第3話 真夜中の攻防戦

*****


 夜もかなり遅い頃。辺りは当然真っ暗で、部屋の中も例外なく暗い。丁度月のない時間で、瞬くように輝く星々が外を照らしている。

 そんな窓の外を背景にして動く一つの影。彼はあたしに気付くなり、その身体をびくりとさせた。


「――先に断っておくけど、夜中に部屋を訪ねたくなるほど、あたしは寂しい女じゃないわ」

「そう信じていますよ」


 アベルはわざとらしく肩を竦める。降伏したということだろうか。


 まったく……構えておいてよかったというか。


 そっと旅支度を整えて、こっそり立ち去ろうとしたアベルをあたしが待ち構えていたという図である。


「置いていくなんてひどいわ」


 あたしは口を尖らせて批難する。夜目が利くあたしと違い、こうも辺りが暗いとアベルから表情はほとんど見えていないだろうけど。


「置いていくもなにも、私は認めていませんよ?」

「確かに、勝手について行くのはあたしよ? だけど、あの人形マシンの修理を依頼したこと、忘れたとは言わせないわ」

「あの人形マシンは置いていくつもりでした」

「それは嘘ね」


 あたかも思い入れがないかのように答えるアベルに、あたしはきっぱりと言い切る。


「どうしてそう思います?」


 アベルには興味があるようだ。といっても、口調からバカにするような挑発っぽさは感じられる。どうせ気まぐれでついて行きたいだけで、正当な理由などないのだろうとからかうような。


 悪いけど、あたしは軽い気持ちで言ってるわけじゃないのよ。証明してやるんだから!


 あたしはアベルときちんと対峙した。


「だってあの人形マシンに宿る疑似霊魂アストラルがとても穏やかだったから。あれは人形マシンを大切にしている証拠だわ」

「たったそれだけの理由で?」

「いいえ。もっと決定的なことがある」


 自信満々に答える。彼が首をかしげたのがわかった。


「その指輪、あの人形マシンとの契約を示すものじゃないの?」


 暗闇の中ぼんやりと光を返すアベルの指。そこには昼間見た指輪が同じ場所にはめられていた。

 人形マシンを捨てていくのであれば、契約は解除していくはずで、契約が解除されていれば指輪は消えるものなのだ。つまり、指輪があるのだから、人形マシンを捨てるつもりがないと判断できる。


「――鋭いですね」


 彼のこの台詞はあたしの推理が正しいことを肯定していると取って構わないだろう。たぶんこのときアベルは苦笑したのだと思う。


「今の状態で動かすなんて、あなた、傀儡師アストラリストとしての自覚が足りないんじゃない?」

「ですがあなたをこれ以上巻き込むわけにはいきません」


 あたしの厳しい口調に負けず劣らずアベルは断言する。


 ったく、結構強情なタイプなのね。仕方ない、もう少しあたしのことを明かすか。


 ふぅと小さくため息。


「――そんなの構いはしないわ。あたしがあなたの厄介事に巻き込まれているなら、あなただってあたしの厄介事に巻き込まれていることになるのよ?」

「私の仕事を増やさないで下さい」


 彼の魅力的な笑顔がひきつっているだろう様子が口調からも読み取れる。


「増やした分くらい、あたしが手伝うわよ」

「お断りします」


 一歩もひかない。決意は固いようだ。

 もちろんあたしだってひくわけにはいかない。少なくとも人形マシンの修理は必須なんだから、彼をこのまま行かせるわけにはいかない。エーテロイド職人として、これだけは絶対に譲れない。


「なんで? そんなに困ることなの?」

「あぁっもうっ!」


 いらいらとした感情が滲む声。焦っているようにも感じられる。


「こんなことならもっと早く離れるべきだった!」


 額に片手を当てて、心底悔しそうに言い放つ。


「残念だったわね、相手があたしで」


 狙った獲物は簡単に見逃してあげない主義であるもので、と心の中で呟く。


「全くですよ。――気付かれると思っていたからこそ……」


 アベルは何か言いかけて、そこで止める。


「気付かれると思っていたから? ……それなのにどうして?」


 あたしが待ち構えているだろうことを予想していながら、どうして彼はこんなに慌てているのだろうか。何か予測していなかった事態が発生したってこと?


「――あなた、陣魔術師エーテリストでしょう?」


 いきなりあたしが隠していたことを指摘する。しらを切るべきか一瞬迷ったが、あたしは素直に認めることにする。


「そうよ。――だけど、どうしてそう思ったの?」


 陣魔術師エーテリストという名で呼ばれる職業がある。魔法陣を使って魔術を駆使する人々に対する総称だ。今は傀儡師アストラリスト人形エーテロイド疑似霊魂アストラルを入れる――一般的にこの作業を人形エーテロイドと契約するという――ときに使う魔術や、エーテロイド職人が人形エーテロイドを作るときに使う魔術の中にその片鱗が窺えるだけで、魔法陣を魔術として使ったり研究したりする人はほとんどいないらしい。

 あたしの家系――正確にはアンジャベルの血筋――は陣魔術師エーテリストの家系であり、お母さんも祖父母も、そのずっと前のご先祖様も、陣魔術が歴史に登場するようになったあたりから続いている陣魔術師エーテリストの一族なのだ。家に魔法陣に関した書物が数多く保管してあるのもそのためである。


「この家のいたるところに魔法陣が隠されていたものですから。人形パペット屋で私の人形マシンを隠せたのも、その能力があったからですよね?」


 指摘されて、あたしは素直に驚いた。あたしの留守中に、のんきに料理をしていただけというわけではないようだ。


 まあ、あれだけ大っぴらに使えば、見る人が見ればさすがに気付くわよね。ばれないとは思っていなかったけども。


「えぇ、その通り。その部屋にも陣が仕込んであったわ」


 見破ることができたとしても、そう易々と無効化できるわけがない。この家に描かれている陣はあたしが描いたものではなく、今のあたしでは全く足下にも及ばないだろうお母さんが描いたものだから。


 だとしても、そこまでわかっているならわざわざこんな夜中に出て行こうとはしないはずである。第三者による介入があって、緊急に立ち去らなきゃならないほど切迫した気配は微塵もない。アベルはそれなりの賢さを持っていると思うから、何かしらの方策を立てた上での行動に違いないのだろう。


 となると、あたしは何か見落としている?


「それも気付いていました」

「陣の効果については見抜けなかったってところかしら?」

「えぇ、確かにあなたがおっしゃるとおりですよ」

「――で、あなた、何か隠しているでしょ?」


 アベルが素直に認めたところで、あたしは鎌をかける。


「え?」


 明白な動揺が伝わってくる。しばしの沈黙。


「……訊くか訊くまいか、迷っていることがあるんじゃない?」


 焦らされるのは苦手だ。何事もはっきりさせたいのがあたしの性格。あたし自身、回りに隠している秘密は多いのだが、その反動だろうか。


 でも誰だって人に知られたくないことぐらい一つや二つはあるものでしょ?


「……あなたを少々侮っていました」


 アベルは開き直ったらしい。


 そろそろ諦めたってことかしらね? とにかく聞けることは聞いておかねば。


「ふぅん。ごまかさないで言ってごらんなさいよ」


 あたしが詰め寄るとアベルはため息をついた。


「……夕食、しっかり食べましたよね?」

「食べたけど、それが?」


 夕食? 突然何の話だろう?


 あたしは頷いたあとで首をかしげる。

 あの美味しい食事がなんだというのだろう。ひとときの幸福な食卓を思い出しながら、しかし一方で嫌な予感がした。


 たっぷりと時間をあけて、アベルは怖々とした様子で唇を動かした。


「――どうして薬が効かないんです?」

「は、はいっ⁉︎」


 次に言葉を失ったのはあたしのほうだ。


 く、薬?


 あたしは完全に動揺していた。口をぱくぱくさせて、だけどそこに声はない。


 え、ええっ? 全く気が付かなかった。一体どこに薬が? ってか、何の薬を盛られていたのよ、あたしは? 愉快なくらいなんともないんだけど?


「ごまかさないで、説明して欲しいところですが」


 あたしが少し前に言った台詞を真似てアベルが尋ねてくる。勝ち誇っているような雰囲気を相手に感じる。あたしが答えないと高をくくっているのだろう。頬にできたはずの傷がすぐに癒えたことをあたしがはぐらかしたから。


 さて、どうしよう。


 気持ちが整理されて、縮れている自分の前髪をなんとなく引っ張る。考え込むときの癖だ。


「なんの薬を盛ったの? 相手に気付かれないように摂取させるとすれば……そうね、あたしならスープに混ぜるところだけど」


 批難する気持ちはできるだけ抑えて、たんたんと訊ねる。


 どの料理もとても美味しかったのになぁ。ちょっとがっかり。


 騙されていたことはショックだったが、不思議とアベルを責める気持ちにはならなかった。


「あなたの推理は面白いですが、今は答えになりません。私の問いに答えてください」

「うーん……」


 しぶしぶ自分の襟元に手をかける。


「へ?」


 首全体を覆うシャツの一番上のボタンから外していく。

 彼が動揺しているのが伝わってくる。あたしが急に服を脱ぎ出していたことで動転しているのだろう。目が暗闇に慣れてきたおかげで、あたしが何をしているのかわかったに違いない。


「えっと……期待しているところ悪いけど、全部脱がないわよ?」

「それはわかるんですけど……何を?」


 あたしは胸の上あたりまでボタンを外すと、アベルにわかるように襟元を引っ張った。


「見たほうが早いでしょ。薄々気付いているだろうって思っていたんだけどね」


 一度視線をはずしたアベルだったが、あたしが見ろと言ったのでそれとなく首のあたりに焦点を合わせた。


「これって……」


 暗くてもよく見えるはずだ。魔術の効果が持続している限り、どうしてもぼんやり光ってしまうのだから。傀儡師アストラリストの持つ指輪が光るのと同じ理屈だ。


「刺青じゃないのよ。生まれつきの痣が陣になっているの。効果は身体の状態を一定に保つこと。――だから薬が効かなかったんじゃない?」


 確認してもらったところで、すぐにボタンをかける。

 首から胸の上部、そして背中の上部にかけて特徴的な痣が広がっている。平面に描く通常の魔法陣とは少し異なり、図形というより模様といったほうがしっくりくるようなデザイン。細かに編まれたその陣は容易に真似できるものではない。

 どういう訳か、アンジャベル家の人間には大抵あるらしく、お母さんも似たような陣を身体に持っているのを知っていた。


「……陣魔術に痣の陣……あなた、本当にアンジャベルの血をひいているんですね」


 アベルの表情から驚きの気持ちが消えない。


「ちゃんと本名を名乗ったじゃない」


 アンジャベルの名――実はこの姓はクリサンセマム家の名に匹敵するくらい有名なものである。ただ違うのは、クリサンセマムの名が現在の繁栄を連想させるのに対し、アンジャベルの名は過去の栄光を連想させるということ。陣魔術師エーテリストが巷にあふれかえっていた頃に最も栄えた一族として、そして最後の魔術師の名として。


「てっきり私をからかっていらっしゃるのだと、あのときは思っていたんですよ」

「あたしにはからかう理由がないわ。騙す理由もね」

「……そうですね」


 アベルがしまったなという表情を作ったので、あたしはピンときた。


 まさか、ひょっとしたら……。


「ねぇ、どうしてあなたはこの町に来たの? エーテロイド協会支部があるのにのこのこやってくるなんて、それなりに理由があったからでしょう?」


 びくっと身体を震わせる。図星らしい。アベルは視線を床に向けた。


「協会に追われているってことはたぶん、ご両親があなたを捜しているってことでしょ? ずっと旅をしていたとも言っていたし、ひょっとしたら自宅にも帰ってないんじゃないの?」

「…………」


 あたしの問いに対して、気まずそうに表情のアベルは口を引きむすんだまま何も答えない。

 黙っているならと次の質問に移る。


「――となれば、あなたには家に帰れない理由があることになるわ。それも、協会の人間に見つかるかもしれないという危険を冒してでも、この町に来なければならなかった理由がね」

「……あなたには関係のないことです」


 ぼそりと呟かれた台詞は非常に歯切れが悪い。


 いやいや。その言い方だと、あたしに関係ありそうなんだけど。


「どうかしらね?」

「もう訊かないで下さい」


 言ってため息。


「――わかりました。あなたに人形マシンを直してもらうまではおとなしくしていますよ。ですが、同伴は認めません。危険が高すぎる」

「結局、あたしを置いていくつもりなんでしょう! あたしが何をしようと、あなたは認めないつもりなんだわ!」

「当然ではありませんか?」


 寂しげな瞳がこちらに向けられる。色の異なる左右の瞳がかすかに揺れていた。


「あたし、なんでも手伝うわ。人の目をごまかすための陣だって結構知っているし、人払いの陣だって使えるよ? もちろん、エーテロイド職人としてだって手助けできるわ。――それでもあなたには厄介な部分が大きいっていうの?」


 ついつい感情的になってしまったあたしの口調に、自分自身戸惑っている。当初の目的から外れてきたような、そんな気がして。


「どうしてそこまで私にこだわるんですか?」


 怪訝そうにアベルは問う。


「一目惚れしたんだって説明したはずだけど?」


 やはりこれだけじゃ説明不足か。


 あたしと彼の立場が今と反対だったら、あたしも同じ問いを投げ掛けることだろう。そのくらい説得力がないと認める。


 でもさ、一目惚れってむしろそういうものだとも思うんだけど、どうよ?


「あなたにはそれ以外の目的があるんじゃないですか? そんないい加減な言い訳を使わずに、正直に話したらいかがです?」


 見抜かれていたか、というか、まぁ当たり前だというか。


「恋愛感情をバカにしないでよ」


 あたしは肩を竦める。


 うーん、恋愛感情を先に冒涜したのはあたしかもしれないけど。言いながら反省。


「――自分で真っ向から否定なさったんではありませんか? 恋愛感情があるというなら、もうちょっと気を引く素振りをしてもいいように思えますが。別に夜中に忍んで部屋に来たって不自然じゃありませんよ」


 こともなげに言うあたり、そういう経験があるの?


 それはそれだとしても、アベルがクリサンセマム家の人間だとわかれば言い寄る女のコもいるだろう。いや、クリサンセマム家の名がなくっても、これだけ容姿が整っていれば人を集めてしまうことだろう。充分に魅力的だ。あたしも思わずみとれてしまったもの。


「自然だろうとなかろうと、あたしは自分を安売りしない主義なの」


 胸をはってきっぱり答える。

 アベルはあたしの主張を楽しそうに笑った。


「なによっ」


 頬を膨らませて一言。

 アベルはまだ笑っているのだが、さっきまでのとげとげした雰囲気は消え去っていた。


 もうっ、そんな台詞で和まないでよっ!


「……いえ、期待通りの返事が聞けたものですから可笑しくって」

「期待通り?」

「なんとなく、そう答えるだろうなって思っていたんですよ。――あなたは今まで私が出会ってきた女性とは違う。とても楽しい」


 冷静に聞くとかなり失礼なことを言われているような気がするんだけど。


 あたしの顔はまるで火がついたかのように熱く真っ赤になっていただろう。恥ずかしい。


「よし、だったらあたし、ずっとあなたを楽しませてあげるわ。ね、だから連れてってよ!」


 自棄になるとはたぶんこういうことをいうのだろう。当初の目的なんてもはやどうでもよくなってきた。


 これは意地である。一人の女としての意地よ!


 あたしの言葉を聞いて、彼はぴたりと笑うのをやめた。


「それとこれとは話は別ですよ、アンジェリカさん。はぐらかして言いくるめようとしてもダメです。――あなたの目的はなんですか? それを正直に話して下さるなら考えてもいいですよ」

「そんなこと言いつつ、いかに断って煙に巻くか考えているんでしょう?」


 拗ねている気持ち全開で口を尖らせる。


 どんなことを言っても、どうせこの人は断るんだわ。なんて意地悪な人なのかしら。


 自分のことを棚に上げ、心の中で批難していると彼は首を横に振った。


「真摯な気持ちでお聞きするつもりです。あなたが必死であることは伝わりましたからね」

「え?」


 思わず聞き返す。


 今、なんて?


「困っている人を助けるのも傀儡師アストラリストのお仕事ですよ。ご存知でしょう?」


 確かに彼の言う通りだ。

 傀儡師アストラリストが活躍する場所は様々であるが、その仕事には人の力だけでは困難な出来事に対処するという考え方が根底にある。人々の足になったり、誰かを楽しませたり、などなどその仕事は幅広い。


「……えっと……どう話せば良いのかわからないんだけど……」


 ダメ元で話してみようと決意する。ついていくことを認めてくれなくとも、なんらかの手掛かりを得られるかもしれない。あの人形マシンに描かれていた魔法陣はあたしの目的が達せられる一つの過程だと信じているから。

 アベルは真面目に耳を傾けているらしかった。黙って真っ直ぐあたしを見つめている。


「あたし、お母さんを捜しているの。今は旅をしているって説明したけど、あれは半分ウソ。連絡が取れなくなってからそろそろ二年になるわ。お父さんが死んだことを伝えたいし、あたしのことも報告したいから。――お母さんは急に行方を眩ませるような人じゃないわ。きっと何か事情があって戻れないのよ。だから、そのために」

「――その話、協会には伝えたんですか?」


 真剣な表情でアベルは訊ねる。


「何度か情報を得るために訪ねたけど、全く……」


 行方不明者の捜索などはエーテロイド協会に頼めば、各地にいる傀儡師アストラリストを通じてやってくれる。ただそれなりにお金がかかるし、いくら払えるかによって精度が変わる。

 あたしは充分なお金が払えなかったので大掛かりな調査が行えず、仕方ないので人形パペット屋の仕事やエーテロイド職人の仕事で町を離れる度に各地の協会支部に寄って情報を得ていたのだ。あんまり芳しい情報は得られなかったんだけどね。


「……なるほど。――でも何故私を選んだんです?」


 さすがに今の話だけじゃ納得してもらえないわよね。黙っていたかったけどしょうがない。


「あなたの人形マシンにお母さんが考案した魔法陣があったの。研究中のもので、まだ公表されていないはずのものよ。だから、それを描いた人物を捜せばお母さんにたどり着けるって思うの。連れてってくれないなら、誰にその陣を描いてもらったのかだけでも教えてくれない?」

「……すみません」


 アベルは表情を曇らせた。


「あの人形マシンは兄から譲ってもらったものでして、そのときにはすでにあの陣があったものですから……」


 心から申し訳なく思っているらしく、残念そうに謝ってくれる。


「じゃあ、アベルのお兄さんに聞いてみればわかるかもしれないわね」

「――さぁ、どうでしょう。わからないんじゃないかな……」


 思考する時間がわずかにあって、あたしの意見にアベルは答える。


「だけど、人形マシンはお兄さんのものだったんでしょ?」


 あたしが首をかしげて問うと、彼はまた少し考えてから返事をした。


「――実は私はあの陣を描いた人物を捜しているのです」


 突然の告白にあたしは目をぱちくりさせる。

 彼は続ける。


「ここへ来たのも、その陣を知る人物を捜すためでした。……結果的に、こうしてあなたに会うことができたわけですが――知らないなら仕方がありません」


 そしてため息。よほどその人物に会いたいのだろう。会ってどうしたいのかはわからないけど、かすかに浮かぶ切実な想いをあたしは感じ取っていた。


「――ねぇ、目的が一緒なんだから手を組まない?」


 今度は彼が目をしばたたかせた。


「やっぱり駄目かしら?」


 あたしは再度提案する。

 少なくともあたしにはメリットがある。移動する手段を持たないあたしにとって、彼についていくのは悪くない。あの人形マシンの性能を考えると、町から町への移動はどの交通機関を用いても優るものはないだろう。


 アベルは考えているらしい。うーん、と小さく唸っている。もう一押し。


「あなたにだって充分な利点があるわ。――協会に顔を出せないなら、あたしが訊きに行くから丁度いいでしょ? ちゃんと情報は伝えるし。あたしが協会で調査する代わりに、あなたは町から町へと連れてってくれればいいわ。

 あなたには人形エーテロイド以外の相棒パートナーが絶対に必要になる。あたしじゃ不足かしら?」


 いまだかつてここまで自分を売り出したことがあったかしら。ここであっさり振られたら、潔く縁がなかったのだと諦めよう。アベルだって迷惑だろうからね。聞き分けることぐらいできるわよ。


「……不足かどうかと訊かれると、私には勿体無いくらいのかただと思いますよ。あなたのことを評価しているつもりですし」


 あら、意外な答え。


 あたしはびっくりしつつも、黙って彼の結論に耳を傾ける。


「……ですが、だからこそあなたを巻き込みたくないんですよね……。護りきる自信がないから」


 台詞の後半は聞き取りにくいくらいぼそぼそとした呟きになっていた。


「まるで命を狙われているみたいな言い方ね。追いかけてくるのは協会でしょ? さすがに命のやり取りはしないと思うけど」


 大仰だなぁという気持ちを込めて言うと、アベルは何か言いかけてそのまま口をつぐんだ。そのあとに微笑む。


「そうですね。まさか協会もそこまでしないでしょうよ。たかが実家に連れ戻すためのことに、攻撃してくるわけがない。もっと平和的手段を用いるでしょうね」

「でしょ? 考えすぎよ」


 アベルが言いかけた言葉がなんだったのか気になるが、それをあえて訊ねるのは野暮というものだろう。明らかに何か隠しているようだが、あたしには関係のないことなのだと思い込むことにする。アベルのそばでお母さんの消息を調査できるならそれで充分だわ。


「ですね。――わかりました。事情も話してくださったことですし、あなたに協力しましょう。確かに、協会に聞きにいけないという私の立場ではあなたの存在は必要不可欠。期待していますよ」


にっこりとスマイル。


 やったあ! あたし、やったわ! アベルの首を縦に振らせることに成功したのよ!


 心の中でぎゅっと拳を握る。


「はいっ! あたし、頑張るから!」


 アベルのため、自分自身のため。


 待っててね、お母さん。あたし、必ずたどり着いてみせるから。


「――そうと決まれば、きちんと休みますか」


 アベルは小さく欠伸をして一言。

 今は真夜中だ。明日発つのであれば休むべきである。


 しかし……その言葉を素直に信用してもいいのかしらね?


 あたしの疑う視線に気付いたのだろう。アベルは優しく微笑んだ。


「心配しないでください。もう逃げたりしませんよ」

「だってあなた、人形マシンの修理を依頼しておいて出ていこうとしたじゃない」


 また同じ手を使うかもしれない。そう考えるのは自然でしょ?


「じゃああなたは朝までそこにいるつもりですか? ――あ、そこまで心配なんでしたら一緒に寝ますか?」

「なっ!」


 真面目な顔でアベルが言うものだから、あたしはかなり焦った。


 だってそれってさ、そういうことだよね? アベルがあたしに手を出すとは想像もつかないけど。


「一目惚れした相手に逃げられたくないのでしょう? 添い寝くらいなら、構いませんよ。あなたとなら眠れると思います」

「そ、そうよね、添い寝……ああ、うん?」


 いや、まあ、添い寝……うん、手は出さない宣言ってことなんだろうけど、それはそれでどうなの?


 あたしの慌てっぷりが伝わったのだろう。アベルは大笑いした。


「あはは、冗談ですよ。からかってみただけです」


 がーんっ! アベルにからかわれた……。


 ショックを受けてしばし呆然とする。


「私としては本当にどっちでも構わないんですよ? あなたが好きなようにすればいい」

「わかったわよ! あなたを信じて部屋に戻ればいいんでしょっ!」


 まだ笑い続けるアベルを背にしてあたしは膨れる。


 そんなに笑わなくたっていいじゃないっ! あたしは本気で焦ったのよっ!


「きっとぐっすり眠れると思いますよ」


 ようやく落ち着いたのか、彼は笑うのをやめるとあたしの背中に声を掛けた。


「ん?」

「私があなたに盛った薬は睡眠薬です。通常の使用量ですからご安心を」

「致死量を盛られたら冗談にならないわ」


 あたしが自分の肩越しにアベルを見ながら答えると、彼はわかりやすく肩を竦めてみせた。


「全くそのとおりです。――良い夢を」


 アベルは部屋に戻り、戸を閉める。あたしはしばらくそこに残って中の様子を窺っていた。だけどあたしの心配は余計だったみたいで、中からすぐに寝息が聞こえてきた。


 本当に眠ってしまったみたいね。


 廊下で待ち伏せしているのも馬鹿らしくなってきて、あたしも部屋に戻り、ベッドに潜り込んだ。

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