九章:繋ガリ強クナル心

◇29.決心


 目覚めると、自宅のベッドの上にいた。悪すぎる夢を見ていたのだろうか。そもそも第三の物語はまだ始まっていなくて、今は第二の物語の終わり――バカだな、わたるは逃避をやめた。


 身体を起こしカーテンを少し開けて外を覗くと灰色、世界は狂った色に染められた。トドメを刺してきたはずだ、この手でアルファベットのKを潰した。Bバトルクローズだってもう纏っていないし、浴びた返り血だってあとかたもない。なのにまだ第三の物語は終わっていない。


 どうしてかは何となく分かる。まだ何ひとつ解決していないからだ。航は隣に背を向けて横たわっている梨紗りさを見た。その頭が少しだけ枕の上で動く。目を覚ましている。重たい空気の中には時計の針の音。どちらとも口を開こうとはしない。


 航の視線は梨紗の首の後ろに落ちた。残っているDark Kダークケーにつけられた糸のような傷。どれほどに痛かっただろう。身も心も。いや、今だけではない、もうずっと。


「……梨紗ちゃん、もう隠さないで」


 航は声で梨紗の左足を差した。傷ましく辛い傷跡。


 ぱっと上半身を起こした梨紗は、こちらを睨んだ。


「何? 隠してないけど。つか、あんなんなったら隠せないだろ」


 完全に開き直っている。だが、隠したいと言う気持ちが見え見えだ。航は掛け布団を剥ぐと身を乗り出し、梨紗のズボンの左裾に手を伸ばすと、思い切りずり上げた。鉄拳が顔面に飛んでくる。左頬を抑えて梨紗を見ると、その瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。


「何すんだよ変態!」

「DVでしょ、これ」


 梨紗の赤い顔は一瞬にして青くなった。鈍感な航に分かるわけがないと思っていたか。確かに火傷と勘違いする人はいるかもしれないが、航はそうでないと確信していた。


「昔付き合ってた人にやられて、男は信じれないってなって適当に性欲だけ満たすようになったんじゃなくて? それに関係してるんだよね? その傷に杏鈴あんずちゃん」


 航の視界は揺れた。臨んだのは天井だったが、すぐに梨紗の顔になった。いつしかのデジャブだな、と鼻から息を漏らす。


「こう言うのはね、恋人同士がすることだよ」

「何回も言わせんな。あたし真性のビッチだよ。アイツとあんなことだって出来ちゃうんだよ。ヤることに愛なんていらないし。好き同士じゃなくたって満たし合える。むしろ好き同士じゃないほうが、煩わしくなくて上手くいくんだよ」


 Dark Kの残像が浮かぶ。梨紗の目を航は真顔で見返した。片手を伸ばし梨紗の頭の後ろを掴むと、自分の顔に近づけた。


「じゃあ、俺とも試す?」


 予想外だったらしい。梨紗の目に一瞬動揺が滲んだ。いつしかはあんなに抵抗したのに。動じない航のシャツのボタンに、梨紗の手が伸びた。


「正気? いいんだ。こんなきったねぇ女に初めて捧げて」


 ぷち、ぷち、とひとつずつ外されていく。


「梨紗ちゃんの好きにしなよ」


 強がりではない。これは渾身の言葉を叫ぶための前置きだ。航は梨紗の目の奥深くを見つめた。


「けど、きっと冷静になったら虚しくなる。虚しくなって寂しくなってまたヤって、永遠にそれの繰り返しで満たされるわけがない。梨紗ちゃんが自分でやめない限り、一生満たされることなんてないよ!」

「うるせぇ!」


 航の右頬を梨紗の左手が張った。こっちだって辛い。けど、第三の物語を収束させるには避けられない。両手で顔を覆って震えている梨紗。航は身体を起こし、梨紗の身体の下になっていた両足を静かに引き抜いた。


 無言が続く。両手に顔を埋めたままの梨紗だが、耳は開いている。あとは自分の決心だけ。目の前にいるこの子をどうしたい? 答えはもう当に出ている。ここにはいないゆうを思った。彼の存在は心に勇気をくれる。


「俺、正直にね、第三の物語の途中で気づいてたんだ。梨紗ちゃんがDV受けてたんだってこと」


 梨紗が顔を覆っていた両手を少し動かした。隙間から覗く視線が問うている。どうして?


「凄く思い出してばかりだったから、亡くなった、元カノのことをね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る