第8話 邂逅

 地表がクリアに見えていた天候は、ドイツに入ると徐々に雲が増えてきていた。

 国境を超えても敵の迎撃はなかった。ゼウスはどの方向から敵が来ても対応できるよう、P-51を最大限高く飛ばすことにした。爆撃機部隊の本体より3,000mほど高く、10,000mに達したところでV1650エンジンの出力が突然落ち、操縦桿を失速直前まで最大限引いても高度を維持するのがやっとになった。

 ホワイト小隊とイエロー小隊はこのまま空の「天井」を進むことにした。1,000m下方では、ブルー小隊の4機が爆撃機に速度を合わせるため斜めにゆるく、ジグザグに飛んでいた。

 周囲を見張り、迎撃を警戒したが敵戦闘機の姿はまだなかった。

 そのうち眼下に綿の花のように煙が現れた。

 高射砲陣地の上空を通過した。標的の工業地帯はもうさほど遠くない。

 砲弾はP-51よりかなり下で炸裂していた。P-51を目印に、爆撃機が来たときの本番に備えリハーサルをしているように感じられた。10,000mをゆくP-51には振動さえ伝わらなかった。

 高射砲陣地の先でも、戦闘機が待ち構えている気配がなかった。目標の上空で爆撃機はしばらく直線飛行をする。戦闘機にとってはそれは狙いどきだ。迎撃機がもう離陸して高度をとりつつあるはずだ。ゼウスはそう考えた。

 しかし、前の方にまったく機影が見えないため、ゼウスは高射砲の被害が気になり、後ろ下方を覗いた。

 後に続く20機ほどのB-17の部隊は、まさに高射砲の弾幕に突入するところだった。爆撃機の機影を無数の煙の塊が取り囲んでいた。

 1機が直撃弾に当たり、胴体が炎に包まれるとともに主翼が上に折れ曲がり、急速に高度を落としていった。

 正視できない光景を目にし、きつく瞼を閉じ、次にゼウスは前を向いた。高射砲の弾幕を抜ける間に、あと何機被害を受けるだろう?


「10時の方向、109が4機!」

 自分の僚機が敵を見つけた。言われた方向、左横やや前を見たゼウスは愕然とした。Me109が4機、見事な編隊を保って、側面形がありありと分かるほど近くにいた。

 灰色の塗装は空と雲の間のくすんだ境界によく溶け込んでいた。胴体側面の十字マークとコード文字が目に入った。垂直尾翼のスワスチカさえも確認できた。

「こちらゼウス、109を迎撃する!」

 無線で指示すると同時に機体を左旋回に入れ、109の方向を目指した。燃料タンクも投棄した。

 機体がロールを始めると、揚力が減殺され、高度も失った。

 まったく同時に、Me109は機首を下方向に向け、P-51以上に激しい角度で降下を始めた。

 薄い空気の中で、高度を無駄に失いながら、徐々に向きを変えていくP-51。その操縦席で、自分の左横をMe109の編隊が整然と飛んでゆくのをゼウスは目で追った。

(まさか、あれが?…)

 嫌な予感が胸をよぎった。

 Me109は高度を落としながら加速し、P-51が旋回を終える頃にはB-17の部隊の正面にいた。実際のところ、109のスリムな後ろ姿を一瞬ゼウスは見失った。しかし、B-17の真上で、逆落しになる戦闘機の平面形のシルエットが次々現れた。このため、再度敵影を視認できた。

 109は2機がそれぞれ別の2機のB-17に向かって降下し、爆撃機の側面をすり抜けていった。彼らの僚機は僅かに遅れてそれに続いた。

 敵の機関銃の火焔はほんの一瞬だけ見えた気がした。それより明らかなことは、2機のB-17がぐらりと傾き、徐々に角度を深くしながら落ちていく姿だった。

「『エクスペルテ』だ! ホワイト小隊、続け! 追うぞ!」

 ゼウスは無線でそう叫ぶと、109が降下していった方向を目指した。

 爆撃機の前下方に雲が浮かび、そこに敵機は飛び込んでいった。

「ホワイト・スリー、フォーは雲の上で待機しろ。あいつらの逃げる方向を探せ。俺たちのセクションは雲に潜る!」

 降下により800km/hを超える速度に達したのを確認しつつ、ゼウスはそう指示を出し、さきほど109が飛び込んだ雲に突入した。

 目の前が一瞬塞がれ、次に再び視界が戻った。

 彼は雲の下縁で水平飛行に戻し、ゆるく旋回しながら周囲を探った。

 敵は見えなかった。

 空中戦では雲に飛び込んで急激に向きを変える。これは基本的なテクニックだ。自分たちが零戦を相手に学んだ手法でもある。歴戦の強者が行わない理屈はない。

「ホワイト・スリー、敵は見えたか?」

「いいえ、ゼウス隊長。全く見えませんでした」

「了解。雲の上に戻る」

 憤懣やるかたないとはこのことか。ゼウスは自分の感情をつとめて冷静に受け止めようとしながら、爆撃機の護衛に必要な高度までふたたび上昇した。無線で連絡していたため、雲から飛び出した自分の機体が、敵だと誤認されることはなかった。

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