八章:サヨウナラ、弱虫

◇26.Limited Silence


 ◆


 目を開けると、梨紗りさは、薄暗い知らない場所にいた。仰向けで、背中に床の冷たさを感じる。


 部屋の木製の壁の一部だけが、赤みの強いオレンジに染められている。炎のような色。さらに視線を動かすと、壁の高い位置で灯っている一本の太い蝋燭が目に入った。


 蝋燭に一瞬騙されたが、床だけでなく空気もかなり冷え切っている。ひくひくと引きつる胃をさすりながら身体を起こそうとしたが、ジャリジャリと言う金属音に阻まれた。やるせない気持ちになり両目を瞑る。両手両足の自由が奪われている。黒い鉄のバングルに繋がっている頑丈な黒い鎖は、太くて黒い柱に括りつけられている。


「やっと起きた?」


 後方からした悪魔の声に、両肩が浮いた。自分の身体の右側を、重たい足音が通過する。勇気を出して両目を開くと、こちらを見下しているDark Kダークケーが映った。


「中々起きてくれないから、退屈していたよ」

「ざけんな。これ解けよ」

「ほんっとに君はじゃじゃ馬さんだね。静かに可愛くしてればいいのに」


 Dark Kは優しく笑み、例の蝋燭を受け皿ごと右手に持った。


「選ばせてあげる。一、大人しく可愛く犯される。二、黒い槍で楽しく傷を増やす。三、蝋燭を使った拷問を愉しむ。さあ、どれ?」


 心底狂った変態野郎だ。これが真のデッドの呪いなのか。仮面を剥いだその顔を、梨紗は執念深く睨みつけた。


「やっぱ、いい顔するねえ、君は」


 Dark Kが一歩こちらに近づいた。


「そうだなあ、どれが一番、傷つけるのに効果があるかな」

「は?」

「僕はね、綺麗だとか、純粋だとか、そう言うポジティブな言葉が大嫌いなんだ。だから、そう言うやつを死にたくなるくらい突き落してやりたいんだよ」


 目尻を気持ち悪いほどに下げて、口角をぐいっと裂けそうなほどに上げたDark Kを見て、梨紗の脳内にはひとりのMemberメンバーが浮かんだ。


「それっ……てめえ……ワタルのこと言ってんのか」


 Dark Kは邪悪な顔のまま、それが答えだ。


「ここで君じゃなくなった君を目にした彼の絶望する顔を見るのが僕の夢さ。さあ叶えてくれ。どれがいい」


 梨紗は再び両目を閉じた。Dark Kの言葉を胸の中で繰り返す。わたるの絶望する顔を見るのが夢。その絶望とは、自分が自分でなくなるほどズタボロにされた姿を見ること。


 突きつけられた一から三までの選択肢は、絶望感を煽っているが、Dark Kの抱く夢の中には、梨紗にとっての希望が残されている。


「……もう、どれだっていいよ。お前の好きなやつにしろ」


 諦めた振りをして、梨紗はそう言い放った。出来るだけ身体の力を抜き、Dark Kを受け入れる覚悟を見せる。




 ◆




 重たく分厚い鉄の扉の向こうから頻繁に聞こえるハスキーな呻き声。航は無我夢中でその扉を拳で殴りつけていた。


「リー! リー!」


 Kの真実に気がついたからこそ、この場所に辿り着いた瞬間に響いてきた潰されたような辛い悲鳴に、中にいる梨紗の状況を察した。扉には内側から鍵がかけられている。叩いたり蹴ったり、どうにかこじ開けようと試みるがびくともしない。名を呼ぶことしかできないこの状況に、苛立ちが募る。


「アン! 離れて!」


 杏鈴あんずが壁際に身体を張りつけたのを横目で確認し、航は発砲した。ダメ元だったが案の定、銃弾は鉄の扉にぶつかり跳ね返っただけ。杏鈴と共に槍を駆使してみるが、扉に無駄に細かい傷がついていくだけだ。どれもこれも梨紗を救う糸口にはならない。


 杏鈴も定期的に扉を叩いている。眉毛を下げて、両瞳を目一杯に潤ませて、何かにすがるような表情で。


 梨紗の苦しむ声が聞こえる。だが、梨紗を苦しめているヤツの声が一度も聞こえない。中に梨紗がひとりでないことは確実なのに、何が起きているんだ。


 手の皮が剥けて血が滲んできた。足の裏がやけに痺れている。それでも諦めない。やれることは全てやりつくす。その中で、仲間の到着を待つ――。



 ◆◆◆



 先にいったMember達に追いつき、誠也せいやゆうからブックを受け取ったところで、螺旋階段を駆け下りてくるひとりの仲間と運よく再会した。


「ヨク!」


 青色のBバトルクローズを纏い二丁の銃を手にしているつばさ。クールな顔には汗が滲み、少し疲れが見えている。


「もしかしてお前らのほうにもか」

「……ああ。ワタルとアンを先にいかせて覚醒付随を駆使したが……」

「見て!」


 仁子ひとこが指差したほうを見上げる。二階の踊り場にうようよと現れた漆黒の兵達。こざかしくしぶとい。真也しんやが自ら一歩前へ躍り出ると槍を構えた。


「シン」

「ユウくんは絶対先にいって、あと、ナリくんも」


 真也の判断は懸命だ。ボスを倒すためのルーツを所持している者と、倒すための一番の戦闘能力を携えている者。


「だったら僕も残る」


 ブックをACアダプトクロックに仕舞うと、真也の横に並び、誠也は剣の柄を両手で握った。


「ニンもヨクも、二人と一緒にいって。向こうにいる敵のほうが遥かに強い。ここは二人いれば問題ないから」

「セイシン、任せた。急ぐぞ」


 いかなることにも渋っている時間はない。優が仁子・翼・賢成まさなりを引き連れ、地下室を目指して駆けていくのを見送る途中で、赤と黄色の刃は黒と交わった。


 真也の右手が左腕に伸びる。それより先に、誠也は“SINCEREシンシア”の文字に触れ、剣を大きく一振りした。張られた半球型のバリアにフォロワー達は弾かれる。


「フラッシュして巻いても今回は不利だよ」

「そっか。地下についてこられたら最悪じゃんね」

「その通り。今ここで、僕達で叩き切る」

「おっけー。ならセイは、とりあえずいけるとこまで時間稼ぎしてっ」


 敵はバリアを破ることは出来ないが、こちらからは破ることが出来る。スピードに長けている真也はノリに乗るとその威力をさらに発揮する。誠也が力の継続の限界を迎えるまでに、真也は絶えず黒い血の飛沫を上げさせた。


「セイ、いける!?」


 能力を長時間使いすぎた。普段であればここまで体力を消耗すれば、すぐに思い通りに身体を動かすことは難しい。だが、何故か、今は違う。伝い流れてくる顔の汗を拭いながら誠也は立ち上がった。何がこう出来る力を自分に与えているのか誠也には自覚があった。自分勝手なもやつく気持ちと不甲斐なさだ。

 黒い槍の先端を剣で受ける。かわしてフォロワーの腕をなぞるように斬り裂いた。溢れ出し弧を描いた黒色の血液を浴びぬよう潜り抜ける。


「あ!」


 フォロワーを頭部、胸、腹の順で刺した真也が不抜けた声を上げた。誠也が首を捻ると一体のフォロワーが逃げ出すように走り去ろうとしている。そちらは優達が走っていった方向だ。この場から一匹足りとも逃すわけにはいかない。気持ちで負けるな。誰かに護ってもらえると思うな。こいつを仕留めなければならないのは、僕だ。


 目の前でフォロワーの頭と胴が離れ離れになる。豪快に血飛沫が上がった。屍に構わず残りの兵を、誠也はギロリと睨みつけた。フォロワーに感情があるのか否かは不明だが、少しばかり縮み上がったように思える。そのあとは早かった。絨毯に染みついた黒色の血液が浮かび上がり消失すると、辺りは静けさを取り戻した。


「とりあえず、いなくなったっぽいよね」


 再び湧き出してくる気配はない。だめだ、気が抜ける。誠也の手から剣は滑り落ちた。


「セイ!」


 へたりこんでしまった誠也の元に真也が駆け寄ってきた。覗き込んできた真也から顔を背ける。目が熱い。頬も熱い。情けない。


「ごめんっ。俺が調子に乗ってずっと槍振るったから。しんどかったよね」


 違う。そうじゃない。誰も悪くない。悪いのはうじうじしている自分の心。しばし誠也が啜り上げる音だけが響いた。双子とはやはり不思議で、普通の兄弟姉妹より気持ちがシンクロしやすいところがある。そしてそのシンクロは、絶妙なタイミングで発揮されてしまうのだ。


「セイ、ブック、出そ?」


 真也はやはり察している。誠也の自分勝手なもやつく気持ちと不甲斐なさの原因を。真也の顔は見ぬまま、誠也は精一杯首を横に振った。気持ち的にフォールンの顔をまともに見れそうにない。


「じゃあ教えて。セイ、ナリくんの正体、何?」


 首は縦にも横にも動かせなかった。正体、と言うのは言いかたが悪い。真也もそう分かっているはずだろう。賢成は仲間だ。Crystalクリスタルに選ばれし者だ。だが、第一の物語から人より多くのことを知り得ている彼は、Member達から疑いをかけられてきた。杏鈴のストーカー、デッドのスパイ、だが、これらは答えじゃない。さっきは分からない振りをした、絵画に描かれている男性のことを。しかしそれを見つめる賢成の複雑な視線の色でそれが誰であるのかを感じ取れてしまった。あの宝石室に相応しいと思う人物だった。それはたったひとりしか選択肢がない。


 ずっとここまで、賢成が人より多くを知り得ていると言うことが何を意味するのか、分かっていたのに怖くて考えないようにしていたのだと思う。敵ではない、けれど、そのアントは果たして“味方”となるのだろうか。信じることは、正解なのだろうか。


「分かった、と思ったけど……でも、辻褄の合わないところも、結構あって……」


 涙を拭って、誠也はようやく真也の目を見た。


「いいよそれでも。言わない、みんなには」


 誠也が言い放った正体に、真也は特に驚かなかった代わりに、深く二度、頷いた。


「それが、しっくりきちゃう答えだよねー」


 ちらりと真也は誠也のACを見やってきた。目的はブックだろうが、誠也は眉を潜めて拒絶を示した。


「まあ、いいや―。gameゲームは進むしかないんだし、何でを聞くなら梨紗ちゃんを助けたあとで十分ってことで」


 先に立ち上がった真也は、誠也に手を差し伸べてきた。その手を握り返し、誠也も立ち上がる。真也が拾ってくれた剣を受け取ると、力を込めてグッと柄を握り締めた。



 ◆◆◆



 先へ進んだ優は、仁子、翼、賢成と共に、ひたすらに螺旋階段を下りた。地下は想定外に深かった。一階だけでなく三階まで存在する。誠也にブックを返したのはミス選択だったと一瞬思ったが、賢成の人より多く知り得ている能力に救われた。地下三階、フォロワーと対峙することなく、遂に航と杏鈴の背を見つけた。


「ワタル!」


 優の呼びかけに振り返った航は背に槍を背負ったまま、杏鈴の銃を手にしている。その血走ったまなこを見た途端、優は足止めを食らった。


「ユウ!」


 後ろにいる仁子と翼の身体にぶつかりその先に転がった。痛い。左目が疼く。それだけではない。何だこのどす黒い歪んだオーラは。発生源は航じゃない。その奥にある鉄の扉の中からだ。左目の奥深くから何かが浮かび上がってくる。人の顔。知らない顔。男性であることだけは分かる。どんどん近づいてきたその口元がいきなり動いた。ベロッと蛇のように出された舌の上には、“K”のアルファベット。


「おい! そこをどけ!」


 悪夢は弾けた。倒れたままで後方を見ると、そのどすの利いた声で叫んだのは賢成だった。仁子と翼に続き、航と杏鈴が扉の前からはけると同時、助走をつけた賢成は優の上を軽々と飛び越え、鉄の扉に向かって右足を大きく引いた。


 ドゴオッ!


 優が待ったをかけるより、砂埃が巻き上がるほうが早かった。続いてガラガラと崩れていく音がする。信じられない。いくら戦闘能力が高いと言えど、生身の足でこの扉を崩壊させるなんて次元を超えすぎだ。W武器がないからこそ、賢成のBは他のMember達より守護能力のレベルが高く設定されているのだろうか。右足は至って正常で、血ひとつも滲んでいる様子はない。瞳孔の軽く開いた鋭い目つきで賢成に煽られ、優は立ち上がった。


 Memberそれぞれ、構えの体勢に入る。砂埃が引き現れた光景に、息を呑んだ。


「おま、え……」


 悪夢はすぐに蘇った。鎖で手足を拘束した梨紗の身体に、黒い槍の刃先を立てているその顔。あの男だ。舌にKの称号を乗せた。


「リー! きゃっ!」


 梨紗を助け出そうと動いた仁子は、Dark Kが飛ばしてきたミニサイズの黒いナイフに体勢を崩された。翼が二丁の銃口をすかさず噴かせるが、Dark Kの洞察力は鋭い。忍ぶような足取りで、優はDark Kとの距離を詰め始める。梨紗は仲間が到着したことに気がついているのだろうか。力なく、まるで死体のように動かない。天井の一点を見つめたままで横たわっている。近づいて見えてきたが、ところどころ黄色のBに赤い血が滲んでいる。砂埃が引いた瞬間に見た光景から、あの黒い槍でキリキリと傷をつけられる拷問を受け続けていたに違いない。憤りに胸が痛く、熱くなってくる。


「彼女に何をした」


 優は歩みを止め左を見向いた。にやにやと笑っているDark Kを、深い憎しみを込めて睨んでいる親しき友。


「離せ! 今すぐ、その汚い手を引けよ!」


 その航の声を聞いた梨紗の身体がピクリと動いた。刹那、銃声が響く。航が発砲したDark Kはその弾をスローで見ているかのように余裕の表情でかわした。


「さすがは元Crystal Knightsナイツの坊やだ」


 ゆらりと闇を引きずるようにして立ち上がったDark Kに、優の左目はズキズキと痛む。左手に銃を持ち直し、右手で背についている槍を引きぬいた航は些か微妙な表情をしている。


「言いたいことがあるならはっきり言えよ」

「えっ……」


 優が驚いたのは荒れた航の言葉遣いに対してではない。Dark Kは、たった今はっきりと物申していた。思わず背後を振り返り仁子と目線を合わせる。優の慌てた様子に首を傾げてはきたが、何を訴えているかは理解していない様子だ。翼、杏鈴、賢成も仁子と同じ顔をしている。と、言うことは、全員が航の意見に違和感を感じていない。即ち、Dark Kの声は、優にしか聞こえていない。航を含めた他のMemberには、Dark Kがただ口元を動かしているように見えているのだ。


 事実を口に出そうとして優は噤んだ。梨紗が暴れ始めたのだ。あんなにも力尽きた様子であったのに。両手両足を封じられてる状態で身体を揺すってDark Kの元から逃れたい意思を示している。しかし、その梨紗の行為はDark Kの手に火を持たせた。

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