第5話 パパと呼んでくれない息子、ママと呼んでくれない娘

 翌週の月曜日、私がジョギングを終えて、いつも通り6時半に帰宅すると、由美は出勤する準備が整っていた。紺のキャリアスーツを着る由美は美しい。だが、先週の金曜日に比べると、表情と瞳は少し曇って見える。典型的な「行かなきゃいけないから義務で会社へ行くビジネスパーソン」という雰囲気を醸しだしている。

「健はまだスヤスヤ寝ているよ。じゃあ、行ってくるから、健のこと、よろしくね」といい、由美は家を出た。

 健は7時半頃に起きて、あちこち歩きながらキョロキョロと家の中を見廻している。健の視界に、私は入っているのだが、健は私に「ママはどこ?」とは聞かない。あくまでも自分で事実を確認したいようだ。

 健が自ら話しかけてくるまで、私は健を眺めていることにしている。なぜなら、健の関心事を私が先読みして、健が何も言わないうちに、健が求める情報や物を私が先回りして与えてしまう子どもの育て方は、過保護すぎて良くないからだ。

 健はママが家にいない事実を悟ったようで、私に歩み寄りながら、こう話しかけてきた。

「ねえ、ママは?」


 私は健に学習してほして、少し理屈っぽく答えることにした。

「ママは自分のやりたいこと、やらないといけないことを、やるために会社へ行ったよ。健も朝ごはんを食べたら、保育園に行かないといけないね」


 健は父である私を、パパと呼んでくれない。お父さんとも呼んでくれない。いつも最初の呼びかけは「ねえ」である。

 一方、母である由美のことは、いつも「ママ」と呼びかける。公園へ家族3人で行き、健が同じ歳ごろの子ども遊んでいるときも、健の視界には私と由美が並んで立っているのが見えている。このときも「ママ、見てぇ」とか「ママ、こっち来て」等、健は話しかける相手として必ず由美を選び、ママと呼びかける。

 健が私に話しかける状況は、由美が不在のときに限られる。健としては、ママと話したいが、ママがいないなら、しかたなく私に話しかける、という感じに見える。

 パパと呼んでくれない状況を私は一時、けっこう悩んだ。

 まず、由美に相談してみた。


「私はいつも健と一緒にいる。亮は父として、健と接する時間が短すぎる。もっと早く帰宅して、健と風呂に入れたり、遊んであげて」と、由美はいう。

 パパと呼んでくれない理由が、子どもと接する時間の短さにある、ことは否定できない。でも、違う理由があるはずだ。なぜなら、私の勤務先である角紅の同僚と比べたら、私は家族と過ごす時間が、かなり長い。同僚の多くは、平日は残業と、飲みにケーション。休日は上司や取引先と接待ゴルフ。私は、このような働き方やライフスタイルが大嫌い。だから、飲みにケーションと接待ゴルフは極力、断っている。

 次に、子育て中の同僚へ、パパと呼んでくれない理由を相談してみた。ここで、2歳の女の子を育てる父である同僚から、すごく納得できる示唆を得た。

 パパと呼んでくれない理由は、子どもの性別にある、と彼はいう。彼は2歳の娘から、パパと呼ばれて、喜んでいる。

 一方、彼の奥様は、ママと呼ばれない、ことを悩んでいる、という。我が家と、逆の状況である。しかし、2歳の娘と接する時間は、我が家と同じ。奥様は専業主婦で、2歳の娘とずっと一緒にいる。彼が家族と一緒に過ごす時間は、私とほぼ同じようだ。


 パパと呼んでくれない理由は、子どもの性別にある、という彼と同じ話を、私は後に自分の母から聞くことになる。そのとき私の母は小さな息子が、パパと呼んでくれない、もう一つの理由を話してくれた。

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