■Past WATARU■
Ⅰ◆初恋◆
◆
――好き。あたしと付き合って。
全身から火が出そうだと言う表現が、決して大袈裟でないと初めて知った日。胸の音がうるさくて、ずっとずっとうるさくて。俺は顔を上げて今にも泣きだしそうな顔をしている彼女の目を見て頷いた。目に溜まる雫を堪えながら笑ったその顔は、堪らなく可愛かった。
だけど全ては、ぐちゃぐちゃになってしまった。
■Past WATARU■
幼いころから周囲の子と比べ内気だった俺は、成長してもその基本性格は変わらず。小学校までは背の順も前のほうだったこともあり、クラスで言う仕切り屋のような中心核の男子からは、チビ、ビビリ、と詰め寄られるのは日常茶飯事だった。
俗に言うイジメには到達しない、今となってはただのおちょくりくらいに思えるのだけれど、当時の俺は心に深いダメージを負っていて、メソメソとみんなの前で涙を流してしまうことも珍しくはなかった。泣けばよりからかいがいがあるとそいつらを喜ばせるだけなのに。それでも我慢しようとすればするほど涙は溢れてきて。そんな俺をいつも庇って支えてくれていたのが
優くんは運動神経がよくて、明るくて、何より人思い。困っている人がいたら迷わず手を差し伸べるし、老若男女、誰に対しても同じ平等な態度で接する。優くんが一言言えば、俺をからかう男子達は一斉に掃けていく。後日そいつらが優くんに対してごちゃごちゃ何かを言うことはなくて、小学生ながらに人望の厚さが窺えた。
同じ長男で、弟がいて、条件は変わらない。なのに俺と優くんは百八十度何もかもが違う。普通の人は妬ましく思ったりするのかもしれない。今もだけれど、当時から優くんに対してそんなあくどい感情は一切なかった。勇敢でたくましい優くんに心の底から憧れていたのだ。親友でもあり、ヒーロー。その名が相応しい人となりだと思っていた。
そう思うのは無論俺だけではなく。優くんはモテていた。鈍感な俺は普通に過ごしていてそんなことには気がつかない。小学校も中学校も、女子から優くんのことを聞かれることが多かった。一番隣にいるのだから、優くんのことをよく知っていると思われるのは至っておかしくない。ゆうくんってどう言う人がタイプなのかな?
そんなんだから、基本自信がなかった。思春期と言うのはやっかいで、自分は欲張ってはならない人間だと言うフィルターを勝手に強くかけていた。優くんと違ってモテるなんて言葉とは無縁で、冴え過ぎないわけでもないけど、特段冴えている雰囲気でもない。背は中学に入ってから嬉しいことにメキメキと伸びてくれたけれど、平凡のその下くらいにいるのが自分だと思っていた。
だから気がつかない振りをしていた。彼女に対する“気になる”気持ちを。
彼女のことを知ったのは中学一年の時。体育館で行われた初めての学年集会で、男女別で出席番号順に一列に並んだ際、隣のクラスの彼女と苗字の頭文字が近くて横になった。中学生にしてはお洒落なボブヘアで、しっかりしたお姉さんのような雰囲気。性別は違うのに、どこか優くんと似ていると思ったのが第一印象だった。
集会が終わり、後ろの女子生徒に背中を小突かれた彼女は、くるりと振り向いた。女子生徒が何かおもしろいことを言ったらしく、それまでキリッとしていた彼女の顔は、くしゃっと崩れ、とびきりの笑顔になった。その顔が視界に入った瞬間、俺の顔はどうしようもなく熱くなった。体育館から教室に向かう道中も鼓動は早いまま。彼女が目に焼きついて離れない。その日からしばらく彼女のことを思うと胸が苦しかった。のちに気がついてしまった。これが一目惚れと言うやつで、初恋と言うやつなのだと。
彼女は僕とはステータスの違う人種。さばさばしていて、話しかたもラフな感じで、男女問わずの人気者。リーダーシップを取るのも得意で、学級委員もしていたり、第一印象通り、優くんの中身をそのまま入れたような女の子。恥ずかしくて、こんな自分が彼女を好きになるだなんておこがましい気がして、誰にも打ち明けられなかった。彼女とは中学二年も、三年も同じクラスにならなかった。だから縁はないだろうと思っていた。
そんな彼女と思いがけず関わりが出来たのは中学三年、入部していたバスケットボール部の引退試合の日だった。と言っても、県大会は予選敗退してしまっていたため、顧問が最後に俺達へのはなむけとして用意してくれた地域の他中学との練習試合。これから受験期に入り、ボールにはしばらく触れなくなる。三年間一緒にやってきた仲間とも目いっぱい楽しもうと話していた。
試合開始の挨拶をし、スターティングメンバーで入ったコートから観客席を見上げて、喉が震えた。
「航―っ! 頑張れーっ!」
大好きな親友の笑顔の隣に、まさか彼女がいるなんて。優くんとは中学三年間クラスが同じで共通の友達が多かったから、応援に連れてくると言っていたのはその子達のことだと思っていた。もちろんその子達もいたけれど、クラスの女子や顔だけは分かる他クラスの女子も混ざり込んでいる。その中でも一際彼女は俺の瞳の中で目立った。
ふいに目が合うと、彼女は手を振りながら笑ってくれた。あの日のくしゃっとしたとびきりの顔で。顔が赤くなりそうで怖かったから、サッと軽く頭を下げて、俺はコート内の仲間へ向き直った。最後だと言うのに変に緊張してしまって、いつものように上手く身体が動かせなかった。
よりによってシュートを一本も決められないなんて、本当にへたれた野郎だ。試合終了後、残念すぎる自分に嫌悪を抱きながら、俺はひとり体育館の外に出てすぐのところに設置されている蛇口場に向かった。残念は重なる。暑さのせいで水がぬるい。仕方なくそれで顔を洗い、すっきりしない気持ちのままタオルで顔を拭いていて驚いた。突然彼女が姿を現したのだ。心音が上がる。
「お疲れっ」
俺の目の前で足を止めると、にっと歯を見せて彼女は笑った。顔は彼女に向けたままで、俺は脳内で目を泳がす。彼女は俺にそう言ってる? 今ここには彼女と俺しかいないのに、アホみたいな疑問を浮かべてしまうほど、俺の鼓動は高鳴っていた。
「はい、これ」
背中に隠していた右手を彼女は俺に差し出した。清涼飲料水のペットボトル。
「えっ、いいの?」
「もっちろん。小宮のために買ったんだよ」
受け取る手は震えていた気がする。ドキドキが止まらない。彼女は何の気なしに言ったのだろうけど、俺のためにと言う言葉がどうしようもなく嬉しかった。
この日をきっかけに、俺は彼女とよく話すようになった。俺が話しかけると言うよりは、昼休みや廊下ですれ違った時に、彼女のほうから声をかけてくれることが多かったのだけれど。彼女は優くんを始め、他の男子生徒とも分け隔てなく話していたから、まさか彼女が俺に好意を持ってくれているなんてこれっぽっちも気がつかなかった。
中学の卒業式の日、空気は冬を引きずっていたが快晴で、桜の蕾はふっくらと膨らみ今か今かと春を待ち詫びている。新しい未来の門出を祝うには絶好の日和だった。
優くんや友人達と写真を撮ったり、談笑したりしている最中、彼女は俺のところにやってきた。カメラを手に持っていたからシャッターでも押してほしいのかと思ったら、小さな声で耳打ちをして足早に去っていった。優くんにお手洗いにいくと断りを入れて向かったのは、体育館の外に設置されている蛇口場。手を後ろに組み、少し顔を俯かせながら彼女がひとりで待っていた。
「どうしたの?」
間抜けな声だったと思う。案の定、彼女は持っていた卒業証書の入った筒で俺の頭をポコッと叩いた。
「いっ……」
「五十嵐から聞いてはいたけど、ほんっとーに鈍感なんだな」
「え?」
「好き」
周囲の音が消えた。春風が木々を掠めてザワザワとしているはずなのに。
「あたしと付き合って」
頬を染めたまま俺を見上げる彼女の瞳には少し涙が浮かんでいる。普段はハツラツとしていてどちらかと言えば強気な彼女がこんな顔をするほどに勇気を出して気持ちを伝えてくれた。
全身が熱くて痒い。心臓の音がうるさくなりすぎて倒れそうだ。恥ずかしいけれど、それ以上に嬉しい。こんな歳で付き合うだなんてませていると思っていたけれど、そんな世間常識より、俺も彼女のことが好きだと言う気持ちが圧倒的に勝った。
「……俺も、好き、です」
優くんを含めた友人達は、彼女の俺に対する気持ちを知っていたらしく、二人でみんなの元に戻ると囃し立てられながらも祝福された。
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