好きなんだ。


 再び涙が溢れた。


「……気持ちは嬉しいんだけどさ……やっぱりあたしは……」

「――どうしたら、そのわだかまりを取り去ることができますか?」

「!」


 どうしたら? ――そうか。この胸のしこりさえなくなれば、あたしは彼のそばにいられるの?


「どうすればあなたの心を救うことができますか?」


 あたしは彼に救いを求めているの?


 ううん、それは違う。あたしは彼を救いたいの。彼の寂しさを埋めてあげたいの。だから彼のそばにいたかった。だけどそのためにはあたしの気持ちが…………整理できないよぉっ。


 次から次へと大粒の涙が頬を伝う。

 彼のそばにいたいけど、彼のそばにいたら混乱してしまうから。彼のことが好きだけど、彼はクリサンセマム家の人間だから。あたしは彼を憎んでいるわけじゃないと信じたい。あたしは彼を信じているのだと思いたい。


 ……だからっ!


「私がクリサンセマム家の人間であるがためにあなたを苦しませるというのなら、私はその名を捨てたっていい!」

「――ちょっと待ってアベル!」


 そういう問題じゃないのよ。あたしにとってはそういう問題かもしれないけど、そう簡単なことじゃないってわかってる。だって今のあなたは……。


 泣き顔のままあたしは振り向いてしっかりとアベルを見据える。そしてはっきりと告げた。


「だってあなた、次期当主となる人間なんでしょ? そんな大切なこと、軽々しく言わないで!」

「……どうして……それを……」


 目を丸くしてアベルはあたしを見つめる。


「ばかにしないでよっ! あなたは兄がいるって言ったわ。そしてあの男に対してあなたは兄が殺されたと言ったじゃない。……そしたら、次の当主になれるのはあなたになるでしょう?」


 アベルが名を捨てると言い出すのではないかと密かに予感していた。命さえ場合によっては捨てる気になる人だ。もともと家を出るつもりだったとも言っていたので、可能性はあると思っていた。

 そして彼は予期した通りの台詞を言った。その台詞はたぶん本気だ。


「――ほーら、彼女のほうがよっぽどわかっているじゃないか」


 声は意外なところから聞こえた。あたしの声ではないし、もちろんアベルの声でもない。部屋にいながらずっと黙り込んで様子を見守っていたテンのものでもない。その声はテンの肩から聞こえてきた。

 声の主は翼を羽ばたかせるとあたしの肩にふわりと着地した。鳥型の演芸用人形エーテロイド・パペットである。


「邪魔しないで下さい、兄さん」


 アベルはむっとして小さく膨れる。


 兄さん?


 あたしが見る限りでは人形エーテロイドにしか見えない。ほかの場所に誰かが潜んでいるのかとも考えたが、アベルの視線は鳥の人形エーテロイドに向けられているし、当然ながらこの部屋にはあたしとアベルとテンの三人だけだ。


 しかも喋ったわよね? 人形エーテロイドって、通常喋ることができないものじゃないの?


 横目でじっと見つめるあたしの視線に気が付いたのか、その人形エーテロイドはちょんっと軽く跳んでアベルの肩に飛び移る。


「紹介が遅くなりました。アベルの兄、カイル=クリサンセマムです。以後よろしく」


 どう見ても鳥にしか見えないその人形エーテロイドはそう言って頭を下げた。


 あれ? そういえばあの男、確かカイルって名前を出していたわよね? なんか妙な台詞を口走っていたような気がしたんだけど。聞き間違いか記憶違いかしら?


「……えっと……腹話術?」


 あたしが指してアベルに視線を向けると、彼は苦笑した。


「いいえ、違うと思いますよ。――ねぇ、ローズさん?」


 アベルの視線はドア付近で待機していたテンに向けられる。あたしもつられてそちらを見た。


「えぇ、そうですね。――魔術系統上では降霊術の類いにあたるかと。その人形エーテロイドにカイル君の霊魂アストラルを降ろしてあるんです」

「えぇっ!」


 あたしはかなり驚いた。視線を思わず鳥の人形エーテロイドに向けると、彼はあたしの指先を邪魔そうに見ていた。慌てて引っ込める。


「どうもそういうことが可能なようで」


 アベルが不満げに告げる。


「原理上あり得るとは思っていたけど、まさか現実にできる人間がいるなんて」


 涙はすっかり乾いた。話題がそれたお陰だろう。とはいえ、結構ひどい顔をしていたんじゃないかしら。

 しかしそれはおいといて、あたしは感心する。曾祖父の研究内容からすればその可能性は示唆されていたけれど、それには技量とセンスが問われるだろうとも書いてあった。つまり、誰もが簡単に習得できる術ではないということである。


「今のところ安定して成功させているのはローズさんぐらいですよ。だから私はこの術を信用していないんですがね」


 ああ、だから納得できないような顔をしているわけね。


 アベルは胡散臭そうにテンと自身の肩に乗る人形エーテロイドを見ている。


「――それはそうとアベル、彼女のほうがずっと状況を把握しているじゃないか。お前は恥ずかしいと思わないのか?」


 カイルと名乗った人形エーテロイドはアベルの耳元で言う。


「次期当主の座なんてレイナに譲れば良いでしょう? 私はそんなものいりません」


 とても不満げにアベルが答えると、カイルは彼の耳をくちばしでつついた。


「まだ言うかっ! このワガママ坊やがっ!」

「痛いっ! 兄さん、人形エーテロイドになってから性格が悪くなっていませんかっ!」


 肩に載るカイルを慌てて手で払うアベル。しかしそれをひらりとかわし、カイルはアベルの頭に載る。


「うっ」

「僕は前からこういう性格さ」


 カイルは鳥を模した身体をふんぞるようにして胸を反らした。アベルは涙目である。

 あたしはそのやり取りにすっかり心が和んでしまって思わず吹き出して笑う。


「アベル、笑われているぞ?」

「それは兄さんがつつくから……」

「だって……あぁっおかしいっ」


 お腹を抱えて笑ってしまう。泣いたり笑ったり忙しい。きっと精神状態が不安定なのね。

 笑い続けるあたしを前に、二人――でいいよね? 一人と一体なんだけど――は同時に肩を竦めて見せた。


「――さて、これで話ができる状態になりましたか?」


 割って入ってきたのはテンだ。こちらにやってくる。

 この場の雰囲気は始めの緊張感が消し飛んでいて和やかな空気が漂っている。あたし自身も、もはや去る去らないの問答劇を繰り広げるつもりはさらさらない。続きをするならまた今度だ。


「えぇ」


 あたしは頷く。気持ちを落ち着けて、目の端に残っていた涙を拭うとテンに微笑んだ。


「ではとりあえず、今後の予定について説明しましょう。文句やその他意見は話のあとってことでよろしいですね?」


 あたしはしぶしぶ頷いた。話を聞かないことには先には進めないだろうと腹をくくったのだ。

 アベルもあたしと同様、不満げな表情のまま小さく頷く。

 その様子を確認するとテンは続けた。


「――君たちの体調が回復し医者の許しが出たら、一度首都にご案内します。私が君たちの護衛を兼ねてね。その目的はアベル君に次期当主の継承権が移ったことを知らせる式典を開くためです。君たちさえおとなしくしていてくれるのなら早くて十日後には首都に着く計算になります。――ここまでで質問は?」


 あたしは素早く手を挙げる。


「はい、なんでしょう?」

「あたしは無関係だと思うのですが」


 アンジャベル家の人間であるあたしがクリサンセマム家の行事に参加する義理はない。

 そもそもあたしにとって、クリサンセマム家の当主が誰になろうと関係がない話だ。勝手に巻き込まないでほしい。


「――そこなんですが……」


 テンは言いにくそうに言葉を区切り、アベルに目配せをする。


「ん?」


 それに合わせてあたしも顔をアベルに向ける。彼は苦笑していた。


「大変申し訳ないのですが、その式典にてアンジャベル家の人間として意見をいただけないでしょうか?」

「はぁっ?」


 つい、変な声が出た。


 どういう意味よ?


 理解できずに視線を送り続けていると、アベルはどこから話したらよいものかと悩むような表情を作り、やがて続けた。


「私が継ぐかどうかは別の話として聞いていただきたいのですが、どうも最近陣魔術師エーテリストの中に過激派が生まれたようでして。あの晩の襲撃を境にクリサンセマム家に対して攻撃が仕掛けられるようになりました。その沈静化のためにあなたの力を貸してほしいのです」

「あ、あたしがっ? だってあたしはただの一般市民よ?」


 目を丸くして問うとアベルは首を横に振った。


「あの男は象徴としてのあなたを欲しがった。だとすれば、あなたが語る言葉なら彼らも耳を貸すかもしれません」


 確かに、その可能性はある。

 襲撃してきたあの男は一緒に来ないかとあたしを誘ってきた。あたしをアンジャベル家の人間だと知って必要としているようだったことを考えると、あたしが誰につくかは重要になりそうだ。


 アベルは真摯なまなざしをあたしに向けて言葉を続けた。


「――もちろん無理にとは言いません。そのためにはあなたの胸に引っかかるわだかまりを取り除くことが必須でしょうから。……考えてはくれませんか?」

「…………」


 必死な瞳に、あたしは迂濶なことは言えないと判断した。

 彼はあたしの戸惑いの気持ちを理解してくれたらしく「今すぐにとは言いませんよ」と優しく微笑む。


「わかったわ。考えておく」


 その夜の話はこれで終わりとなり、あたしは自分にあてがわれた部屋に戻るとおとなしく眠りについた。

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