第二章⑦
純は雫を連れてリビングに戻ると即座に弥恵に尋問された。「このかわいい子は誰なの?」
純は慌てて虚構が多分に含まれた事情を話すと「というわけで」と弥恵と比呂巳の両名に雫を紹介した。
「結城雫、高野山で働いていおります。十一歳ですわ」と純と話すときの高飛車な声音はどこへやら雫はおずおずと二人に向って頭を下げた。「よろしくお願いいたしますわ」
「うん、よろしくね。私、広瀬比呂巳。でこっちが純兄貴の妹の弥恵」と比呂巳は雫の手をとって、弥恵に目配せをする。
「かわいい、……じゃなくて。よろしくね」と半ば昇天している弥恵は比呂巳が握っている方の反対の手をとってぎゅっと握り、お姉さんっぽく笑いかけた。「手も小さいわあ」
弥恵の手も小さいのだが、雫のそれはもっと小さかった。一歳しか年が変らないのに弥恵と比呂巳よりも十センチ以上も頭の高さが違う。やはり男だからだろうかと納得する。男子の成長期は女子よりも遅い。
最初は二人ともゴスロリの闖入者に驚いてはいたが、年齢もそう違わないのですぐにきゃっきゃうふふと打ち解けることが出来たようである。雫も楽しそうにしているのでなによりである。
純は「高野山からのお払いに来てもらった」。でも「日にちを間違えたらしい」と二人には説明した。ひと思いで嘘とばれてしまうような説明であったが、弥恵は目の前に棚から転げ落ちてきた牡丹餅のように雫を堪能しようとしているし、比呂巳も持ち前の放胆さでそんなことはどうでもいいようであり、ばれる要素は一ミリもなかった。
「お腹減った」と比呂巳は飯に飢えている。
純はなんだか面倒臭くなりそうなので男だということは二人には黙っておいた。雫本人も女の子で通したいということなので、まあ黙っていれば男だと分かることはないだろう。近くからみてもその肌理の細かい白い肌に男の匂いを見出すことは限りなく不可能であるし、純も露天風呂でその雌雄を決する大事なものを二度見、いや三度見しなければ男だと信じられなかったほど、雫はロリで美しかったのだ。だからといって純は今巷を賑わせている男の娘に心を奪われるほど形而上の思考形態を把持してはいなかった。純は性的に雫を拒んだのである。雫からすればひどい話では……ある。
それはさておき、開始直後から出鼻を挫かれる事になってしまったパジャマパーティーではあるが、
「じゃあ、カンパーイ!」と比呂巳の雄叫びのような音頭で幕は開かれた。テーブルには純の隣に雫が座り、雫の向かいにニヤニヤが止まらない弥恵、その隣に比呂巳が座る。
弥恵は純の心配を盛大に裏切り、雫にばっかり構い始めた。弥恵はいちいち料理を雫の小皿にとってやると「はい、あーん」と雫のお口に料理をせっせと運んでいる。
「この料理作ったのは弥恵様ですか?」
「うん、どう結城さんの口に合うかしら?」
「はい。とってもおいしゅうございますわ。それと私のことはシズクとお呼びになってください」
「じゃ、じゃあ。雫、私のことは、お、お姉さまって呼んでいいですことよ」
「お姉さま?」
「い、いやならいいですことよ」
「そんなことありません。私目が弥恵様をお姉さまのようにお慕いしてもよろしいのですか?」
「も、もちろん」と高飛車を気取った弥恵はどうやら雫を妹に迎えようという算段であるらしい。小さい声で「願ったり、叶ったりよ」と純の耳に聞えた。
「はあ、こんなに嬉しいことはございませんわ。弥恵お姉さま」
雫も演技なのか、本心なのかは分からないがまんざらでもなさそうに言うので弥恵はすっかりその気である。純は雫にパジャマパーティーの目的を話し、それとなく協力を求めていたのだが二人のやり取りを見ているとどんどん不安にならざるを得ない。
一体弥恵は何を考えているのだろうか?
二頭を追うもの一頭を得ずだぞ、弥恵。
ふと純は比呂巳の視線を感じた。純が見やると一瞬目が合ったが、はっとなって料理を慌てて口に運んでいる。瞳が少し潤んでいるように見えた。そして心なしか頬が少し赤く染まっていたような気がしないでもない。そしてなんだか時間が経つごとに比呂巳が静かになっているような気がしないでもない。おそらく比呂巳の気持ちはすでに固まっているのにもかかわらず、なかなか弥恵がアプローチを仕掛けてこない、あまつさえ弥恵が雫ばっかりに構ってばっかりいるもんだから嫉妬しているのだろう。そう純は考えた。
純は比呂巳を不敏に思い、弥恵が「トイレに」といって席を立つのを待って、問い詰めに動いた。
「一体どういうつもりなんだ?」とトイレから出てきた弥恵に純は言った。
「なに?」
言っている意味が分からないという風に取り繕って弥恵は洗面台で手を洗う。
「雫にばっかり構っているばかりで、比呂巳が、」
「分かっているわ。……兄貴は黙って見ていなさい」
そう言う弥恵の鏡越しに映った瞳は、まるで獲物に襲い掛かる直前の女王様の目のようだった。
純は思わずごくりと唾を飲み込んだ。
弥恵は手をタオルで拭くと純に向き直り、手の平を天井に向けて諭すように告げた。
「今は比呂巳の嫉妬の炎を燃やしているとき。せっかく雫っていうかわいい女の子が襲ってくださいと言わんばかりにやってきたというのに利用しない手はないわ。比呂巳の目の前で他の女の子と仲良くしていれば、比呂巳は「弥恵ったら私以外の女の子と仲良くしちゃって、もう……、あれこの胸を締め付けるような切ない気持ちは何? まさか……今まで気が付かなかったけど弥恵のこと……。弥恵、私だけを見て」ってなるに違いないわ。そして「ああん、駄目よ。雫が見ているわ」「お姉さま、私も」的な展開が待っているのに違いないわっ!」
途中からうねうねと身を悶え始め、おぞましい欲望に身を委ねる妹におののきながらも、純は跪いて、そっとタオルを差し出した。
弥恵の顔の鼻から下を酸素濃度の高い新鮮な血液が赤く染めていたからだ。
「ああ、すまんな」
親方様が他藩からの手紙を家臣から受け取るように弥恵はタオルを手に取った。
「この奇癖は困りものだな」
「左様ですな」
同じ奇癖を持つものとして純はニヤリと笑い返す。
「それにね」
そう言って弥恵は心の中で「媚薬の効果がもう少しで現われ始めるはず。比呂巳も雫もゲットだぜ。うっしっし」と高笑いをした。
しかし弥恵の非科学的な企みにはいくらかの誤算があった。一つ目は弥恵自身にも媚薬の効果が表われて正常な判断を下せなくなること。二つ目は、雫は男の娘であるので当然女子専用の媚薬は効かないということ。そして三つ目は女子専用の媚薬だからといって女子を好きになるわけではなく、媚薬の効果で男性を好きになってしまう可能性があるということ。比呂巳が熱っぽい視線で純の方を眺め見ては淡々と静かに食事をしているのは多分ここに起因していることだろう。
そんなことには呑気に気付いていない弥恵は高笑いを噛み殺すのに必死で、意図せずかわいらしいロリ顔がかわいらしく歪んでしまう。
「それに?」と新品の粗品のタオルが血に染まっていくので心配になりながらも、純は弥恵の人が変わったような策士振りに惚れ惚れとするばかりである。
「いや、なんでもないわ」
媚薬のことは純には内緒である。
弥恵は気合で鼻血を止め、タオルと洗濯機に放り込む。
「兄貴の出番はないかもしれないわね」
出番といってもブレーカーを下ろすだけなのだが、その台詞に純は心打たれ妹への信望をまた一段と強くしたようである。
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