第6話
試験の朝が来た。
……って言ってもまだ薄暗いうちから厩務員さんが来て、出かける支度をしてくれる。
バンテージを脚に巻いて、メンコをかぶって、頭絡をつけて。
ゼッケンと鞍はお出かけした先でつけてもらうって、グレイシーさんに教えてもらった。
それで、馬も練習か本番かがわかるんだって。
支度してもらってる間、あちこちから声がかかってくる。
「頑張って来るんだぞ。本場の奴らに負けないようにな」
グレイシーさんが励ましてくれる。
奥からは「忘れ物してないかい?気張っておいで」って言われる。
ありがとうって返事すると、さらに向こうからこんな声も。
「ボクも後から行くから、牧草少し残しておいてほしいなあ……」
同い年の栗毛の仔だ。
「わかった。あったら少し取っておくね」
そこまで言ったら準備完了。厩務員さんが引き綱を引いて、行くよって合図をくれた。
「それじゃあ、行ってきます!」
厩舎じゅうから「いってらっしゃーい」って返事がした。
返事がなかったのはただひとつ、わたしのお向かいの部屋。
ヤンチャさん、とうとう帰って来なかった。
わたしが帰ってくる頃には何かわかるかも知れないし、気にするのは止めた。
試験が大事だもん。
厩務員さんに引かれて車に乗り込む。
「あれ?ファニーも今日試験だったの?」
乗り込んでみてびっくり。ブライトくんが先に乗ってた。
支度してる間に先に乗ってたみたい。
「あんたも今日試験なんだ。頑張ろうね」
「うん……。でもボクはファニーみたいにどけよって言えないからなあ」
いや、そこはちゃんと主張しようよ。
少し苦笑いしてしまった。
試験は大井の競馬場でやる。それはこの前教えてもらった。
この間試験会場に連れて行ってもらったけど、いつも走ってるコースより建物が多くてびっくりした。
あれこれ見てたら厩務員さんに少し注意されたけど、珍しいんだもん。しょうがないじゃんね。
車に載せられてる間、そんなことを考えてた。
車から降りると、競馬場は雨の中。
少し濡れながら部屋に連れていってもらう。
わたしの前に部屋をもらってた仔は、「歩いて来たらビショビショで気持ち悪いー」って騒いでる。
ここの仔なのかな。そういやグレイシーさんが本場の奴らって言ってたな。
きっとこの仔たちのことなんだろう。
いつも練習で走ってるとこで試験なんだから、きっと有利なんだろうなあ。
そんなことを考えてたら、なんだか気合入ってきた。
あいつらには負けたくないな。
コースに出たら威嚇してやろうかな。
先生が来た。
厩務員さんが鞍と腹帯を用意してる。
先生の横には見たことない人。
この人が乗るのかな。先生と何か話してる。
それを見ながら、早く走りたいなあって考えてた。
だって、普段だったらもう練習してる時間だから。
お腹も少し空いてきたかも……。
鞍をつけてもらったら、厩務員さんに引かれて外へ出る。
この間下見て来たところと別なところを歩く。
途中からもうひとり来て、ふたりに引かれて歩くことになった。
雨降りでなんだか気分が乗らないけど、大事な試験だからそんなこと言ってられない。
歩いてる間に自分に気合を入れる。
ちらっと周りを見れば、ブライトくんの他にも試験を受けるのが5頭いる。
ということは、7頭で走ることになるのかぁ。
誰にも負けたくないな。
そうしてるうちにさっきの人と先生がやってきた。
厩務員さんがさっきの人をわたしの背中に乗せる。
そうして、コースに連れてってもらう。
歩いてる感じは小林のコースと変わらない。
景色が違うだけ。
そう思ったら、なんだか気分が軽くなった。
厩務員さんが綱を離した。
背中の人はゆっくり歩いてって指示を出してる。
思いっきり走りたいけど仕方ない。
言うこと聞かなきゃ試験に落ちちゃうかもしれないから。
でも、少し歩いたらくるっと反対に向かされて、今度は走っていいよって言われた。
わかってるじゃん。ちょうど走りたくて仕方なかったんだ。
泥水を跳ね上げて走り出す。
全開にならないようにってハミから指示が出てるから、あんまり速くはしないけど。
でも、雨の中走るのも嫌いじゃないからさ。
ゲートの後ろまで来た。
ブライトくんと顔を見合わせる。なんだか不安そうな顔だなあ。
「やっぱ怖いなぁ。ちゃんと走れるかなぁ」
「大丈夫だって。いつもみたいにわたしの後ろついて来ればいいんだから」
そうは言ってみたけど、わたしも少し不安っちゃ不安。
ゲートが苦手なのはまだ克服してるわけじゃないし。
「きっとファニーがみんなどかしてくれるよね」
「そうそう、みんな威嚇してどかしちゃう……っておい!」
ブライトくんが少しだけ笑ってくれた。それを見てわたしも落ち着けたかな。
ゲートの周りの人間が動き出して、わたしたちをゲートに入れるよう合図してる。
真っ先にわたしが入ることになった。
嘘ぉ!?一番先とか聞いてないし。
それでも入れって言われたからゲートに入る。
前の扉が開いたままだから、そのまま歩いて通り抜ける。
確かに狭いけど、このくらいならまあ……。
そう思ってまたゲートに入り直す。今度は扉が閉まってる。
ゲートではしばらく待たされるんだって聞いてるから、大人しく待つことにした。
他の馬もゲートに入って来た。
じっとしてるのもいれば、ソワソワしてるのもいる。
さっさとみんな入ってくんないかなぁ。
「わー!やっぱ無理無理!怖いー!」
ブライトくんの声だ。
何やってんだよもう……。
試験に落ちても知らないよーって声かけようとしたら、ゲートが開いた。
すぐに飛び出す。
先頭につけられた。
すぐ後ろで他の馬がちょろちょろしてる。
うっざいなあ。ちぎっていい?
背中の人に聞いたけど、まだダメだって。
なんでー。ケチー。
「ファニー、待ってー」
ブライトくんの声がする。
練習じゃないんだから、ちゃんとついて来いっての!
カーブを回ったら、あとはゴールまで一直線。
やっと後ろのが離れだした。
やったね。わたしについて来ようなんて無理だっての。
背中の人は最後まで好きにしていいって言わなかったけど、そのままゴールまで走った。
先頭のままでいられたから、なんだか気分がいい。
スピードを落として、ゆっくりと歩く。
着いたところには厩務員さんが待っててくれた。
背中の人が降りて、鞍を外す。
わたしは厩務員さんと少しその場にいた。
他の馬たちが戻ってくる。みんな泥んこだ。
ブライトくんも真っ黒になってる。
「やっぱファニーは早いなあ。ボクじゃかなわないや」
そんなことを言いながら顔を拭いてもらってる。
わたしは雨で濡れただけだから、そこまでしてもらってない。
ちょっとだけ、うらやましいなって思ったけど言わなかった。
言ったって聞いちゃくれないんだからさ。
そうして車に載せられて、厩舎に戻ってきたらみんなが「おかえりー」って出迎えてくれた。
試験の結果はわたしにはわからないけど、きっとうまく出来たんだと思う。
そんなことを言うと、グレイシーさんは「よくやったな。試験に受かったらレースも近いぞ」って言ってくれた。
「ところで、ヤンチャさんは?」
そう聞くと、奥の方から声がした。
「昨日のレースで疲れちゃったから放牧に出されたんだってさ。調子こいて騒ぎすぎたんじゃないかい?」
怪我とかじゃないってのも聞いて、少しだけホッとした。
「ヤンチャの部屋には明日にでも他の馬が来るはずさ。誰が来るかはまだわからんがね」
グレイシーさんはそう言う。向かいが誰でもあんまり関係ないけど、誰もいないよりはいい。
「今日は疲れたべさ。飯食ったらゆっくり休むんだよ」
奥の声にはいって返事をしたら、お腹の虫が鳴り出した。
今日はご飯まだだったのを思い出した。
試験はお腹が空くって、本当だったんだ。
厩務員さんは奥でガサゴソやってるけど、まだ来そうにない。
お腹空いたなあ……。
待ってる間に牧草全部食べちゃいそう。
牧草を食べて、お水を飲んだらなんだか急に眠くなって、寝てしまった。
「おいおい、飯が来るんだぞ」
グレイシーさんが言うけど、眠いのが先。
来たら起きるから、もうちょっと……。
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