4-18 アルバトロス・フォン・ヴィッテンベルク
「依代を殺したのは、お前か?」
静かに、だがどこか愉しそうに、アルバトロスが問いを口にする。
「……そう、ですか。アーチライトは、裏切りを知らずに死んだんですね」
対するニグルも、声を荒げるでもなく緩やかに返す。
「僕がアーチライトを殺すわけがないでしょう。彼を殺したのは、大陸の魔術師です」
「大陸……討伐隊か」
「ええ、同じヨーラッド・ヌークス討伐隊。ヨーラッドを殺すために遠征に出た魔術師の一人が、アーチライトを背中から刺した」
「なぜだ?」
「アーチライトがヨーラッドを殺したから、です」
「なるほど、皮肉な話だ」
ニグルの返答に、アルバトロスは口端を歪めて笑う。
アルバトロスの中にあるアーチライトの記憶、その中のアーチライトはほぼ単独でヨーラッドと対峙し、そして殺していた。
ヨーラッドを殺すために組まれた討伐隊、だがその内訳は各地から優れた魔術師を集めた連合軍だった。当初の目的を達成した後では、討伐隊の仲間は所属を異にする敵ともなり得る。加えて、ヨーラッドと同等以上の力を持つ魔術師ともなれば、消耗している内に排除しておきたいという考えが生まれてもおかしくはない。
「なら、どうしてその事実を隠した?」
「事を表沙汰にしても得がないからです。今の王国の情勢では、アーチライトを殺した魔術師の所属する国、ビルタ中枢連邦と事を起こすのは自殺行為に等しい」
「だから、俺を転生したというわけか」
「そうですね。とは言っても、復讐のためというわけではありません。大陸の王国への侵略を退けるため、アーチライトに代わる存在として用意したのがアルバトロス卿、そして偽のヨーラッド・ヌークスです」
無感情に、感情を殺したように、ニグルは言葉を紡ぐ。
「千年前の魔術師が現代で通用しない事は予想できた。だから、あなたの名前を当て馬としてヨーラッドの復活を演出するところまでが僕の計画でした」
「杜撰な計画だな」
「そうですね、どうやらその通りだったようです」
アルバトロスとヨーラッドの決闘は流れ、それどころか作り上げた偽のヨーラッドは今やアルバトロスの手の内にある。自身の失敗を告げるアルバトロスに対し、ニグルは反論するでもなく受け入れていた。
「僕からも聞かせてください。あなたは、どうして今まで嘘を?」
「嘘? 何の話だ?」
「偽のヨーラッドを、宝石人形を奪うだけの力がありながら、それを隠していた事です」
ニグルの作った偽のヨーラッド・ヌークス、宝石人形の魔術は、それ単体では然程難易度の高い魔術というわけではない。
土人形の魔術は、およそ数百年前からあったとされる伝統的な土の魔術だ。土の元素に属する物質、土や石、あるいは鉄などを操り近接戦闘を行わせるその魔術は、多くの兵の入り乱れる集団戦闘や、変成術を扱えない中位から低位の魔術師の戦闘において、現在でも広く使われている土元素の代表的な魔術でもある。
ニグルの操った宝石人形の魔術も、原理としてはそれと同じ。
違うのは、人形として操るのが元素の集合体として形作られた宝石、それも架空元素『雷』で構成された宝石の塊である事。結果として生じる『雷』の操作は戦力として驚異的ではあるものの、それは宝石自体の性質によるものであり、宝石人形魔術自体を扱う事自体は程度の差こそあれ中位以上の土魔術師であれば十分に可能だろう。
だが、宝石人形の魔術の難度の低さは、誰にでもそれを操る事が可能であるという意味とイコールではない。
他者の魔術の支配下にある人形を乗っ取るなど、土の元素を専門に操る魔術師でも高位の者が成せるかどうかの業であり、ましてや、マレストリ王国において、ティアと並び最高位の等級十二を誇るニグルから奪うとなると、その難易度は想像を絶する。現代魔術においては低位、過分に見積もっても中位の魔術師が精々のアルバトロスに、そんな真似は不可能と言える。
だから、ニグルがヨーラッドと名付けた宝石人形を奪われた現状は、それこそ現代に転生された直後、ティアに敗北した時からすでに、アルバトロスがその力を紗幕に隠し、あえて虚実を身に纏っていたとでも考えなければ辻褄が合わない。
「違うな、俺に力を出し惜しむ理由などない」
だが、ニグルの予想は、淡々としたアルバトロスの声に否定される。
「そのお姿でそんな事を口にされても、信じようがありませんね」
すでにアルバトロスを象徴するまでになっていた、鮮やかな白髪と虹色の瞳、その両方を深い黒に変えた姿は、今の姿こそが本来の彼の姿である事を如実に示している。
「これは装飾魔術を解いただけだ。そのわずかな負荷をも惜しんだのは事実だが、それだけで騙していたと言われるのは心外だな」
事実、姿が大きく変わった事自体は、アルバトロスの魔術の実力とはそれほど関連はなかった。装飾呪文自体は可視光線の操作、闘技場やこの場で見せた虚像の術の下位互換に近く、それ自体がアルバトロスの魔術の技量の高さを証明するものではない。
「……なら、どうして?」
「愚問だな。この魔術について、依代に教えたのはお前だろう」
「それは……」
宝石人形の魔術、その理論自体はヨーラッドの偽者を作る以前からニグルの頭の中に存在していた。親友であり高位の魔術師であるアーチライトに対し、魔術の内情を明かし意見を求めた事もあった。
「……しかし、支配を奪う方法までは教えていないはずです」
「それは俺が考えた」
「ええ、それしかないでしょう。ですが、いくら魔術の大筋を知っていたとしても、僕の知るあなたでは数日で僕の宝石人形を奪う魔術を考案できるはずが――」
「俺は、誰だ?」
低く、アルバトロスの声が沈む。
「このアルバトロス・フォン・ヴィッテンベルクが、数日もの時間を掛けて、種の知れた一魔術の解析と対策すら終えられないなどと本気で思い込んでいたのか?」
冷たく、圧し潰すような声。
それを耳にした瞬間、ニグルは忘れかけていた事を思い出した。
アルバトロス・フォン・ヴィッテンベルク。その名は、現代魔術の父にして、歴代唯一の等級十七を誇る大魔術師を意味する。
ティアの一撃に胸を貫かれた事を知る者は、その時点でアルバトロスの有用性を否定してしまっていた。
だが、厳密には、敗北の事実はアルバトロスの魔術的才覚の不足とイコールではない。
ただ、アルバトロスの生きた時代から魔術が大きく進歩しただけ。アルバトロスにその進歩に適応する時間が与えられていなかっただけ。
そうであれば、ある程度の時間を与えられた歴代最高とまで謳われる魔術師が一つの魔術を解析し簒奪する術を考え出す事など、むしろ当然とすら言えた。
「なるほど……つまり、この機はあなたにとっても――」
「そう、今がお前の支配から逃れる唯一の機会だった。宝石人形が確実にお前の傍にある今以外に、俺が優位に立てる状況はなかった」
その魔術的才覚が如何ほどのものであれ、現状のアルバトロスには五大元素魔術すらまともに使えない事に変わりはない。付け焼き刃の宝石人形奪還魔術のみが、アルバトロスがニグルの計画の外に逃れる唯一の手段だった。
「……だから、記憶が不完全である演技をしていたと」
「演技などせずとも、お前達は自らそう信じ込んでいただろう。大方、記憶継承術に細工でも試みたのだろうが、愚策だったな」
「そうですね。判断の難しいものを前提とするべきではなかったのかもしれません」
ニグルの計画、アルバトロスと偽のヨーラッドを当てるためには、アルバトロスの中のアーチライトの記憶が不完全である事が必要条件。
ニグルはその条件を満たすため記憶継承術に細工を行っていたものの、目に見えて変化のわかる転生術とは違い、記憶継承術の成否は外からでは判別が難しい。それゆえ、アルバトロスの演技に騙された結果として現状があった。
「あるいは、最初から、あなたに協力を仰ぐべきだったのでしょう。あなたは魔術師である以前に、優れた戦略家だった」
自らの計画を潰されておきながらも、ニグルの相貌には微かな笑みが浮かんでいた。
「勝手な事だというのはわかっています。ですが、どうか改めてお力をお貸しいただけないでしょうか、アルバトロス卿。このマレストリ王国には、あなたの力が必要です」
「……なるほど、厚顔無恥だな。この状況でまだ交渉に走るか」
すでにニグルの計画、ヨーラッドを名乗る宝石人形にアルバトロスを倒させ、力の象徴とする計画は看過され、ほとんど潰えたに等しい。
だが、計画の破綻は、同時にアルバトロスの力を証明してもいた。
であれば当初の、表向きの目論見通り、大魔術師アルバトロス・フォン・ヴィッテンベルクの力をそのままマレストリ王国の戦力、抑止力として使えばいい。
「だが、却下だ。お前に力を貸すつもりなら、もっと早くにそうしていた」
もっとも、それはアルバトロスの協力を得られるなら、の話。
「僕に、ではなく王国に、です。あなたが望むのなら、僕は一線を退いても構いません」
「同じ事だ。お前に俺は縛れない。俺は、俺の欲するままに動く」
「この世界で、何を欲すると? 死後千年後の孤立無援の世界で、あなた一人で何ができるというのですか?」
これまでのアルバトロスはあくまで象徴、飾りに過ぎない存在だった。それは当人の力不足によるもの、だけではない。
生前から千年後の世界に転生されたアルバトロスには、明確な立場も所属も、仲間も友人も、一切の拠り所が存在しない。あるいは、それでも伝説通りの万能の魔術師であれば一人で望むままに生きる事ができたかもしれないが――
「あなたも力不足は承知でしょう、アルバトロス卿。宝石人形の魔術は決して万能ではない。それを手に入れたからと言って、全てを力で捻じ伏せるのは不可能です」
今のアルバトロスは決して万能ではない。王国を逃れ、一人で生きていく事を選ぶのであれば、それは決して平易な道ではないだろう。
「たしかに、その通りだ。だが、お前は思い違いをしている」
言葉を返すアルバトロスは、すでにニグルを見てはいなかった。
「この状況は俺にとって不足ではなく、あくまで予想の範疇だ。千年前からの……な」
「それは――」
疑問を声にしかけたニグルの口が、開いたままで止まる。
「――死者転生術は、あなたが?」
「厳密には違うな。あれは、死者転生術なんて魔術ではない。ただ一人、この俺を転生させるためだけの魔術だ」
死者転生術。
その明確な起源は不明であり、現在に至るまで公式な成功例はマレストリ王国におけるアルバトロス・フォン・ヴィッテンベルクの転生ただ一件のみという謎の多い魔術。
だから、ニグルにはアルバトロスの言葉の真偽がわからない。
ただ、黒の瞳で宙を見据えるアルバトロスがそんな嘘を吐く理由は見当たらなかった。
「だから愚策だと言ったのだ。俺の作った魔術を使って、他でもない俺を利用できるはずがないだろう」
アルバトロスはニグルを見ない。それは、この状況が予想の一部、片付けるべき手順でしかなかった事を示すようで。
「アルバ、トロス――」
ニグルの無念の声は、瞬く雷光に塗り替えられ、消えていった。
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