人形の国の陣魔術師《エーテリスト》

一花カナウ・ただふみ

第1話 銀髪の少年

 それは一瞬のことだった。

 目の前にあったはずの店の壁があっという間に崩れ、土煙の向こうに大通りを覗かせている。

 何が起こったのか正直わからない。しかし、頬に感じる熱と痛みが紛れもない現実であることを知らせてくれる。どうもあたしが寝惚けているわけではなさそうだ。


「んっ……」


 瓦礫がガサッと動く。その中から呻き声。

 それであたしはやっと事態を飲み込んだ。移動用人形エーテロイド・マシンに乗った何者かが、あたしの店に突っ込んで来たのだ、と。


「大丈夫?」


 慌ててあたしは瓦礫に近寄る。頬を赤く濡らす自分の血を拭うのは後回しだ。


「え、えぇ、なんとか……」


 崩れた壁の中から立ち上がったのは一人の少年。長い銀髪がさらさらと揺れ、こちらを申し訳なさそうに見つめる瞳は左右で色が異なる。顔かたちはとても整っていて、まるで観賞向きに作られた演芸用人形エーテロイド・パペットみたいに見えた。

 一つ言えることは、こんなに目立つ容姿の人物は知り合いにいないということだ。


「すみません……。あの……申し訳ないのですが、ちょっとの間匿ってはいただけないでしょうか?」


 彼は視線を通りに向けて様子を窺うと、懇願するような目であたしを見つめた。


「何かに追われているの?」


 あたしは通りが見える場所に移動すると、彼が見つめていた先をじっと眺める。これでも目が良いのが自慢の一つなのだ。見通しの良いこの大通りをやってくる人物を判別することくらい大したことではない。


 走って来るのは……協会の人たちみたいね。濃紺の制服に付けられた胸の紋章は、あたしがよく知るエーテロイド協会の印だし。


「追われていると言えば、まぁそんなところなんですけど……」


 彼はとても言いにくそうに言葉を濁す。簡単には説明できない事情がありそうだ。


「無理にとは言いません。嫌なら断って下さい」

「事情はよくわからないけど、ま、いいわ。その扉の奥に隠れていて」


 あたしは自分が最初に立っていたカウンターの裏にある扉を指す。その扉は店員――といってもあたししか従業員はいないのだけど――の休憩室につながっていた。


「ありがとうございます。……壁の弁償は必ずしますので」


 ぺこりと頭を下げて休憩室へと向かおうとした彼だったが、ふと足を止めて瓦礫に目をやった。そこには彼が乗っていたらしい移動用人形エーテロイド・マシンが埋もれた状態で、その大きな本体の一部分をさらしていた。


「この人形マシンは隠しておくわ」

「え?」


 あたしが彼の気持ちを察して伝えると、彼は目を丸くした。

 うん、ま、確かに驚くわよね、いきなりたやすく言われたら。


「心配していないで、任せなさい。早く隠れないと見つかってしまうわよ?」


 急かしてやると、彼は不思議そうな顔のまま素早く扉の奥に身を隠した。

 あたしは彼が隠れたのを確認すると、ポケットの中から使い慣れたチョークを取り出す。そして迷うことなく床に陣を描いた。円形の中に記号と図形が配置されたその陣は魔術を発動させるためのものである。


「これでよしっと」


 今まで露になっていた移動用人形エーテロイド・マシンの本体は保護色となる瓦礫の模様に包まれて、目を凝らして見ないと区別ができないようになった。

 このくらいのことなら短時間でできる。あたしが頬を拭って協会からの使者たちと対峙するまで余裕があったくらいだ。ちなみに傷はとうに癒えている。


「やぁ、アンジェ。これはまた酷いね」


 声を掛けてきた協会の使者はあたしの知人だった。この町にあるエーテロイド協会支部に勤めている青年で、なにかと世話になっている人物である。


「えぇ。派手にやられたなって気分だわ」


 わざとらしく肩を竦めてみせる。声も少しだけ張り上げて、扉の向こうにも聞こえるように言ったつもり。ちょっとした嫌味を込めている。


「――それにしても到着がやたら早いような気がするんだけど、あたしの店に突っ込んで来た人物を追っていたのかしら?」


 人形エーテロイドに関した事件・事故は必ずエーテロイド協会が処理をしてくれるのだが、今日は事故(?)が起きてから到着までが早すぎる。ここから支部までは公共の移動用人形エーテロイド・マシンを使うにはちょっぴり近く、歩いて行くには少々面倒な気分になる距離なのだ。元気に走ってきた彼らであったが、こんなに早く駆け付けることが出来るわけがない。

 案の定なにか理由があるらしく、やってきた二人は顔を見合わせ、相談するように視線と身振り手振りで会話している。


 聞かれるとまずいことなのかしら?


「……えぇ、彼に用事がありまして、捜していたんですよ」


 先に答えたのはもう一人の使者で、とても困ったような顔をして言う。


「何かの事件の容疑者ってことはないでしょ?」


 見る限りでは悪い人には思えなかった。着ている物からすると、どこかの良家のお坊っちゃんといったところだろうか。


「まさかまさか」


 笑いながら答えたのはあたしの知り合いの青年。この笑顔に偽りはなさそうである。


「あ、でもこれは充分に事件として処理できるかも?」


 あたしは通りに開かれた店の様子を一瞥してにやりとする。通りに面した壁の全てが崩れ去ったのだ。その上、商品の演芸用人形エーテロイド・パペットは瓦礫の下敷き、もしくは埃を被ってしまって仕事にならない。


 まぁ、店が瓦礫だらけじゃそれだけで仕事にならないけど。少なくとも今日の営業は強制終了ね。


 あたしの皮肉に二人は苦笑いを浮かべた。追いかけたことによって店が破壊される事態に至ったのならば、彼らにも充分な過失があるはずだ。


「修理費はこちらまで請求して下さい」


 知人の青年は胸のポケットから手帳を取り出すと、適当に一枚紙を切り取って書き付けた。あたしはそれを受け取って目を通す。


「え……本部に直接?」


 そこに書かれた住所は首都にあるエーテロイド協会本部の場所。あたしにとって縁があるようなないような、なんとも言い難い場所だった。


「はい。――で、彼は何処に行きました?」


 知人はあたしの問いにはっきりと頷き、ようやく肝心なことを訊ねる。あれだけ大きな移動用人形エーテロイド・マシンが見当たらないのだ。もうここにはいないと判断するのは自然だろう。


人形マシンに乗った人物なら、すぐに飛び出して行ってしまったわ」


 さらりとあたしは嘘をつく。万が一匿った彼が極悪人だったら自分でどうにかしよう。そのくらいの自信はある。でなけりゃ独りで店を開いたりはしないもの。


「よほどすばしっこいようだね。アンジェが取り逃がすなんて」


 いかにも珍しそうに知人の青年が言うものだから、あたしは思わず笑ってしまう。


「万引き犯を捕まえるようにはいかないわよ。突然店の壁が前触れもなく崩れてご覧なさい。びっくりして直ぐには対応できないわ」

「そうかもしれないね」


 辺りの様子を確認して青年は微苦笑を浮かべた。

 この店での万引き検挙率は他の店に比べると桁違いに高い。その事実は結構有名な話になっているはずだが、それでもゼロにならないのはそれだけ人気のある人形パペットを扱っている証拠なのだろう。

 そんなわけで、万引き犯を捕まえる度に目の前にいる青年にお世話になっているのである。


「出ていったのはついさっきだから、今なら追いつけるかもしれないわよ?」


 あまり突っ込まれたくないので話を別の方向に持って行く。これで二人が去ってくれれば、扉の奥に隠れている彼もほっとすることだろう。いや、ひょっとしたら裏口から逃げてしまったかもしれないけど。


「それもそうだね。追ってみることにするよ」


 やれやれといった表情を作り、もう一人の使者に目配せをする。


「律儀な彼のことです。もしかしたら戻って来るかもしれません。その時はすぐに協会まで連絡を」


 丁寧な仕草でお辞儀をすると、二人は来た方向とは別の場所へと走って行った。ご苦労なことである。

 彼らが戻って来ないのを確認し、あたしは魔法陣を靴の底で消す。陣が欠けたことで術の効果は失せて、見えなくなっていた移動用人形エーテロイド・マシンが姿を現した。店の出入口を粉々にしただけはあって、なかなかの大きさである。二、三人は乗ることが出来そうだ。

 あたしはその人形マシンに興味が湧いたので瓦礫をそっとどかしてみた。掘り起こすといったほうがしっくりとくる作業だが、そう掛からないうちに乗り込む場所を見つけた。

 なるほど、これは飛行用らしい。それも鳥を模したような見た目重視のものではなく、明らかに飛ぶことを目的とした高速飛行に特化した流線型。移動用人形エーテロイド・マシンにもいろいろあるが、ここまで機能にこだわっているものにはあまりお目に掛かれない。

 しかもこれは玄人の作品だろう。一目見ただけでわかる。無駄がないのだ。さぞかし速く空を進むことが出来るだろう。


「あれ?」


 本体の半分以上が出てきたところであたしはある場所に目を止める。


 魔法陣?


 違和感があった。丁度翼の付け根の辺りに、後から書き足されたらしい円形の模様。それは素人目にはただの図形にしか映らないだろう。だけどあたしにはそれが魔法陣にしか見えなかった。なんでその図形が他の人間に魔法陣と認識されないかというと――


「……まさか、ねぇ」


 傷をつけるようにして人形マシンに描かれた陣を指先でなぞる。

 溝のつき方からすると書き順が異なるようだが、これは母さんが考案したものに間違いなさそうだ。


 でも、どうしてそんなものがこんなところに?


 そこまで考えたところで、この人形マシンあるじをほったらかしにしたままであるのを思い出した。扉の向こうはとても静かである。そこに人が隠れているとは感じられないほどに。

 もういないかもしれないなと思いながら扉を開けて様子を窺う。するとそこには――


「え、嘘っ⁉︎」


 あたしはびっくりして駆け寄った。死んでいるんじゃないかと思ってしまったのだ。それくらい微動だにせず、壁に寄り掛かって静かに瞳を閉じていた。

 正直に言う。彼はただ眠っていただけだ。ぼろぼろになったローブをまとい、傷だらけの肌はそのままに、それでありながら今はぐっすり夢の中らしい。


「この状況でよく眠れたものね……」


 胸がドキドキしている。それは自分の思い違いによるものなのか、彼の美しい寝顔によるものなのかはわからないけども。


 それにしても、だ。


 飛行型のそれで店を破壊したわりには彼は元気そうである。細かな傷や汚れはあっても致命傷となりそうなものはないようだし。彼が丈夫であるというより、あの人形マシンが墜落をも想定した安全設計になっていると考える方がきっと正しい見方だろう。衝突された方は粉微塵だが、人形マシン自体にも激しい損傷はなかった。あれならすぐに直せそうだ。

 そんなことを思って、はたと気付く。

 もしも自分が出入口付近にいたとしたら、さすがのあたしでもひとたまりもなかったのではなかろうか。小さな擦り傷切り傷くらいは短時間で治っても、致命傷レベルの怪我は言葉通りに命に関わる。被害が店だけで良かったものだ。物は直せても、命は取り戻せない。

 これだけの事故だというのに外はやたら落ち着いている。昼下がりで一時的に交通量が少なくなっているとはいえ寂しいものだ。先月行われた交通網の大規模な整備による影響もあるのかもしれない。ここで客商売をするのも潮時なのかななんて思う。


「……一応、処置くらいサービスしてあげるか」


 すやすやと眠る彼の横顔に気持ちが緩み、あたしは紙と筆を手に取った。



*****



 手当てをするにあたっていろいろわかったことがある。

 彼が傀儡師アストラリストであるということは、人形マシンを従えていることからほぼ間違いない。

 そんでもって、こんなに幼く――ってもあたしと同じ歳くらいに――見えるくせにかなり良い人形マシンを使っているなぁなんて思っていたら、それもそのはず。ぼろぼろのローブを脱がしてみてわかったのだが、彼はエーテロイド協会を仕切るクリサンセマム家の親族らしいのである。かなり傷んでいたとはいえローブだってそれなりの品だし、だからこそそこに縫い付けられたクリサンセマム家の紋章は本物だと思える。だとすれば、修理費の請求先が協会本部というのも納得できよう。


 けど、どうして協会から逃げなきゃならないのかさっぱりわからないし、店に突っ込んで来た理由はますますわからないわね……。


 見通しの良い大通りに人はまばらで、店は角に建っているわけでもない。狙い澄ましたかのようにあたしの店だけが被害を受ける――この理不尽さをどう処理したものか。とにもかくにも、彼にはいろいろ訊いておきたいことがある。



*****



 冷水に浸した布巾を彼の頬に当てて汚れを拭き取っていると、彼はようやく目を覚ました。


「ん……」

「やっとお目覚め? 破壊者さん」

「あっ」


 あたしが挑発気味に声をかけると、彼は慌てて身体の向きを変える。


「す、すみません。図々しくって」

「大した神経をお持ちのようね。あたしが上着をはいでやっても全く気付かないし」


 持っていた布巾を冷水で満たした桶の中に落とし、ここぞとばかりに繕っておいたローブを手に取る。


「え?」


 彼は戸惑うような困ったような、そんな表情をあたしに向ける。


「直してみたんだけど、迷惑だったかしら?」


 洗う時間はなかったので埃まみれのままだが、それでも見映えは良くなったはずだ。

 彼はあたしが差し出したローブを手に取って目を丸くした。


「迷惑だなんてとんでもない。かなりしっかりと直してありますね。本職にしている人にも劣らない」

「……誉めすぎよ」


 さすがに照れる。修復はあたしの特技ではあるんだけど、ここまで誉めてくれた人は今までいない。結構嬉しいものだ。


「――さて、あたしにここまでさせておいて、名乗らないとは言わせないわよ? あたしはアンジェリカ=アンジャベル。あなたは?」


 照れ隠しも含めて訊ねる。

 それに対し彼は一度口を開きかけ、そこで黙ってしまう。


「本名を名乗りたくないなら偽名でもいいけど、あなたがクリサンセマム家の人間だってことは知っているんだからね」

「なっ……」


 彼は何度か目をぱちぱちとして驚きを隠さない。かなり素直な性格のようだ。感情がおもてに出やすいというか。


「修理費の請求先は協会本部だというし、そのローブにも紋章が入っていたわ。――全く無関係だったとしても、あの人形マシンもあなたもかなり目立つ。協会に問い合わせればすぐにわかると思うんだけど」

「参りましたね……」


 彼は立ち上がるとローブに腕を通す。悩むような表情を浮かべて。


「ごまかしていないで名乗りなさいよ」


 あたしがはっきり言ってやると、彼は降参したとでも言うように両手を肩の高さまで上げた。


「これは失礼を。――私はアベル=クリサンセマム。一応、エーテロイド協会現会長の息子です」

「なんでそんな人が協会に追われているわけ?」


 彼が名乗るとすぐに次の質問に移る。あたしが一番知りたいことはこの質問の二、三先にある。逃げられないうちに訊いておかなくてはと心が急く。


「とても個人的な理由ですよ。あなたには関係のないことです」


 台詞はやんわりとしたものだったが、これはつまり婉曲的に「話したくないから、教えない」という意思表示に相違ないだろう。


よし、そこは流してあげるか。


「……んじゃ、なんであたしの店に突っ込んで来たの?」

「単純な操作ミスですよ。――あぁ、今回の件については大変申し訳ないことをしました。こちらは人形パペット屋ですよね? 被害を与えてしまった人形パペットについても弁償するつもりですので、きちんと慰謝料込みでご請求下さい」


 ぱたぱたと身支度を整えながら、アベルはなめらかな口調で説明してくれる。なんというか、妙に言い慣れているように感じるのは気のせいかしら。


「あ、いえ。それは別に構わないの」

「と、言いますと?」

「それはまた別のもので請求するつもりだから」


 口をすべらしたのが悪かった。あたしが歯切れ悪く回避すると、彼は不思議そうな顔を作ったものの追及してこなかった。ここはお互い様だ。


「それはそうと、あなた、怪我をしていませんでした? 確か……頬に」


 あ、あのとき頬を拭わずにアベルを助けるのを優先したんだっけ。すっかり忘れていたわ。


「気のせいじゃない? 頬に付いた汚れがそう見えたのよ」


 ここでもあたしは回避を選択する。


 ごめんね。なんせこれはあたしの切り札だから。簡単に明かすわけにはいかないの。


「そうですか?」


 彼はあたしの顔をまじまじと見つめるが、目を皿のようにしても証拠なんてあるわけがない。ちゃんと鏡で確認したもんね。


 ってか、そんなに見つめないでほしいんだけど。なんか恥ずかしい。


「あたしのことはいいとして、アベル、あなたは大丈夫なの? かなり派手に突っ込んで来たわけだし、痛いところとか変なところとかない? 見える範囲は手当てしたんだけど、やっぱ病院で一度診てもらった方がいいんじゃないかしら?」


 にらめっこに負けた猫みたいに視線をそらし、捲し立てるように問いかける。


「えぇ、お陰様で助かりました。病院に行くほどではありません」

「良かった」


 顔を上げてアベルに微笑む。彼の怪我を気にしていたのは本当なので、とてもほっとしたのも事実だ。


「さてと。そろそろおいとましますね。ご迷惑おかけしました」


 ぺこりと頭を下げると自身の指にはめられた指輪の感触を確かめている。指輪は傀儡師アストラリスト人形エーテロイドを操るのに必要なものである。彼のそれも従えている人形マシンとの契約を示すものだろう。


 おっと、まだ訊いていない大切な話が残っているんだったわ。


「待って」


 あたしは声を低めて引き留める。アベルは怪訝な顔をした。


「まだ何か?」

「あの人形マシンには修理と調整が必要だわ。何の処置もせずにここを発つのは勧められない」

「ですがいつまでもここにいるわけにはいきません。ご迷惑をおかけすることになる」

「だけど、今の状態で外に出たりしたら、いずれ近いうちに墜落することになるわよ? それをわかっていて行かせる人間がどこにいるかしら?」


 あたしの言い分は出任せではない。きちんと診断した結果に基づくものである。

 アベルはあたしがあまりにも断定的に喋るので妙に思ったようだ。わずかに首をかしげる。


「やけに詳しそうですね」

「これでも歴としたエーテロイド職人だからね。階級はトリプル、分野は修復。――なんならライセンスも見る?」


 何を隠そう、あたしは人形エーテロイドを作ったり直したりするエーテロイド職人なのだ。一生懸命頑張った甲斐もあって、未経験で得られる最高の階級を取得している。


 それでも今は人形パペット屋なんだけどね。


「えぇっ! その歳でトリプルを? じゃあ、この店は……」


 こんなに目一杯びっくりしてもらえると告白のしがいがあるものだ。


「この店、元はお父さんのものだったの。いろいろあって、今はあたしがやっているんだけどね。だから職人としての仕事はメインじゃないの」

「折角トリプルをお持ちなのに勿体無い」


 心から残念がっているような表情でアベルが言う。


「あたしが自分で選んだ道だもの。後悔はしてないわよ。――で、提案したいことがあるんだけど、聞くだけ聞いてくれない?」

「何です?」


 警戒しているらしい。アベルはビクッと身体を震わせた。


「あの人形マシン、あたしに修理させてくれない?」

「え……いや、そうもいきません。あなたにそこまでしてもらうわけには……」

「もちろん、タダでやるほどお人好しじゃないわよ」


 あたしがはっきり告げて不敵に笑むと、アベルは見てわかるくらいあからさまに身を退いた。


「……わ、私に何を要求するつもりなんです? お金は要らないみたいなことも言ってましたよね?」


 ようやくあたしの意図に気付いたらしい。


 それにしても、ここまで感情が素直に表面化されると見ていて飽きないわね。しばらく楽しめそうだわ。


 あたしはそこで告白に踏み切ることに決める。気持ちもしっかり切り替えて、真剣な表情を作って。……ここからが大事。

 小さく息を吸い込んで、あたしは告げた。


「連れてって、あたしを。一目惚れしたの」


 念を押すつもりで飛びっ切りの笑顔を作る。


 さて、彼はどう出るかしら?


 因みに『一目惚れ』というのは嘘である。ついて行きたい理由をごまかすための言い訳なのだが、これ以上いい台詞が思い浮かばなかったのだから仕方がない。

 どうしても彼をこのまま行かせたくなかったし、あれこれ考えている余裕がなかったのだ。それにアベルの様子を見る限りでは、悪いようにはしないだろうとも思う。こればかりは自分の人を見る目を信じるしかないし、彼を信用するしかない。


「つ……連れていけ、ですって? 正気ですか、あなたは?」


 ぽかんとした様子で、あたしの台詞を反芻しているようだ。また、突拍子もないあたしの台詞に様々な疑いを持っているようにも感じられる。

 そりゃ、店を破壊した人間に対して、一目惚れしたから連れていけと大真面目に言い切る神経の持ち主がどれほどいるものか疑問である。もっとマシな言い訳があれば、よりもっともらしく言いくるめられただろうに。あたしは自分のアイデアとセンスにうんざりし、早くも後悔し始めていたのだった。


「あら、本気で言っているのよ。どうかしら?」


 笑顔はそのままに、あたしはアベルの問いに頷いて返す。

 彼は笑顔を引きつらせたような表情を浮かべる。


「いや、それはお断りします。今は協会に追われる身。あなたを気にかける余裕はありませんので」


 はっきりと告げると逃げるように歩き出す。逃げるように、じゃなくって本気で逃げるつもりだ。


「待ちなさい!」


 素早くアベルが着ていたローブを掴むと、彼はしぶしぶ立ち止まった。


「私は先を急いでおります。もう行かないと」

「あたしは真剣な話をしているんだからね! 無視するなんて許さないんだからっ!」


 頬を膨らませて彼を睨む。それなりにあたしは必死だ。あたしにとって切実な問題の手掛かりをアベルは持っている。だから逃すわけにはいかない。


「無視だなんてとんでもない。ただ私は――」

人形マシンに修理と調整が必要だって説明したこと、忘れているでしょ?」


 アベルの台詞に割り込んであたしは指摘する。

 すると彼はなるほどなという顔をした。忘れていたようだ。


「今すぐに人形マシンを動かすのは認めない。だからあたしがあの人形マシンを修理することは了承して。あたしの腕をみてから連れていくかどうかを決めるのも悪くないんじゃない?」


 あたしの訴えに対し、アベルはただあたしの目をじっと見つめ、しばらく黙っていた。真意を探っているかのような双眸。

 あたしは特徴的な彼の瞳から目をそらさずに見つめ返した。先にそらした方が負けるような気がして。


「……わかりました。あなたに私の人形マシンの修理を依頼します」


 先に視線をそらしたのはアベル。あたしの勝ちだ。


「はい! きちんと直して見せるわ」

「ですが、このこととあなたの同伴を認めることとは話が別ですからね」


 あたしの浮かれた台詞に対し、アベルはぴしゃりと一言。


 うむ、しっかりしているわね。


「わかっているわよ。――そうと決まれば一度退却ね」


 掴みっぱなしだったローブを解放する。


「あれ? すぐには取り掛かれないんですか?」


 きょとんとして首をかしげるアベル。


「きちんと修理するには準備が必要なの。あたしのうちに来てくれない?」


 そんなわけで、あたしは浮かない顔をしているアベルを半ば強引に説き伏せたのだった。

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