4-10 火

「兄さんの事は、関係無いだろう?」

 言葉は、疑問形だった。口にしたティア自身が、その事に動揺する。

「関係無いわけないじゃん」

 大きすぎる隙を、アンナは見逃さない。いや、あるいは、その隙を作り出す為に言葉を選んでいたのか。そのくらいに絶妙なタイミングでティアの懐へと潜り込んでいく。

 右からの火の拳を風の短剣が迎撃するも、わずかに遅れてきた左からの拳を受けるには間に合わず、ティアは後方へと跳んで回避。更に距離を取ろうとしたところで、正面から襲い来る炎に気付く。

「ぁっ、っ……」

 想定外の一撃へと反射で短剣が向かうも、業火は防御をすり抜けて右の腕部を舐めるように炙っていた。咄嗟に風を突風に変えて炎を吹き飛ばすも、二の腕から肘に掛けてはすでに重度の火傷を負っており、純度の高い風の中、その部位にだけ黒の煙が混ざる。

「へぇ、耐えるんだ」

 痛みと熱さで動きが止まった隙に、しかし追撃はない。

「条件的に、これが最後かな。リネリアを置いていくなら、逃してあげる」

「これは兄さんの形見だ。いくらお前にでも、くれてやるわけにはいかない」

 アンナの直線の視線の先、ティアが短剣を左手に握り直す。

「いや、流石に後で返すって。ティアがしばらく戦えなくなれば、それでいいんだから」

「それなら、私を倒せばいいだろう。戦いたかったんじゃないのか?」

 慣れない短剣、それも利き手と逆の左でありながら、ティアは再び構えを取る。

「今のティアとはもういいかな。流石に、ここからじゃ勝負は見えてるし」

「舐められたものだ。私は、まだ戦える」

 自らの言葉を証明するように、今度はティアの方から距離を詰めていく。風の速度での突進、最高速に達したすれ違いざまの斬撃は、ティアの出せる最高速に近い。

 それでも、炎と化したアンナの右手は完璧に受けに回り、第一の接触を無傷で受け流した。更にそれだけに留まらず、すれ違い離れていくティアの背を左の裏拳で叩き、勢いのままに掌から火柱を放出して追撃に向ける。

「……ぃ」

 背面が焼け切る前に、ティアは苦悶の息を漏らしながら反転。短剣に注げる限りの魔力を注ぎ、ただ最大の威力で火柱に突風を撃ち付ける。

 火が一気に吹き飛ばされていく中、アンナも一旦は出力を上げて風が迫るのを防ぎ止めるが、体勢が整ったところで火柱を止めて身体を風の射線から外した。

 火力勝負を中断したアンナに対して、ティアはそこから更に出力を引き上げる。

 短剣の先から放たれるのは唸りを上げる突風、その矛先をアンナへと向ける。変成術に使う魔力すら突風の威力に転嫁した為、風と化していた身体は短剣を持つ左手から肩までを除いて肉へと戻り、少なくない部位に火傷を負った女騎士の姿が現出していた。

「……へぇ」

 突風を避けるべく、横に跳ねていくアンナの口からは意外そうな声。

 変成術を使う者同士の戦闘は、接近戦になる事が多い。

 遠距離からの魔術はそれと同等の速度、魔術の速度で移動する者にとっては躱す事は然程難しくない。その割に十分な威力を持たせる為には大量の魔力を必要とする為、変成術を使う者同士の戦闘では、遠距離魔術は消費魔力対効果が著しく悪いとされている。

 だが、両腕のみの不完全な変成術しか使えないアンナに対して、その理屈は当てはまらない。回避の速度が人の域を出ない相手に対してなら、遠距離魔術は十分に通用しうる。

 いや、通用しなくてはならない。

 魔力の大半を注ぎ込んだ放出魔術による一撃は、ティアにとっては最後の賭けとも言えるものだった。ここで決定的な打撃を与えられなければ、肉体的にも消耗の激しいティアの敗北はほぼ決定付けられる。

 突風を放つ剣先が、それを握る風の速度で角度を変えていく。剣先はすぐにアンナを捉え――だが、その先の突風は、奔った人間大の炎にいとも呆気無く躱された。

「……舐めてるのは、そっちの方だったね」

 力尽きたように下がるティアの左腕の先、突風はそよ風になり、やがて消えていく。

「アン、ナ……使えた、のか?」

「必要ないかもしれないけど、一応これは借りてくよ」

 火に変成していた全身を肉に戻すと、アンナはティアの手から短剣を奪い取り、そのまま振り返る事無く路地へと消えていった。

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