第6話 保育園に子どもを預けて、働く妻を、双方の両親が反対
健を保育園に預けて、由美が働く3ヶ月前の年末年始、私と由美は健を連れて、双方の実家へ帰省した。由美の実家は福岡。私の実家は広島。福岡と広島は近く、移動も便利なことから、帰省するときは双方の実家へ平等に同じ滞在日数で行くようにしている。
平等にする理由は、移動の便利さ、だけではない。平等にしないと、どちらかの両親が過剰な心配をしたり、ひがむからだ。以前、ゆみの実家にいる滞在日数の方が長いことがあった。理由は私が福岡で行きたい場所があったからにすぎない。
しかし、私の母から福岡での滞在日数を聞かれたとき、私は単なる世間話だと解釈して深く考えずに、日数だけを答えた。すると母は「なぜ福岡の滞在日数が長いの? もしかして、由美さんは私のことを避けているのかしら? 私は世間で言われているような、嫁と姑の悪い関係にならないよう、すごく気くばりしているのに、がっかりだわ」と、過剰な心配させてしまった。だから、帰省の滞在日数は平等。健が貰う、お年玉も平等が良いのだ。
最初は由美の実家へ行った。由美は、3ヵ月後の4月から、健を保育園に預けて、働き始める、両親へ伝えた。自分の両親という気安さと、絶対に断られない安心感があるのか、私も同席する夕食の場で、由美は世間話をするような軽いノリで話を切り出した。
話を切り出した瞬間、なごやかだった夕食の場の雰囲気が一変した。義父と義母は二人とも、顔が硬直している。二人は、私が同意しているかが気になるようで、私へ視線を向ける。私と目が合うと、気まずそうに、目をそらす。二人の気まずそうな仕草で、私も気まずさを感じてしまう。義父と義母は、私に気を遣って、気まずそうに次に繰り出すべき言葉を探しているように見えた。
由美は場の雰囲気が一変したことを奇妙に感じたようで「ど、どうしたの? お父さんも、お母さんも、いつも私がやりたいことは応援してくれたじゃない?」という。このセリフに、義父と義母は答えない。由美は困ったような顔をしながら、私へ何か言えというような眼差しを向ける。私はこういうときに、張り切ってしまう。
「おとうさん、おかあさん、私は同意していますよ。結婚する前から、子どもができても、2年の育児休暇後には、働き始めるって決めていました。だから、健を保育園に預ける準備も、由美さんが働き始める準備も、進めています。その鍵は私にあると思っています。私は育児で活躍します。こういうパパを、イクメン、って言うんですよ」
「亮くん、ありがとう。由美のワガママで、男の亮くんに育児をしてもらうなんて、すまないね」と、義父は私へ丁寧に謝意を伝えた後、表情を少し厳しく変えて視線を由美へ向けた。
「由美、夫婦間の問題は、亮くんの協力で、なんとかなる。でも、世間体を考えろ。まだ1歳の子どもを保育園に預けて、会社へ行く女に、世間の目、近所の目は厳しいぞ。世間の厳しい視線に耐えられるのか? もし耐えるとしても、俺が生まれた大分だったら、村八分にされるかもな」
由美は、ふうー、と溜め息をつき「だから、九州って田舎は嫌なの。もう今は、九州男児が、しきる男の世界って時代じゃないでしょ。もし、九州がいまだに古い価値観の田舎であっても、東京という場所は、そうじゃない。夫婦ともに働くのが当たり前なの。テレビつけたら、政治家が毎日のように、女性も働いて輝く働き方改革が重要、そのための子育て支援が必要、って言ってるよ」
「それ、建前だろ。福岡出身の大臣とか、しょっちゅう女が2人は産んで、しっかり育ててくれたら、そういう政策は要らない、って本音の失言を連発してるぞ。本音では、東京の大人たちだって、女は2人は産んで、しっかり自分で育てろ、と考えている。それなのに、まだ小さな子どもを保育園に預けて、会社へ行く女に向けられる目は厳しいぞ」
義父のセリフに頷きながら、義母が初めて口を開いた。
「由美、私は働き始めるのを諦めろ、とは言わない。でも、もう2、3年くらい待てないの? 健ちゃんが幼稚園に入る4、5歳までは、そばにいてあげなさい。男の子は4、5歳までは、おかあさんがいつも傍にいてあげないと、ダメなのよ。4、5歳前に、保育園へ預けるとき、ママー、ママー、どこにも行かないで、って泣き叫ぶわよ。おかあさんが自分より仕事を優先することに、情緒が不安定になって、いい子に育たないわよ。男の子を、いい子に育てるには、一人っ子じゃ、甘えん坊になるからダメ。甘えん坊だった第1子が、弟や妹ができると、しっかりするのよ。由美、2人目を産みなさい。どうせ、健ちゃんが4、5歳までは由美が、そばにいてあげるんだから、2人目を産んでも同じでしょ」
3人の子どもを立派に育てた義母の言葉は、優しさと説得力を兼ね備えている。義母の言葉に、義父だけでなく、私も大きく頷いてしまった。
義父と由美と私の3人が言いたいこと話す中、義母は皆の話を聞く役に徹して、場の空気を読みつつ、初めて口を開いたセリフ一発で、場をまとめてしまった。会社の会議では、このような人が評価される。
翌日、福岡から広島へ向かう新幹線の車中で、健は窓際の席に座り、車窓に広がる景色の移り変わりを飽きもせず目を輝かせて眺めている。3人がけ座席の真ん中に座る由美が、通路側の席に座る私に話しかけてきた。
「広島に着いたら、お義母さんに、健を保育園に預けて私が復職すること話してみて。私が居ないときに」
「ええー、由美が居ない時に? 一緒にいるときの方が拒絶されにくいし、印象もいいと思うよ」
「一緒のときは絶対に嫌。きっと私のお母さんと同じようなことを言うと思うの。それを言う時の厳しい視線に私、耐えられないよ」
「お義父さんが同じことを言っていたね。厳しい視線に耐えられないから、女は働くな、って」
「お義母さんの視線は別。嫁と姑の関係は別世界なの。ほかの人の視線なら大丈夫」
「うわー、トンネルだ。ママ、トンネルだよ」
新幹線がトンネルに突入した瞬間、健の景色を眺める好奇心も瞬時に切れる。こういうとき、健が関心や依存を向ける先は、いつもママだ。
翌日、私は母と二人きりになった短い時間を見計らって、健を保育園に預けて、4月から由美が復職すること話してみた。予想した通り、福岡で義母と同じようなことを言う。
唯一、義母と違う話は、私が父を、パパと呼ばなかったことだ。私は健と同じように、ママ大好きっ子、だったらしい。ママ大好きっ子の私は、母がいないときさえ、父に話しかけることが無かったという。
父は私が、パパと呼んでくれないことを悩んでいたらしい。母が家に居ないとき、父は今日こそ「パパ」と呼んでもらおうと、私の関心を先読みして、父は常に自分から話しかけて、私が必要とする情報や物を与えて、甘やかしていたという。いつも父が先に自分から話しかけたら、息子の私は、パパと呼びかける必要性が無い。
この話は今後、父としての作法を考える良い契機になった。健が、パパと呼んでくれない理由も分かったような気がする。由美が家に居ないとき、健の関心を先読みして、自分から情報や物を先に与えてはいけない。健が自分で探す、自分から聞く、という自主性を促す育て方をしよう、と肝に銘じた。
この話は、大人同士の関係では、逆になる。恋愛やビジネスなど大人同士の場合、相手の関心を先読みして、相手が望む情報や行動を、自分から先に与える結果として、相手の気持ちを掴むことができる。これを気配りとか、おもてなしという。相手に要求されないと行動できない大人は、指示待ち人間と揶揄されて、評価されない。
大人同士の気配りしあう関係に慣れてしまった優秀な人が親になると、つい我が子にも気配りして、子供が望む情報や物を親が先読みして、まだ子供が要求していないのに、先に親が与えてしまう。この甘やかしに、子供は最初こそ喜ぶが、そのうち当然と思い込み、ワガママで自主性が欠如した子供に育ってしまう。
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