第12話 新たな翼
朝食の後ホテルのロビーで新聞を眺めていると、前の通りにジープが1台止まった。約束通りの時間だった。太陽が昇ったらしく灰色の曇り空はいくらか明るさを増してきていた。
前の日に移動して一泊したゼウスは、同行したユングとホテルを出た。運転してきた若い少尉は、革手袋をした手でハンドルを握りながら二人に頭を下げて会釈した。
ゼウスは後ろの荷台に荷物を放ると、荷台に申し訳程度にあるクッションに座った。一応ここが座席ということになっていた。頭の上には幌がはってあり、髪の毛が擦れた。ユングは自分の荷物を膝に抱えて助手席に座った。
少尉はゼウスらと二言三言言葉を交わすと、ジープを発進させた。ボンネットからガラガラとがさつな音を立て、車は中の軍人たちをゆすりながら通りを進んだ。幌は頭の上から後ろにかけて乗員を覆っていたが、左右は吹き抜けで冷たい風が吹き込んでいた。ゼウスはフライトジャケットの袖に両手を突っ込んで景色を眺めた。
ブリテン島の西岸の港町。そこの一番大きいホテルがアメリカ軍の御用達になっていた。ロンドンよりは開放的な雰囲気があるが、ここも空の上をねずみ色の雲が塞ぎ、12月の冷たい空気がよどんでた。
車はほどなく街を出て郊外の田園地帯を走り、やがてアメリカ陸軍航空軍の基地に到着した。
ゲートで軽い確認を受けた後、ジープは基地の奥へ二人を運んだ。敬礼して見送る兵士にゼウスは答礼を返した。
建物の間の道を進むと舗装されたエプロンや滑走路が見えた。
車がエプロンに出ると、銀色の機体に白い星を描いた戦闘機や攻撃機が多数置かれていた。アメリカの工場から送り出されて到着したばかりの機体だった。尖った鼻先をつんと空に向けたP-51が何機も並んでいた。
車に揺られながら、ゼウスは司令部から届いた文書を荷物の間から取り出した。
各封筒に各々便箋2枚はたっぷり書いたゼウスの書簡に対し、数日を置いて1枚だけの簡単な返信が届いた。すでに12月に入り、本格的な冬が来ていた。
まず、例のドイツの小隊を指して『ワイルドカード』というコードネームが割り当てられていた。司令部でも彼らの存在を把握していることが示されていた。ドイツの国内で度々現れては連合軍に損害を与え、追跡を巧みに振り切ってどこかに消えてゆく。いずれもMe109の1個小隊と考えられた。その挙動はまさに『ワイルドカード』だとゼウスも納得した。
しかし、『ワイルドカード』のために1飛行隊を専任とすることはできないとはっきり書かれていた。
ゼウスに1個小隊を編成し、運用する権限を与えると書かれていた。編成の際は飛行隊内部で十分な調整を図り、飛行隊の爆撃機護衛任務への影響を最低限にするよう念が押されていた。
次に、『ワイルドカード』が現れた場合の通報のための周波数が付記されていた。第8空軍の全部隊に通達されるとのことだった。
小隊の運用は飛行隊と完全な別行動が認められていた。機種の選定も一任するとあえて書かれていた。ゼウスはそこにもう一度目を通した。
『ワイルドカード』に関する情報はまとめて定期的に送ることが約束された。文書の下に11月まで確認された出没地点と日付のリストが付記されていた。十行ほどのリストで、日付ははっきりしていたが場所はおおよその表記だった。
小隊の編成はショーティと調整したが、4機の固定編成は無理となった。最低限2機・2人を固定配置とし、これに必要に応じて第二セクションの2機・2人を加えることになった。もっとも当面は「第二セクションが必要」と言えるほど確実に敵をとらえる手立てはなかった。
最終的にゼウスは、二人でペアを作り、好きな飛行機を選んでドイツの上空の監視に当たれという指示だと解釈した。
自分とペアを組むパイロットはすぐに思い当たった。ショーティと話し合っている席にユングを呼び、司令のあらましを伝えると、二つ返事で了解を得た。ショーティからも異論はなかった。
あとは機体だった。ゼウスは丸一晩、何にするか考えた。
「着きましたよ」
少尉がジープを止め、サイドブレーキをギーと引いた。エンジンが止まると、飛行機が試運転する音が響き渡った。二人は荷物を持ってエプロンに降りた。
「遠路お疲れ様です」
格納庫から小走りに技術者が来て声をかけた。
「ここが君の職場なのか?」
肩ほどの高さの赤毛を見下ろしながらゼウスは問い返した。
「ええ」
クイーンはつなぎにフライトジャケットを羽織り、緑の目を輝かせて答えた。化粧のかけらもない唇から白い歯が覗いた。
「機体の整備はできてます」
「そのようだな。しかし、これも君の仕事なのかい?」
「できることは何でもします。人は全然足りません」
屈託なくそう話すと、クイーンは片手を上げて戦闘機を示した。
そこでは、格納庫に頭を向けて2機の戦闘機が置かれていた。
銀色の金属がむき出しの機体は、曇り空の下でも十分な眩しさがあった。
テーパーした厚い主翼が斜め上にピンと伸びていた。その翼の中ほどにエンジンナセルがあり、尖ったスピナーの根本から3枚のプロペラが伸びていた。
エンジンナセルの後ろはまっすぐ水平に胴体が伸び、後端が細くくびれた先に丸い垂直尾翼があった。
胴体は両方の翼から2本伸びているため、垂直尾翼は2枚あった。2枚の尾翼の間を水平尾翼が繋いでいた。尾翼の外側にも丸い延長部分が突き出ていた。
主翼の中央には透明なキャノピーに覆われた操縦席と、それを包む中央胴体があった。
「ライトニングのL型です。最新です。1年前とは違いますよ。乗ればきっと驚きます!」
横歩きにP-38の周囲を回りながらクイーンが語りだした。ゼウスとユングが続いた。少尉は格納庫の前の喫煙可能エリアに移動し、胸ポケットから煙草を出しながら彼らを眺めた。
P-51に機種を変える前、ゼウスはP-38で爆撃機の護衛任務に就いていた。航続距離はP-51と遜色なく、ターボチャージャーを備え高空性能はP-51を凌いだ。機首に12.7mmのM2重機関銃を4挺束にして備え、さらにイスパノ20mm機関砲を1門搭載していた。性能的には申し分のない戦闘機だった。
しかし、同じ任務はP-51でもでき、P-51ならばドイツの単発戦闘機の素早い横転にもついていくことができた。パッカードのV1650エンジンは2段2速過給器を備え、10,000メートル以下ならば性能に十分な余裕があった。Me109の方が若干高空性能で上回ったが、その性能を十分に活かして攻撃してくるドイツ機はなかった。
あの4機を除いては…。
「懐かしいですね…」
ユングが声を漏らした。彼が新人の少尉で配属されてきたときは、飛行隊はまだP-38を配備していた。ライトニングでようやく自在に飛べるようになったときにP-51Bが届き、それに慣れた頃に銀色のP-51Dが届いた。中尉に昇進したユングには、優雅な書体で『ユングフラウ』と書かれた新品の機体があてがわれた。
「この機体のスピードが生かせれば…」
ユングは左エンジンのカウルをさすりながら銀色の機体を見上げた。
「中尉も『ジョーカー』と戦うんですね」
「『ジョーカー』?」
ユングはクイーンに話しかけられて不思議そうな顔で振り向いた。
「あれ? 違いましたっけ」
「いやいい。『ワイルドカード』より『ジョーカー』の方が分かりやすい」
ゼウスが代わりに答えた。
「しかし、民間人の君もそのコードネームを知っているのはどういうことかな」
続いてそう疑問を挟んだ。
「ここで働くということは身分によらず連合軍の一員です。勝利に必要であれば誰もが必要な情報は与えられます」
クイーンはきっぱりと言った。
「実は、司令部からあなたの小隊の機体を手配するのが私の役割だと仰せつかっているのです」
そう言って片足を引き、うやうやしく頭を下げた。
「会社の枠を超えたことを頼んでしまって申し訳ないな」
ゼウスは司令部の采配に面食らいながら言った。
「『ジョーカー』、いいですね。あいつをこれで落とします」
ユングはそう語り、エンジンカウルをコンコンと叩いた。
「僕の機体は『ユングフラウ2』です。ずっと決めてました」
「聞いてますよ。初代は胴体着陸したそうですね。お姉さんの敵討ちですね」
「もちろん!」
機体を一通り見てから、ゼウスは操縦席の後ろに仕込まれたステップを降ろし、翼の上に上がり込んで操縦席を覗いた。
P-51と変わらないぐらい狭い操縦席だった。計器盤は明らかにP-51と別物だった。操縦桿も違った。P-38は座席の右側から逆L型の腕が突き出し。正面に操縦輪が据えられていた。エルロンはこれを回して操作し、昇降舵は操縦輪全体を前後に動かすようになっていた。1本の操縦桿ではなかった。これと2本のスロットルレバーがP-38の双発戦闘機らしい部分だった。
「L型と言ったが、何が違うんだ?」
翼の上からゼウスはクイーンに聞いた。
「暖房が2倍で寒くないそうですよ」
「それはJ型からそうだ」
「ああそうでしたか。あと、ダイブブレーキがついてます」
「それは朗報だな」
ゼウスはうなずいた。
「それから、エルロンが油圧ですから、109の横転に多分ついて行けます」
クイーンは両手を左右に伸ばし、両手を交互に捻ってエルロンの真似をした。
昼食の後機体の受領の手続きを終え、ゼウスとユングはP-38の操縦席に乗り込んだ。荷物は操縦席の頭の後ろのスペースに詰め込んだ。
右、左と順番にアリソンV1710エンジンを始動させた。互いに逆回りする2基のエンジンの回転数が同調するまでしばらくかかった。
「中佐、その機体の名前は考えましたか?」
無線が通じるとユングが聞いてきた。
「そうだな…」
ムスタングとは違い機体の前方がはっきり見える操縦席の眺めを改めて確認し、ゼウスは続きを口にした。
「飛びながら考える」
管制塔と無線を交わし、エプロンに並ぶ新品の飛行機の間を抜け、滑走路へと進んだ。
2機の双発双胴の戦闘機は向かい風に鼻先を向け滑走路の端に並んだ。
2本のスロットルを一緒に前に押すと、機体はスルスルと前進を始め、ほどなく空に駆け上がった。
西にはアイリッシュ海が見えた。しかし、アイルランドが見えるより前に雲の底に達した。
2機のライトニングは、雲の下の黒い影となって自分たちの基地へと向かった。
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