【コメディ】He:
俺は今、肛門科にいる。
世紀の実験に万全の体制で臨むためである。
医者はオレの肛門を見るなり、
「いい肛門ですねえ」と言った。
「屁でアメリカまで飛ぼうと思うのですが大丈夫そうですか?」
急に医者の顔が険しくなる。
「難しいでしょうね。体重65キロの人がアメリカまで飛行するには毎秒約5万発分の推力を出し続けなければならない。アメリカに辿り着く前にまず肛門が崩壊しているでしょう」
ボードに書いて説明してくれた。
診察室に重たい空気が落ちる。それを払拭するように俺は口を開いた。
「仮に尻が持つとして、大容量の屁を維持しながらなるべく飛行距離を稼ぎたいのですがどうすればいいですか?」
「そうですね、食事は全て豆食に切り替えてください。常に放屁できる状態になるのが極めて重要です。それと飛行中は炭酸飲料を絶えず飲み続けてください。げっぷは堪えて全て飛ぶ推力に回してください」
医者はカルテを書き終えると手を差し出した。
「幸運を祈ります」
俺は固く握手すると外来を後にした。
外に出てすぐ研究室に連絡した。電話の向こうで南教授は「分かった。飲料メーカーとすぐコンタクトを取る」と言って電話を切った。
屁で飛べると気付いたのは二年時の南教授の講義でのことだった。静まり返る教室で俺は豪快に放屁した。反応する者は皆無、針のように突き刺さる空気の中、俺は一人戸惑いを隠せないでいた。体が僅かにだがふわりと浮いたのだ。足が机に阻まれ天井まで浮かび上がることはなかったのだがそれでも一瞬俺は確かに浮いた。それを教授は見逃さなかった。授業後、教授はそっと俺に「うちの研究室に来てくれ」と言った。
教授の研究室は小型ロケットの開発を専門に行うところだった。空を飛ぶ夢を見た大人が俺の屁に夢中になるのにそう時間はかからなかった。教授はロケットそっちのけで屁の研究に没頭した。調べてみると俺の屁の一度の放出量は尋常ではないことが分かった。常人の一発の放出量はせいぜい一リットル、対する俺の放出量は五万倍。原因は不明だが一人暮らしの不健康な食生活が祟り、俺は一度に大量の屁を作り出せる特異体質に変化したのだった。
研究室に戻ると教授は電話中だった。何か激しく言い争っている。先輩たちはそれを遠巻きに見ている。電話が終わった教授は息巻いて、
「アメリカまでは危険だからやめてくれだと、ふざけやがって」と吐露する。
「じゃあ実験は中止なんですか?」
「スポンサーになる代わりに成功したらCMで使いたいから富士山山頂で実施してほしいそうだ」
「……富士山」
俺は生唾をごくりと飲み込む。
「仕方ないから望み通り富士山でやってやる。見てろ。吠え面かくなよ」
こうして富士山山頂での飛行プロジェクトが発足した。
教授が各種調整に奔走する中、俺は訓練を重ねた。いつもは実験前に二リットルのペットボトルを飲むだけなので、メーカー側の用意してくれた十リットルのタンクを飲み続けるというのは苦行に近かった。タンクを背負いグラウンドで飛行を繰り返す。撮影に必要な高度は五十メートル、山頂から垂直に飛び、日の出をバックにポーズを決めそれを遠くからドローンで撮影するという計画だった。
吉日、俺は頂で朝を迎えた。飲料メーカーの社員たちが固唾を飲んで見守る。安全のためヘルメットを着用し背中にはメーカー名が入ったタンクを背負う。監督がメガホンを取り、「はい、スタンバイ」と叫んだ。
「五、四、……三、二、一、発射!」
ゴオオオオという爆音と共に俺は朝焼けの空へ舞い上がった。凍える空気を切り割き垂直上昇していく。風があまりに冷たくてむしろ爽快だ。姿が朝日に重なると同時に空を駆けるポーズで二秒静止。
「ハイ、オッケー」
頂で監督が叫ぶ。撮影は大成功だった。着陸すると拍手喝采で迎えられ、撮った映像を早速見せてもらうと朝日のど真ん中で綺麗にポーズが出来ていた。
後日、俺はスタジオで屁の音を別撮りした。ポーズを決めた瞬間に屁の音を合わせようというのだ。
速やかに何パターンか取り終えると監督は「いい仕事だったよ、ありがとう」と握手を求めた。
後日、出来上がったCMを研究室一同で確認した。まず地上から離陸する俺の姿がアップで映し出される。中々スピード感のある美しい映像だ。最高高度に達し朝日をバックにポーズを決めてすべての音が止まる中、『プゥー』と一発。そして、『人生はチャレンジだ! 美味しく飲もうぜサマードライ』とテロップが入りCMは終了する。完璧だと思った、その場にいた誰もが肩を抱き合って喜んだ。
半月後、CMはテレビで流れテレビ局とスポンサーには前代未聞の大量の苦情が押し寄せた。開口一番に皆、口を揃えて「下品すぎる」と言った。もっともな意見だった。これによりCMは一週間で打ち切りとなった。
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