第7話

試験の結果は合格だった。

知らせを聞いて一番喜んでくれたのは、隣のグレイシーさんだった。

「いやぁ良かった。これでデビュー出来るなぁ」

そう言っては嬉しくてたまらないと言わんばかりに鼻を鳴らす。

奥の方からも「頑張った甲斐があったっしょ?」と声が飛んでくる。

はいと返事をしてると、お向かいからも声がかかった。

新しくお向かいさんになったのは……。


「ファニーちゃんおめでとう。お祝いにその牧草ボクにちょうだいよー」

同い年の栗毛の仔。

「あげるのはいいんだけど、なんでお祝いにあげなきゃいけないのさ」

「だってー、お腹すいてるんだもん。少しちょうだいよー」

そう言っては、わたしの部屋の前にぶら下がってる牧草の玉をじっと見てる。

「その仔はあればあるだけ食べちゃうからねぇ。どんなお腹してんだか」

それでかぁ……。

その仔の部屋の前には牧草の玉がない。

「食べすぎると良くないからって先生に取られちゃったんだってさ。お腹いっぱいってことがないのかねぇ」

奥からは呆れたような声がする。確かにそうだよね。

普通はお腹いっぱいになりそうなもんだけど。

「走るとご飯も牧草もおいしいんだもん。おいしいものは食べなきゃ損だよー」

まだこんなこと言いながら、わたしの牧草の玉をじっと見てる。

「あげてもいいけどさぁ、こっちまで取りに来てよ」

そう言うと、その仔はすごく悲しそうな顔をした。

「取りに行けないから頼んでるのにー……」


試験が終わって何日かしたら、また練習の毎日。

コースに出たらたっぷりとダクを踏んで。

それからゆっくりキャンターでひと汗かく。

一度コースから出て、背中の人が厩務員さんや先生と話をするのを待つ。

それからコースに戻って、今度はキャンターで走る。

一緒に走ってるブライトくんはいっつも「ファニー、待ってー」って言いながらついてくる。

ブライトくんは一生懸命に走ってるから、わたしも手は抜けないな。

だからついつい本気を出しそうになる。

そのたびに背中の人が手綱を引っ張るんで、全開には出来ないけどさ。


それにしても、ここのところ毎日雨降り。

部屋から見える景色にセンタクモノがなかったりもするし、なんだか退屈。

その分いっぱい走ってスッキリしたいんだけどな。

……なかなか、思うようにはいかないかな。


レースの日が決まったみたいで、背中の人も厩務員さんも「がんばろうなー」って言ってくれる。

もちろん走るの大好きだから頑張っちゃうんだけどさ。

でも、それがいつなのかはわたしにはわからない。

どうすればわかるようになるのかな。

人間に聞いたってわたしの言葉はわかんないだろうし。


「そうだなあ。練習で速いとこ走ったらレース近いんだよ。それが合図みたいなものだね」

グレイシーさんに聞いたらこう教えてくれた。

「人間が今日は追い切りやるよって言えばうんと速く走らせてくれる。それから何日かしたらレースだよ」

「そうなんですね。じゃあわたしはまだかなぁ」

まだ速く走らせてもらってないもん。

「そうだろうなあ。焦ってもいいことないさ。じっくり構えててもレースはやってくる」

グレイシーさんはわかってるんだなぁ。

「俺たちに出来るのはレースが来るまでに体も気持ちも作っておくことだけだ。気持ちだけは切らさないようにな」

はい、と返事をして外を見る。


外は今日も雨降り。

試験の日も雨だったなあ。もしかしてレースの時もかな。

あの時は自分でもすごく良く走れた気がする。

レースでもあんな風に走れたらいいなあ。

……いや。

レースでもあんな風に走ろう。

先頭でゴールしたら厩務員さんも背中の人も先生も喜んでくれるかな。

そうだといいな。


「ファニーちゃん、ユーレイって知ってる?」

お向かいで栗毛の仔がこんなことを言い出した。

「ユーレイ?なにそれ」

「ここの厩舎に出るって人間が言ってたの聞いたことがあるんだー。すごく怖いんだってー」

栗毛の仔はわたしをまっすぐ見て言った。

「人間が怖いって思うんだから、ボクらも見たら怖いのかなぁ?」

よく見れば、目が怖がってる。

「見たことないからわかんないけど、きっと怖いのかもね」

そう言うと、栗毛の仔はさらに怖そうな顔をした。

「おどかさないでよー。寝てるときに出たらおっかないじゃないかー」

あんたが話振ってきたんじゃないのさ。

そう思ってると、グレイシーさんも話に入ってきた。

「ユーレイか。聞いたことあるよ。出るときは音がするんだそうだ」

「どんな音ですか?」

「ガシャンガシャンって音がするらしい。俺も聞いたことないんでわからないけどね」

「じゃあ今度そんな音がしたら見てみます」

そう言ったら、お向かいからは「やめときなよー」って声がした。

「お腹すいてても気が紛れるかもしれないじゃない。なんでもやって見てみないとね」

わたしはそう言って笑った。


その夜。

ふっと目が覚めた。

みんなも寝てるみたいで厩舎の中はとっても静か。

まだ練習までは時間あるし、わたしもまた少し寝ようかと思ってた。

そしたら、奥の方からなんだか音がする。


ガシャンガシャン。

一瞬でグレイシーさんの言葉を思い出した。

「ガシャンガシャンって音がするらしい」

……もしかして。


だんだん音は大きくなる。

怖いのかな。どんな見た目なんだろう。

部屋から顔を出して奥を見たけど、真っ暗でよくわからない。


ガシャンガシャン。

だんだん怖くなってきた。

これがユーレイ?

わたしたちになにかしてくるの?

わからないから余計怖い。

どうしよう……。


その時、パッと明かりがついた。

同時に「こらぁっ!」って人間の声。

その瞬間に音は止んでしまった。


奥の方からやってきた人間が、「馬栓棒で遊ぶんじゃない!」って言いながら何か道具を持って戻ってった。

誰か他の馬が遊んでただけみたい。

怖がって損した気分。

ふとお向かいを見ると、栗毛の仔がガタガタ震えてる。

「大丈夫だって。ユーレイじゃないってさ」

そう言うと、心底ホッとした顔になって「あー良かったー」って言ってる。

「そろそろ練習に出る時間みたいだよ。今日も頑張ろうね」

そう言いながら、厩務員さんが来るのを待つことにした。

今日はいい天気だといいなぁ……。

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