第2話 人形と魔法陣
*****
彼を自宅に連れていき、客間に通す。さすがに協会の連中があたしの家までやってくることはないだろうから、ここにアベルを匿うのは悪くないだろう。
お店のほうだと現場の確認をするかもしれないから見つかる可能性があるもんね。
「ま、適当にくつろいでいて。あたしは修理の準備のために材料や道具を仕入れに行ってくるから」
辺りを見回して落ち着かない様子のアベルに声を掛ける。
「……あの」
「ん?」
出掛けようとしたところで足を止めてアベルに視線を向ける。
「ご両親はお留守なんですか?」
家に他の人間の気配がないのに気付いたらしい。
「えぇ。独り暮らしなの。お父さんは去年死んじゃったし、お母さんは旅に出てるから」
お父さんの話題になったときに彼は申し訳ないとでも言いたげな表情を浮かべたが、お母さんの話題を出すと彼は首をかしげた。
「旅を? あなたのお母様はエーテロイド職人か
旅をする人間が限られているがゆえに、おそらく誰でもこう考えるだろう。趣味で旅行ができるほどにお金があるようには見えないだろうし、道楽で旅行を楽しめるほどその行程は楽ではない。首都近郊に住む人たちならば少しは話が違ってくるかも知れないが、ここは首都からかなり離れた街である。それなりに栄えているとはいえ、首都の様子とは雲泥の差であった。
「えぇ。そんなところよ」
アベルの問いに、あえてあたしは断言を避ける。
「そうでしたか」
彼なりに納得してくれたらしい。彼の視線が別の場所に向く。
「じゃあ、お留守番よろしくね。まだ協会の人間がうろついているかもしれないから、見つかりたくなかったら外を出歩かないこと。良いわね?」
「はい。ご忠告ありがとうございます」
アベルがあたしに向かって微笑むのを確認するとドアを開けた。
お父さんがこの世を去ってから一年が経った。今みたいに花の美しい季節で、丁度その頃に開かれたエーテロイド職人試験の優秀者表彰式を断らざるを得なかったのも去年の話。表彰式は首都のエーテロイド協会本部で毎年行われており、あたしは家でのごたごたで、数日を必要とする表彰式の日程をこなすことが出来ないと判断したわけである。行くまでにもお金と時間が掛かるからね。
だけど、お父さんを恨んではいない。あたしがトリプルを取得したことを伝えるまでにはぎりぎり間に合ったし、とっても喜んでくれたんだもの。それに、お父さんはあたしに大切な名前を与えてくれたんだから。
だからあとはお母さんに報告するだけ。お母さんはあたしがエーテロイド職人になったことを喜んでくれるかしら? 今、どこにいるのかしら?
*****
再びあたしは店内に足を踏み入れる。室内の片付けはだいぶ進んでいた。アベルの
「さて……」
あたしは自分の部屋から引っ張り出してきた数冊の本と雑記帳をバッグから取り出す。これらを取りに戻るために家に帰ったようなものだ。
それに、今はまだアベルにこのことを知られたくないからね。
瓦礫のほとんどは撤去したものの、
これを見たときの第一印象が不釣り合いな違和感だったから、記憶のどこかはこの陣の効果を知っているはず。ということは、あたしは家にある魔法陣に関したいずれかの書物でこの陣を見たことがあるわけで……。
「あった!」
めくられた一冊の分厚い本の後半部分、そして注釈として書き込まれた数字。その数字をもとに探し出した雑記帳の該当箇所。
あたしは何度も翼の魔法陣と雑記帳に描かれた魔法陣の例とを見比べる。
これだわ。間違いない。
文章を指でなぞりながら読み進める。次第にそれが何を意味しているのかわかってきた。
「これ……作動したのかしら?」
文章の最後の一文字を指したまま、あたしは翼の魔法陣を見つめる。
現在はどう考えても作動しているはずがない。その魔法陣の効果、それは……。
「――
呟いて、そして小さく頭を振る。
そんなはずがない、そう思いたくて。
たとえお母さんがその方法を知っていたとしても、それを使うなんてことはしないはずだもの。何かの勘違い。――そう、これはただのいたずら描きで、あたしが知りたいこととは全く関係がないのよ。
そんな気持ちの一方で、全く別の思いが心を満たす。
これまで全くなにも見い出せなかったのだ。行方不明になったお母さんの手掛かりとなるものは。それが今、目の前にあるように感じられる。
あたしの直感が告げている。なにがなんでもアベルについてゆくべきだと。ここで彼を見失ったら絶対に後悔すると。
どっちにしても店がこんな状態では仕事を再開するまでに時間とお金が必要だ。そして現在、時間はあれどお金はない。生活するには足りるだろうが、この修理費を工面するのは少々厳しい。正直、アベルから費用をもらえるとしても、今日明日で用意してくれるくらいの早さがないと死活問題となる。商売はタイミングも大事なんだから。
「……とにかく、まずはしっかり直さないとね」
あったかいな……。これが
あたしは何故かそこに懐かしさを覚える。だからかもしれない。エーテロイド職人でありながら
どのくらいそうしていたのかはよく覚えていない。ふいに意識が現実に戻り、他の目的のためにごそごそと作業を始める。もちろん、明日の準備だ。
アベルには材料や道具を仕入れに行くと言ったものの、そのほとんどは家にそろっていたから買いに行く必要は実のところ全くなかった。
しかし全然準備がいらないわけもなく、こうして物を移動させたり陣を描き足したりする作業は欠かせない。
それに完璧に直してアベルに認めてもらわなきゃいけないんだもの。なおさら気合いを入れないとね。
*****
そうこうして自宅に戻ったのはだいぶ陽が傾いた頃だった。結構長い時間を一人きりにさせていたものだ。不用心だと思われるかもしれないが、あたしの家は店同様に様々な魔術で目隠しを施してある。荒らされてもすぐにわかるようにしてあるし。身につけた魔術知識は有効利用しなくっちゃ。
玄関を抜けるなり美味しそうな香りがあたしを出迎える。
はて、一体なぜ?
「ただいま」
なんとはなしに一年以上口にしていなかった台詞を言う。
すると台所からエプロンを身につけたアベルがひょこっと顔を出した。
「おかえりなさい」
そしてにっこりスマイル。
えっと……あたしには一体どういう状況なのか理解し難いんだけど。
「ぼんやり待っているのもなんなので、夕食を作ってみたんです。もうすぐ出来上がりますよ」
彼はご機嫌な様子で再び台所の奥に引っ込む。
うーん……そうじゃなくって……。
「あのさ、アベル……」
頭痛を覚えた。鞄を自分の部屋に持って行くのは後回しにして、あたしはアベルを追って台所に向かう。
「やはりご迷惑でした? 勝手に台所を借りてしまったこと」
食欲をそそる匂いで満たされた空間でアベルが鍋をかき混ぜながら問う。
「ううん。それは構わないんだけど。――だけど、よ? どう考えてもおかしいでしょう? なんで留守番をしているお客さんが、招かれた先の家で夕食をこしらえているわけ? 絶対に普通じゃあり得ないわ」
「初対面の人間に留守番させる人もなかなかいないと思いますが?」
「…………」
さらりと返されてはこちらも言葉が浮かばない。アベルの意見ももっともだ。
「――だからといって、料理を作る理由にはならないと思うんだけど……」
強く言い返せずにぼそぼそ呟く。アベルの押しに負けてしまったようだ。
あたしの台詞が聞こえているのかどうかわからないが、彼は澄ました顔をして鍋でぐつぐつ煮込まれているスープをスプーンですくって味見をする。
「うん、悪くない。――細かいことは気にしないで下さい。もう料理はできているんですから。あなたは居間で待っていてください」
「う、うん……」
あまり気が進まないけども、アベルがそう言うならそうさせてもらおう。
あたしは台所を出て自分の部屋に戻る。持ち出した本と雑記帳をあった場所にしまっていく。
壁一面が全て本棚になっている。そこに並ぶ本は元はお母さんの持ち物で、あたしが譲り受けたものの一部である。内容は魔法陣に関したものがほとんどだ。
そして、これらの本は現在手に入れるのが難しいものばかりである。あたしが生まれる前は国立図書館でいくらでも自由に閲覧できたらしいが、今は国を動かせるほどの力を持つエーテロイド協会の意向で禁止書物扱いと聞く。
でも、あたしにはその理由が全くわからない。だって、これらの本に書かれている魔法陣の知識は、エーテロイド職人も
ああ、そういえば、お母さんもこの件については愚痴をこぼしていたっけ。
きちんと整理された本の背表紙の中にはアンジャベルの名も書かれている。母方の家系の姓がアンジャベルで、そこを遡っていった先にいる人物、ちょうどあたしの曾祖父にあたる人物が書いたものが多い。お母さんはあたしが生まれるずっと前から彼の研究をしていたらしい。
そしてあたしもまた、お母さんを追うようにしてその研究の成果を学んだ。魔法陣を使った魔術を扱えるのもそのお陰。
祖父の時代までは魔法陣を使う魔術師はごく当たり前のように、それこそ現在そこら中で活躍している
そんなこともあるから、あたしもこそこそ使っているんだけどね。肩身が狭いわ。
明日のために机の上に整列した薬品から目的のものを探す。細かな傷を直したり、累積した疲労箇所を補強したりするためのものだ。それらを選びながら、あたしは小さくため息をつく。
これらを揃えるのも結構大変だったんだけど、あんまり使う機会がなかったのよね。値段もかなりしたわりには、使用条件が限られているというか。何にせよせっかくの機会だし、全部使ってしまおうっと。あれだけの
道具と薬品を新しい鞄に詰め込むと、あたしは居間に移動した。
「随分と時間が掛かったようですね。お待ちしてました」
ドアから出てきたアベルと鉢合わせ。どうやらあまりにも遅いので呼びに行こうとしていたようだ。
「あぁ、うん。ごめんね。片付けに手間取っちゃって」
部屋に入ると、テーブルの準備は整っていた。
「うわわわぁ。あの台所にあったものでよくこれだけのものを準備できたものね」
食べきれないくらいのご馳走だ。保存食ばかりの材料だが、それは単にあたしが家でろくに調理をしていないことを意味するのであって、誰のせいでもない。
並べられた皿の中で最も気になったのは団子入りスープだ。根野菜をふんだんに使用したスープと楕円型の団子の相性はとくに良さそうである。
見る限りではどう考えてもアベルの腕はあたしよりも上だ。ちょっぴり嫉妬したのは内緒の方向で。
「あるだけ全部を使ったら明日からの生活に困るでしょうから、分量は気を付けたつもりですよ。――さ、どうぞ」
アベルがあたしに近い席を勧めてくる。
明日からの生活……ね。牽制のつもり?
「あぁ、そんなこと気にすることないのに。どうせあたしはあなたについていくのよ?」
あたしはにこやかに答え、椅子に腰を下ろす。
自分の家でこれほどのご馳走にありつけるとは正直びっくりだ。
「まだ私は認めていませんよ」
アベルは引きつった笑みを浮かべて拒否する。嫌われているというより、かなり警戒されているって感じだ。
「あなたはきっと認めるわ」
「すごい自信ですね」
言いながらアベルは正面の席に腰掛ける。呆れた気持ちが滲む声だったけど、あたしは気にしない。
「まぁね」
「――さあ、どうぞ召し上がれ」
気を取り直し、アベルは声を掛ける。機嫌は損ねていないらしく、やはりにこにことしていた。
こっちが根負けすると踏んでいるみたいだけど、何か対策を練ってあるってことなのかしらね?
しかし、それはそれだ。
用意してくれた食事がとても美味しそうで、温かいうちに頬張りたい。あたしは彼を探るのをやめて、勧められるがままに食事を始めることにした。
「いただきます」
手を合わせ、生きる糧となる食べ物に小さな祈りを捧げる。
生きていることに感謝し、食卓に上がるまでに関わった全ての生き物に感謝を。
スプーンを握ると真っ先にスープを口に運ぶ。部屋を満たす香りはこの湯気からだ。
「美味しい! 今まで飲んだスープの中では一番よ」
「気に入っていただけたようで光栄です」
彼はスープと一体になった団子を口に運ぶ。
「こんなふうに向かい合って誰かと食べるなんてどのくらいぶりかしら」
「私も久しぶりですよ」
あたしが思わずしみじみと話すと、アベルは頷く。
フォークで団子をつついて頬張る。モチモチとした食感の団子はなかなかに美味である。野菜の味がしっかり出ているスープにとっても馴染んでいるし。
「――ずっと旅をしていたの?」
対面しながらの食事が久しぶりだというアベルにあたしは問う。
単純に興味が湧いた。彼はこれから一緒に旅をすることになる人だ。どのくらい自分のことを明かしてくれるかはわからないが、少しは知っておきたい。
「えぇ。成人してからですから、二年くらいでしょうか」
ふうん。成人として認められるのが十五歳だから、今は十七歳ってことね。あたしの一つ上か。
「独りっきりで?」
「いえ、始めの頃は兄と一緒に各地を巡っていました。独りで旅をするようになったのは最近のことですよ」
なるほど。お兄さんがいるのね。
「独りで旅をするのって寂しくない? あたしも仕事で町を出ることがあるけど、ひと月もしたらホームシックになっちゃう」
「へぇ……。私は寂しいと思ったことはありませんよ。ほら、
「そういうもの?」
あたしにはぴんとこないんだけど。
首をかしげると、彼は頷く。そして不思議そうな顔を見せた。
「それよりも、独り暮らしをなさっている人もホームシックにかかるということに驚きです」
「この土地に愛着があるからね。生まれも育ちもこの町だから」
「私には馴染みのない感覚ですね。――そうだ、こんな話を聞いたことはありますか?」
アベルがふいに面白そうに笑む。
「どんな話?」
「エーテロイド職人になることを選ぶ人は空間的充足を求める人で、
「うーん、当たっているともなんとも……」
初めて耳にしたアベルの話は興味深い。面白いことを知っているものだ。旅の途中で聞いたのだろうか。
「――そういうアベルは当たっているって思うの?」
「所詮は迷信ですよ。信じる人には当たっているように思えるでしょうし、信じない人にはどうでもよく思えるんじゃないでしょうか?」
「なにそれ? 答えになってないじゃない。あなたは信じてないの?」
「当たっていると思えないだけです」
言ってアベルは小さく肩を竦める。
「んじゃ、迷信自体は否定しないわけだ」
「でなければ話題にしませんよ」
「それもそうね」
くすっと小さく笑う。こんなに楽しい食事は本当に久しぶりだ。お父さんが亡くなってからはずっとなかったし。
「ねぇ、アベル。料理は誰かに習ったの?」
どれもなかなか手の込んだ料理だ。あたしが知っているようなものではなかったので、おそらく先生がいる。でなければ、かなり料理歴が長いはずだ。
「いえ、独学ですよ。小さな頃からずっと家を出るつもりでいましたから」
アベルはスープを飲んだあとに、さらりと答える。
「あぁ、お兄さんがいるから? さっきそんなことを言っていたよね」
「きっかけはそんなところですが、私は元から何かを作ることに興味があるんです。――だから、本当は
ああ、それでさっきの質問の話になるのか。アベルは空間的充足と精神的充足のどちらを求めているんだろう?
そんなことが頭をよぎったからかもしれない。あたしは思わず口走っていた。
「今からでも取れば? エーテロイド職人のライセンス」
「へ?」
まさかそんな台詞が飛び出してくるとは思いも寄らなかったらしく、アベルは食べる手をぴたりと止めてこちらを見つめた。
「確か規定にはないでしょ? どっちかのライセンスしか取得できないなんて」
「いや、そうかも知れませんが……」
「エーテロイド職人の技術も
なんだかすっごく力が入ってしまう。どうしてかしら?
あたしがきっぱりと言い切ると、アベルはくすくすと笑い出す。
「アンジェリカさんって面白い人ですね」
本当に愉快そうに笑っている。それでも遠慮がちに思えるけども。
「さりげなくバカにしてるでしょ?」
少しむっとして言うと彼は首を横に振った。
「いえいえ。私なりに誉めているつもりなんですよ。こんなに笑うのは久々で」
ちょっと腹が立ったけど、そういうならここは大らかに対応しておこう。
「――それより、あたしのことはアンジェって呼んでよ。呼びにくいでしょ?」
「いえ、そんなことはありませんが。――お嫌いですか?」
笑うのをやめて聞き返すアベルの問いに、あたしは首を振って否定する。
「みんな、アンジェって呼ぶから、なんか不思議な感じがして」
そう答えると、アベルはしばし考えるように黙り込み、少ししてにこりと笑んだ。
「わかりました。私にとってあまり馴染みがありませんが、呼びたい時にはそうお呼びしましょう」
「いや、そうかしこまらなくっても……。――そだ、あたしはあなたのことをアベルって呼んでいるけど、構わないの?」
「何をいまさら」
アベルは小さく吹き出し、声を出して笑う。さっきの笑い声よりもずっと大きい声で。
むう、そんなに笑わなくっても……。前言撤回。
「だって、国を仕切るほどまでに権力を握っているクリサンセマム家の人間だし、あたしより一つ年上だし……」
小さく膨れて呟く。顔も赤くなっているはずだ。
するとアベルはきょとんとした。
「あれ? 一つ下? てっきり私より上かと……」
「えぇーっ! ショック! あたしは十六になったばかりなのよっ!」
ぼそっと呟かれたアベルの台詞にダメージを受ける。
そんなぁ、あたし老けて見えるわけ? 苦労のし過ぎ?
「あぁっえっと……とても落ち着いていらっしゃるからそう感じただけでして……あの……聞いてます?」
聞こえているけど、返せるだけの元気は残っていない。
十六っていったらね、繊細で微妙な年齢なのよ。傷つきやすいんだからっ。
「……だから、誤解なさらないで下さい」
「……わかった、あたしが呼び捨てにしているのが嫌だったんでしょう?」
視線に憤りを込めてじっと睨む。あたしの言動が癪に触るから、わざとそういうことを言うんだと思った。
すると、アベルはスプーンを置いて小さく息を吐き出す。
「その反対ですよ」
そして、彼は優しげに笑んだ。
「?」
「あなたみたいに対等に扱って下さる方は今までいなかったものですから、とても心地よかったのです。――そんな呼び方一つで機嫌を損ねるような子どもでも狭量な心の持ち主でもないつもりです」
彼を包む空気が穏やかで、慰めるために急ごしらえで作った台詞には思えなかった。
対等な扱いが心地よい?
あたしには理解し難い感覚だ。
「ですから、遠慮なくあなたはこれまでどおりに呼んで下さい」
にっこりと微笑む。だけどそれはどこか寂しげに見えた。
友達、いないのかな?
うまい台詞が浮かばなくって、戸惑いの気持ちのままアベルを見つめる。どんな言葉を掛ければ、彼の孤独に触れることができるんだろう。彼が意識していないのであろう寂しさを、どうしたら拭い去ることができるのだろう。
うん、どうであれ、あたしはアベルを放っておけないわ。絶対に同伴することを認めてもらわなくっちゃ。
ようやっと、あたしは頷くことでアベルの申し入れに答える。彼が見せたほっとするような表情が心に引っかかった。
「――そうだ。おかわりはいかがですか? まだたっぷりありますよ」
アベルは急に話題を変える。彼が指したあたしのスープ皿はいつの間にか空になっていた。
「ううん。もう充分だわ」
気を遣わせていることに気が付いて、あたしはそれまでの笑顔を取り戻す。
アベルのそばにいたい。
すっと心に湧いた気持ちに自分なりに納得する。
あのときは一目惚れだなんて言葉でごまかそうとしたけど、ひょっとしたら本当に一目惚れしていたんじゃないかしら。あるいは、そう言ってしまったばかりにそんな気分になってしまったか。
だけど、確かなことが一つだけある。それは、彼が彼だからこそついて行きたいと思ったという事実。これだけは信じてもいい。
「――あ、やっぱり少し欲しいな」
あたしは考え直しておかわりの催促をすると、アベルはにこにこしながら「じゃあ、すぐにお持ちしますね」と言って皿を持って出ていった。
そのあともいろいろな話をして笑い合った。二人きりの賑やかな食卓。こんな時間も悪くない。
そんな感じで楽しい夕食の時間はあっという間に過ぎていった。
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