T Ⅱ

「……ハァ、はぁっ」

 木々の生い茂る中を、全力疾走に近い速度で走り続ける。

 市街を離れ、やがて森と呼ぶにふさわしい一角にまで来て、依然としてティアは仮面に黒装束の人影に辿り着く事ができていなかった。

 だが、むしろそれが、木の先から姿を覗かせる人影がヨーラッドであるという事実を裏付けているのではないか。ここまで変成術は使っていないものの、肉体強化の術式を展開しているティアからほとんど距離を詰められずに逃走を続けられる、そして逃走を続けようとする者となると、必然的にその対象は絞られていく。

「っ……」

 しかし、いかにティアが高位の魔術師であろうと、体力の消耗からは逃れられず。長距離、長時間に及ぶ追走劇の結果、疲弊した心肺と下半身が、ついにその腰を折らせた。

 魔力と体力は、厳密には別物だ。

 筋肉や心肺の疲労を体力の消耗とするのなら、魔力の消耗とは体内元素の枯渇。無論、肉体疲労を原因とした集中力の低下等による影響はあるが、少なくとも理論上、今のティアは魔力的には全快に近い状態にある。

 そして、変成術を全身に施しさえすれば、筋肉や心肺は風に置き換わり、術を続けている間は体力的な疲労の大半を無視して仮面の人影を追うことができる。

 だが、今、そしてこれまでそうしなかったのは、自身の変成が仮面の人影、ヨーラッドの変成術の引き金になってしまうのではないかという予測ゆえ。そうなれば、雷の速度に追いつけるはずもなく、文字通り一瞬でティアの手の届かない場所に消えてしまう。

 とは言え、このまま追ってもそれは同じ。ほぼ等距離を保っていた人影は、ティアの走る速度の低下と共に少しずつ離れ続けていた。

「っ、えぇいっ!」

 意を決し、変成。

 吹き荒ぶ風の音、それとほぼ同速で木々の間を抜けた風は、数秒と経たずに黒装束の背を触れられる距離にまで収める。

「――ぅ」

 残り――零距離。

 あまりにも呆気無く追い付けてしまった事実、それに動揺したティアは、追い付いた初手に何をするのか決めていなかった事もあり、更に万が一、目の前の人影がヨーラッドでなかった場合を考え、最後まで次の行動を選べずにいた。

 結果、直前で反射的に進行方向を変えたティアは、勢いを殺せずに人影の横を抜けていく。その途中、わずかに掠めた黒装束が、切り裂かれ、布切れとなって宙を舞った。

「くっ……ぇ?」

 いつの間にか辿り着いていた開けた空間、急な方向転換で崩れた体勢を立て直そうとしたティアの身体は、しかし中途半端な形で固まる。

「これ、は?」

 それもそのはず、風に攫われた黒の布の下、ティアの前に晒されたヨーラッドだと思っていた人影の本体は、人の形を象っているだけの宝石の塊だったのだから。

「それは、一時はヨーラッド・ヌークスと呼ばれたモノだ」

「お前は……」

 自らの呟きに答えたのは、どこかで聞いた事があるような声。

 その正体をたしかめるべく背後を振り向くも、そこに人の姿は無く。

「……どういう事なんだ」

 気付けば、そこは見慣れた湖。

 物言わぬ宝石人形を前に、ティアは力無く立ち尽くす事しかできなかった。

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