【あとがき】ご来店ありがとうございます
「えーと、生四つとライム酎ハイ、あとウーロン茶二つ」
「ライム酎ハイと……ウーロン茶二つですね」
注文を取りながら若い女性店員が復唱する。飲み物を入力し終えたのを見て石丸准教授はメニューのページを繰った。背筋を伸ばし、注文を読みあげる。
「大皿特選ざんまい、中落ち、特選カルビ、牛モツセット、鳥軟骨の塩、福田屋サラダ、野菜盛り合わせ……とりあえずは、以上。で、良いかな?」
石丸は皆の顔をうかがうとうんうんと頷いている。
女性店員が去るとおしぼりに手を伸ばした。顔を拭く者もいれば、コップから落ちた水滴を拭きとる者もいる。大学では普段見ることの出来ないそれぞれのリラックスした表情に石丸は心休まった。
今日は玉徳大学の石丸の所属する田代研究室にとってお祝いの日だ。先だって、田代教授の論文『ニシローランドゴリラの同一種族間におけるコミュニケーションとその多様化について』が科学誌フューチャーに掲載され大変な好評を得た。
科学誌フューチャーはその道の者なら一度は掲載されたいと切望する有名科学誌だ。だから、今日はそのお祝い。田代教授と石丸、研究室の学部生、院生の全員で焼き肉店にやってきた。
「今日は石丸さんのおごりだから好きなだけ食べなさい」
田代教授が冗談を言うと笑が起きる。石丸も勘弁してくださいよと苦笑する。
先に飲み物がきた。皆で掲げて乾杯の音頭を待つ。隣近所の様子を確認して石丸は唾を飲み込んだ。
「えー、それでは田代先生。この度は誠におめでとうございます! 先生の今後のさらなるご活躍と研究の益々の発展を祈りまして、乾杯!」
「かんぱーい!」
こうして祝いの席は和やかに始まった。
肉はこのうえなく美味かった。脂がのって噛むと口内ですぐにとろけ、皆次々に手を伸ばす。若い学生達は遠慮することなく肉をさらっていく。田代教授はその合間を見計らいながら細々と食べている。石丸はトングを持って焼くのに大忙しでろくに自分の肉さえ確保出来ていない。
「石丸さん、私がやろうか?」
箸をおいた田代教授が手を伸ばす。
「いいですよ! 今日は先生のお祝いなんだから私に焼かせて下さい」
「あっ、そしたらオレやります!」
男子の学部生が申し出た。口には肉を詰め込んでいるようで、もごもごとしている。
「そうか、すまないね」
石丸は躊躇することなく彼にトングを渡すと肉に有りついた。
大皿が空になり、残った軟骨を焼き始めたところで学部生と院生が仲良くメニューを見始めた。あれこれ指を指しながら検討している。注文が決まり呼び出しベルを押すと今度は若い男性店員がやって来た。高い声で「お待たせしました」という。
「えーっと、生二つとグレープフルーツ酎ハイ一つ、タン塩と豚トロ、特上ハラミ、キムチ、カルビクッパとトッポギ、あと韓国冷麺、以上で」
それから二時間ほど滞在しただろうか。すでに学生たちは箸を置き談笑している。唯一まだ食べている大食漢の男子学生がいて、それを見た石丸が「キミはよく食べるなあ」と感心してみると。
「自分、ゴリラですから」
「ゴリラ・ゴリラ・ゴリラ」
茶化すように隣の学生が笑う。
ゴリラ・ゴリラ・ゴリラとはニシローランドゴリラの学名である。研究室でのみ通用するローカルギャグだ。
男子学生が追加したおにぎりを食べ終えたので石丸は机の横にぶら下げられた注文書を手にした。
――六万三千円
思わず眩暈を覚える。
「石丸さん、私も少し出そうか?」
田代教授が助け舟を出すがそれを石丸は断った。教授のお祝いなのに出してもらっては元も子もない。
「大丈夫です、お祝いですから」と席を立つ。
レジで会計を済ませると店員が紙を差し出してきた。人数分、七枚ある。不思議な顔をしていると、あとがきです、お読みくださいと店員は笑んだ。
お品書きではなくあとがき? 少し酔っていた石丸はふーんとしか思わず「美味しかったよ、ありがとう」と伝え外で待っている皆に合流した。
「こんなもの貰いましたよ」
石丸は貰ったあとがきを皆に配った。そして声を出しながら読み上げる。
――本日は、誠にご来店ありがとうございました。
当店では契約農家の栽培した有機野菜を産地直送で取り寄せています。トッポギは韓国直輸入、キムチは自社で手作りしています。テールスープに使用したのは朝どれ新鮮卵です。出汁は四時間かけて煮込んだ一品です。
牛は飛騨牛を使用しています。二歳の雌で名は福子と言いました。ビールが好きでよく眠る子でした。豚は鹿児島黒豚、サツマイモで育てた柔らかい肉質の雌で名は花子と言いました。鶏は名古屋コーチン、生後七週間の雄です。人の後をついて回るようなとても人懐こい子でした。よく鳴く子でした。本当にいい子でした。ちなみに一度脱走を……
「後味が悪いな」
田代教授がそっと呟いた。
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