◇27.悲しみを抱えた眠り姫


「ぎゃあ!」

「きゃあ!」


 梨紗りさ仁子ひとこの叫び、それにわたるつばさが発砲した銃声が重なった。首元に垂れ落とされた蝋に、梨紗は悶えている。首からネックレスを外し手に握った杏鈴あんずが、梨紗の傷をどうにかしようと果敢に動いたが、Dark Kダークケーに一蹴されてしまった。


「あああああああああ!」


 絶叫した航が銃を乱射し始めた。敵味方関係なく、銃弾は跳ね返る。まずい。こちらはまだしも梨紗には避ける術がない。Dark Kは変わらずこの様子を楽しんでいる。


「ワタル! 落ち着け!」


 ゆうの声かけも虚しく航は止まらない。それを見かねたのは賢成まさなりだった。賢成の蹴りを受けた航は壁にぶつかり倒れ込んだ。


「ふふっ……あーっはっはっはっ。こんなちょっとのことで仲間割れ? そんなんじゃ、このあともたないよ?」


 Dark Kは蝋燭を元の位置に戻すと、手を叩いて高笑いをし始めた。優以外に声は聞こえずとも、その動作の不快感は伝わっている。


 優は左目を抑えた。ズキンと大きな痛み。見た通りだ。Dark Kの大きく開いた口元から覗いた舌に、Kの印が刻まれている。


「おい、お前ら。Kのアルファベットはコイツの舌の上だ」


 今までのルール上、コイツもデッドに選抜された可哀想なひとりだろう。だが、今までとは決定的に違っている点がある。真也ルしんや輝紀てるきと違い、目の前にいるのは全くの見知らぬ誰かだ。今まで殺さずステージをクリア出来てきたのはただの奇跡。これはデッドからの挑戦状。目の前で苦しむ仲間を護るため、未来を護るため、優は苦渋の中、決断を下した。


「殺るぞ」


 張りめぐらされている緊張の糸に、強い動揺が絡まった。


「ちょっと待って」


 その中に真っ先に響いたのは揺れる仁子の声だった。無理もない。いくらgameゲームと言えど、人を進んで殺すと言っているのだから。


「ユウが決めたことなら従う。けど、そう簡単に取れるかしら」


 優は喉を引きつらせた。まさか――こんな場面で仁子がふざけるはずがない。


「お前、あれが何に見えてんだ」

「何に? Dark Kよ。けど顔全部が仮面で覆われてるから……シンの時も、ナリがきてくれなかったら仮面は外せなかったかもしれない。KはAより強い。フォーメーションを整えてかからないと」


 おかしいことばかりだ。声が聞こえていないだけでなく、優以外には顔さえも見えていないだなんて。どうなってるんだ。デッドの、Darkダーク Mentersメンターズの今ステージの目的は一体。


「リー?」


 立ち上がり構えた航が、眉を潜めて梨紗を見つめている。梨紗は首を横に振っている。それも必死にだ。


「何だ? もしかして、違うっつーのか?」


 今、優が下した決断が聞こえていたのだろうか。それが、間違っていると言っているように見えてならない。どういうことだ。こんなにもDark Kから屈辱を受けているのに。ヤツの命は取らぬべきだと言うのか。梨紗が口を開いた刹那、Dark Kは片手でその首元を掴み締め上げた。


「本当にお利口に出来ない子だね。いいや。全員はいないけれど、本日最大のショータイムにしようか」

「おい、何だそれ、どう言う意味だ」


 優の耳にだけ、Dark Kの声が届いていることをMemberメンバー達は理解したようだ。Dark Kは乱暴に梨紗を解放すると、怪しくその場にしゃがみ、こちらを見上げてきた。


「ホットくん、僕はね、選ばれし君達と手荒に争うつもりはないんだ」

「ユウ、ねえ、何て?」

「おい、まじで何するつもりだ」


 仁子の問いかけに答えられない。優は剣を振り上げた。しかしDark Kの身のかわしは早く、切っ先は虚しく床にぶつかった。


「そんな気性荒くしないでよー。じゃあ、始めるね。It’s show time」


 移動したDark Kの手元は、梨紗の左足に触れた。


「やめて!」


 誰の声だ、そう思うほどの金切り声は、ビリビリと引き裂く音の中に呑まれた。


「ぎぃやあああああああああああ!」


 仰け反って梨紗は叫んだ。Dark Kの手により破かれたズボンの左裾。露わになった生足に言葉を失った。答えは出ていた。航と話していた梨紗の秘密。だが想像を超えて傷は痛ましい。焼けただれたような、どすぐろい痕がふくらはぎの外側を覆っている。消したくても消えずに留まり続ける苦しみだ。


 梨紗は叫び続けている。両目から、ぼろぼろと涙を零して。その傷だけは、絶対に誰にも知られたくないと思っていたはずだ。


「アン!」


 先程の金切り声の主は遂に壊れた。梨紗と同じくらいの声で叫び泣いている。銃をホルスターに仕舞い身体を抱き止めようとしてきた翼の頬を叩いて拒絶した杏鈴は、梨紗の槍とネックレスを握り締めたままDark Kに向かって突き進んでいく。今度は剣を鞘に収めた仁子がその手を掴むのに成功した。


「アン! やめて! 危ない! 落ち着いて!」

「どいてよ! 離して! 離せ! リー! リー!」


 杏鈴の手から梨紗の槍が滑り落ちた。がむしゃらに仁子の胸元を叩いて逃れようとする。前から抱き締められても尚、梨紗に向かってネックレスを掴んでいる手を伸ばしながら抵抗を続ける。


「本当に嫌だああああああ。助けて! 助けて!」


 梨紗のその声が、助けを求めて伸びてくるあの手と被った。剣を右の耳元の辺りで高く構えた優だったが、Dark Kの姿を覗き込んで固まった。


「ああー、美しい。傑作だ。傑作だよあはははははははははは」


 しゃがんでいるが分かる。サイコパスの象徴が。ただの女の裸を見るより、梨紗の服を引き裂いて、梨紗の傷を剥き出しにしてコイツは最高潮に興奮したのだ。真性の変態。Dark A、Rとはレベルが違う。身体的には確かに手荒ではないが、精神的に追い詰めてくるこの手口には神の許しを得られる点はない。コイツは死ぬべきだ。


「ワタル、見んな!」


 横をすり抜けてDark Kに近寄ろうとした航の前に回り込み優は行く手を阻んだ。航の瞳孔は開いたままだ。完全にイっている。怒りを超えた向こう側へ。過去のあの日と同じ顔。もうここから先に暴走した航を止められる自信はない。気持ちよくなっているDark Kはまだその実力を解放しそうにはない。ここで先にこちら側が落ち着かねば。そう出来なければそのうちにつけこまれ、逆に殺られる。


「助けてって。助けてって。もう、俺は絶対っ……」

「ああ、そうだ。分かる。だから、助けるためにまずは落ち着くんだ!」


 二つの叫び声はいびつに交わりその音を肥大化させている。それに煽られ、航を落ちつけようとしている優の心も乱される。杏鈴を取り押さえている仁子と、それを手助けしている翼も同じだ。だがその中で、たったひとり、何にも乱れぬ者がいた。


 梨紗の左足を撫で快楽に酔いしれていたDark Kの右肩を、三本に枝分かれした槍の矛先が貫いた。杏鈴の落とし物を拾った賢成。怯んだDark Kを蹴りつけ、梨紗から手を離させた。そのままあの鉄の扉を破壊した足で、梨紗の両手両足の自由を奪っている鎖をぶちぎり、縛りつけられている部分を解いてやりながら叫び上げた。


「連れてけニン!」


 いつもの緩さは消えている。仁子は賢成の声を受け、自分の胸の中で暴れ続けている杏鈴に視線を落とした。


「何迷ってんだ! とっとと出ていけ!」


 えらそうだが、その指示が絶対であると言う確固たる自信を持っている瞳だ。仁子は頷くと、両手で杏鈴を抱え、歯を食い縛りながらずるずると引きずり部屋から出ていく。


「悪いがこの子はここに残す。連れ出せば彼女を求めているアイツを逃がすことになるかもしれない。狭い部屋で戦いにくいが、アイツとの決着はここでつける」


 梨紗の両手両足が自由になった。鎖が長時間食い込んでいた部分が真っ赤な痕になっている。安堵したのか梨紗はピタリと叫ぶのを止めた。賢成が両腕で抱えているその様は、悲しみを抱えた眠り姫。


「だからお前が必ず護り切れ。Gate Keeper」


 賢成は航の傍まできてからそう呼びつけると、梨紗の身体を差し出した。何でそんなことを知っているんだと賢成に問うてる余裕はない。


 Gate Keeper――恐らくはCrystal Knightsから抜けたあとの航の所有者の役職名。第三の物語中に見た航と梨紗の過去の所有者の映像が思い返される。


 優は航の右肩に手を置いた。無意識に力が入る。航なら出来る。絶対に梨紗を護れる。過去の所有者の因果の末路がどうであるかは分からないが、覆そう。


「みんな!」

「セイ! シン!」


 遠くのほうから誠也と真也が駆けてくる。


「ユウ! ワタル!」


 翼の声に反応し、優は身体を左に傾け、航は梨紗の身体を抱いたまま倒れ込んだ。突き抜けていくミニナイフ。その飛距離は長く、まだ遠いと感じる誠也と真也の元まで伸びた。


「あーあ。最悪だ。台無しだよ。ショーが」


 立ち上がったDark Kがこちらを蔑む顔に、優の左目が危機を察知した。浮かび上がった血文字のKのアルファベットが警告音のように点滅する。


 Dark Kは左手を顔より高い位置に上げた。ツゥーとその手元に形成したのは漆黒の斧。ベロリと舌舐めずりしたその顔つきはまるで死神。空気が粟立つ。だが、翼、賢成、そして部屋に辿り着いた誠也と真也もヤツから目を背けず臨戦態勢だ。航が再び立ち上がり、梨紗を抱き抱えて出入口のほうへと寄っていく。航目がけてDark Kがミニナイフを再び投げたが、優はそれを剣で弾き壁にぶつけた。Kの残る左目は少々煩わしいが、痛まぬだけ有難い。優は剣の矛先を、Dark Kに真っ直ぐ向けた。


「待っ……て」


 動きかけた身体は苦しみの乗る声に止められた。航と言う盾の後ろで壁に身体を凭れて座っている梨紗が首を横に振っている。


「ソイツは……殺しちゃ、ダメだ」






 ◆◆◆






 部屋をあとにした仁子は杏鈴の手を引き走っていた。とにかく地下室から離れなければ。その一心で闇雲に螺旋階段を上がる。


 二階まで上がり切ったところで、足止めを食らった。フォロワー達だ。誠也と真也が殺り逃した分が流れてきたのだろうか。背後を振り向くがいき止まり。


 ひくひくと泣き続けている杏鈴を見る。今この子を護れるのは自分しかいない。仁子は前方を睨み、剣の柄を強く握り締めた。片手でフォロワーと対峙しながら通路を突き進んでいく。黒い兵の腹を斬り、肩を刺し、足を撥ねる。黒色の飛沫は気高い宮殿を汚す。いく手の邪魔がなくなりほっとしたのも束の間。角を曲がって振り返ると、再びフォロワー達は蠢き出し、襲いかかってきた。この状態では後方は狙いにくい。一瞬銃撃で纏めて射殺を考えたが、杏鈴の銃は航が持ったままだ。


 仁子がこの手を離せば杏鈴はフォロワー達の餌食となるだけ。仁子は目に留まった半開きになっている部屋の扉を全開にすると、杏鈴をその中に押し入れた。すぐさま思い切り扉を閉め切り、飛びかかってきたフォロワーを真っ二つに斬り裂いた。躊躇っている余裕などない。斬って、斬って、斬りまくる。全てを殺らねば第三の物語に勝気はない。久しぶりに大量の返り血を浴びたが構っていられなかった。ボトリと落ちた黒色の腕を最後に、仁子は杏鈴を押しこんだ部屋に入ると鍵をかけた。無意味かもしれぬが、そうするほうがいくらか気持ちは落ち着ける。


 息をするのも忘れていた気がする。握っていた剣が床の上で跳ねた。扉にすがりながら、仁子はへなへなとその場に座り込んでしまった。過去の所有者の戦闘能力が優と同じレベルに高かったことに感謝するほかない。そうでなければこの場は乗り切れなかったかもしれない。


 ぐすっとぐずる音に反応した。振り返って真っ先に飛び込んできたのは青色のベッドの上で三角座りをして顔を埋めて泣いている杏鈴ではなかった。真っ青な絨毯の上でこなごなになっているネックレス。中の青色の花びらが飛び出し、元のかたちは全く分からないほどだ。


「アン、まさか、ネックレス壊れちゃ……」


 言葉を止めた。杏鈴が固く握っている拳の中にちゃんとネックレスは存在している。こなごなになっているそれに顔を近づけて、鎖の一部の色がおかしいことに気がついた。血だ。渇き切り赤色ではなく朱殷に染まっている。仁子の脳内に広がるイメージ。山積みの絵画。大量に描かれた赤いドレスを纏っているの自身の所有者。その中にひとつだけ、DEATHと書き殴られた青色のお姫様。


 ふいに、少し離れた先で、くしゃくしゃになっている紙に仁子の目は留まった。様子的に人に踏みにじられたと見える。触れるなと言われている気がしたが、止まらない。その紙を拾い上げ、広げていき仁子は目を見張った。青色のお姫様、その隣には青色のさすらいの旅人。仁子は絵画を裏返し隅のほうの文字を探した。思った通りだ。ならば、どうして賢成は宮殿外に? 結論、ボスステージで落とされる場所は百パーセント関係しているわけではなく、あくまでも過去の因果を辿るヒントの一種だったと言うことか。いずれにせよ、彼の役職は――。


「……何、見てるの」


 震えている泣き声、絵画を手にしたまま、仁子はベッドに上がった。三角座りのまま、顔を上げた杏鈴の眼光には怒り。


「何で見たの!? やめてよ!」


 足を崩し、体勢を前のめりにして伸ばしてきた杏鈴の手を、仁子は引っ捕らえた。


「やめない」


 低い声で仁子はそう言い放った。杏鈴の瞳には、また透明な感情の昂りが溜まっていく。

 第二の物語でも伝えた。逃げてほしくないと。そのメッセージが杏鈴に伝わっていないとは思っていない。むしろ身体を貫くほどに伝わっている。十分に分かっているからこそ苦しんでいるのだ、杏鈴も、梨紗も。


「ねえ、アン。背かないで」


 両目をきつく瞑った杏鈴の頬を涙が流れる。俯いて首を激しく横振りする。


「辛いの分かるよ」

「分からないよニンちゃんには! 分かるわけないよ!」

「分かるわよ!」


 杏鈴の肩が大きく震え出し悲しみの声が漏れ始めた。分かる。私にだって分かる。分かるから――熱くなり気道の狭くなった喉から仁子は声を絞り出した。


「分かるの。分かるのよ本当に。けど、やっぱり逃げちゃだめ。辛いけど、知るしかないのよ。受け入れるしかないのよ。水晶因果を辿って私達は私達に打ち勝つしかない。そうじゃなきゃ、もっとたくさんの人が苦しむことになる。ナリのこともかもしれないけど、リーのことだって……本当は同士なんかじゃないでしょう? ただの同士だったら、何でそんなに泣くのよ。友達になりそびれたなんて、どうしてそんな悲しいこと言うのよ」


 ギザギザに傷んだ声で苦しみを歌い続ける杏鈴。何も分からないくせに、その姿に梨紗との過去を見た気がした。もしも梨紗が同じように、こんな風に目の前で杏鈴に泣かれたら、どうしようもなく堪らないと、仁子も涙を流した。

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