4-11 土と火

「おっ、なかなか面白い事になってる」

 闘技場の外、居並ぶ人々の頭上の立体映像を目にし、アンナは呟く。映し出されていたのは、無数のアルバトロスから放たれる魔術砲撃と、その間を縫うように奔る稲光。

「はいはい、退いた退いた」

 闘技場を取り囲む人混みの中に躊躇無く踏み入り、掻き分けるように前に進む。当然向けられる迷惑そうな視線を気にも留めず、アンナは瞬く間に闘技場の入口の一つへと辿り着いていた。

「座席券の提示をお願いします」

 そのまま中に入ろうとしたところ、入り口の横に控えていた男がアンナの前に立ち塞がる。軽装に魔術短剣を腰に携えた佇まいと先の言葉から、警備員の類だろう。

「券? いや、別に案内とかしてくれなくても大丈夫だから」

「申し訳ありませんが、入場規制を行っておりまして。座席券をお持ちでない方の入場はご遠慮させて頂いていますので」

「あ、そうなの? まぁ、たしかに、これ全部中には入らないもんね」

 背後の人だかりに目をやり、アンナは困ったように肩を竦める。

「でも、困ったなぁ。一応、私、関係者なんだけど」

「関係者、ですか。でしたら、一度本部に連絡を取って確認――」

 胸元の無線へと伸びかけた警備員の手は、直後に力無く下に垂れた。

「悪いけど、急いでるから」

 肉へと戻った右手で意識を失った警備員の身体を壁に預けると、アンナは早足に中へ進む。入り組んだ闘技場の内部にも迷う事なく、一般の観覧席への道を素通りし、前へ右へ、そして上へと歩いて行く。

 やがて足を止めた先、一見してただの石の壁へと右の手の平を押し付けると、壁が自動扉のように両側に開いた。

「遅かったね、アンナ」

 壁の先、石に囲まれた空間は、かなりの広さがあった。向かい側の壁は透けており、中心に座る人物はそこに覗く決闘から目を離そうとはしない。

「ああ、ちょうどティアに会っちゃったから」

 風が闘技場を所狭しと吹き荒れ、その間を雷が抜けていく。決闘の様子にアンナも目を向けながら、一歩ずつ前へと歩み寄る。

「ティアに……なるほど、露払いでもしてきたかい?」

「そういう事。ニグルがティアを味方に付けてれば、苦労する必要なかったのに」

「そうかもしれないね。でも、僕はそれを選ばなかった」

 横に着いたアンナにも、空間の先客、ニグル・フーリア・ケッペルは石で形作られた椅子に座ったまま、顔を向けずに返した。

「ニグルの目から見て、アルバはどう? 勝てそう?」

「そうだね、相当なものだ。よく考えられている」

 互いに相手を見ず、二人は闘技場に視線を向けたまま会話を交わす。

「火力も速度も捨てて、ただ相手の矛先を逸らす事だけを徹底する。変性術どころか五大元素魔術すら使えないアルバトロス卿にとって、この状況で唯一の即死を避ける方法だ」

「『光』の架空元素魔術を使ってるんじゃないの?」

「まさか。アンナもわかってるだろう、あれはエーテル魔術だよ」

「あー、やっぱり?」

 アルバトロスの生成する虚像魔術、その正体をニグルとアンナはすでに看過していた。

 曰く、エーテル魔術。

 五大元素の内の一つ、エーテル『のみ』を用いる魔術。

 別名『万能元素』と呼ばれるエーテルへと干渉する事により、理論上はありとあらゆる現象を引き起こす事ができる。その現象とはつまりアルバトロスの行った虚像の生成であり、彼が普段から自らへと用いている装飾魔術だった。

「ただ、あれでは良くて時間稼ぎ、魔力が尽きるのを待つだけだ」

 もっとも、エーテル魔術にも欠点はある。

 五大元素の内、エーテルが世界に占める割合は他の四大元素と比べて非常に少ない。ゆえにそれ単体で引き起こす事のできる現象の規模は小さく、その規模を引き上げようとすれば魔術師自身の消耗が大きくなる。

 だからこそ、現代では体内のエーテルを媒体として他の四大元素に干渉し、より大きな現象を引き起こす五大元素魔術が主流となっていた。

 アルバトロスの作り出す虚像はあくまで可視光の操作によるもので、質量を持たせていない事から魔力の消耗は然程ではないだろうが、ヨーラッドへと放つ魔術砲撃の方はそうもいかない。あるいはそれすらも見せかけだけの虚像かもしれないが、だとすればそれこそ時間稼ぎ以外の効果は期待できない。

「アルバは、後どのくらい生きてられると思う?」

「どうだろうね。エーテル魔術には詳しくないけど、全てが虚像だと想定しても、並の魔術師なら保ってあと数分だろう」

 アンナの問いに、ニグルは目の前の戦闘から一切目を離さずに返す。

「数分、か……」

 その様子を見たアンナは僅かに視線を落とし――

「――へぇ、受けられるんだ」

 火へと変成しニグルの頭部へと放たれたアンナの右手は、彼が直前まで座っていた椅子が変形した壁に受け止められていた。

「裏切りには慣れてるからね」

「あははっ、そりゃそっか」

 明るく、笑みを浮かべながら、アンナの左の裏拳が無造作に放たれる。対するニグルは予測していたように身を逸らし回避するも、反転し戻ってきた火の拳をもう一度避ける事までは出来ず、右の腕に直撃を受ける。

「でも、それにしては甘かったね。私をここに入れた時点で、結果は決まってる」

「そうだね。だから、僕は最初から君を味方につけるつもりはなかったんだ」

 肉を数秒と経たずに炭化させる高温を受けながらも、ニグルは声に苦痛を滲ませる事なく会話を続けていく。

「だとしても、結果はこれだよ。だから、死にたくなければ、おとなしく要求に従って」

「それは――無理かな」

 ニグルの腕から肩、頭部へと侵食し始めていた火は、しかし後ろに飛んだアンナの身体に合わせて引いていった。

「――遅いっ」

 アンナを退かせたのは、真下から生えた土の杭。更に上下左右、天井、床、壁から杭が伸びるも、それらを弾き、避けながらアンナは後退していくニグルへの距離を詰める。それなりの広さがあるとは言え、所詮は石に囲まれた閉鎖空間。やがてニグルの背は壁に着き、間髪入れずに火の拳が胴へと突き刺さる。

「変成術、か。そりゃあ、使えるよね」

 確かに火が捉えた腹部は、しかし黒茶色の土と化していた。

「でも、無駄だよ。それじゃあ逃げられないから」

 変成術とは、身体を五大元素に変成させ、人間の肉体の限界を凌駕する魔術。

 だが、ニグルの魔術属性、彼の変成する元素は土。肉と同じ固体に分類される土への変成は、速度の面で火や風に大きく劣る。反面、耐久力や打撃力の強化は可能だが、回避と追撃で劣る以上、土への変成術の有用性は他の元素への変性術に劣るというのが通説とされていた。

「だから言ったでしょ、ニグルじゃ私には勝てない。この国でアーチライトの次に強い魔術師は、他の誰でもない私なんだから」

 土の全身に火を絡めて拘束しながら、アンナは言葉を紡いでいく。

「……僕を、恨んでいると?」

「そうじゃないよ。これは、ただの下らないプライド。私は、そのためだけにこの計画を台無しにする」

 火の赤色が徐々に薄まり、白へと変化していく。同時に温度を急速に上げた火柱によって、空間は蒸し風呂のごとき熱さにまで至っていた。

「なるほど……それが、君の目的か」

「そういう事。どうせ理解してもらえないだろうけど、それはどうでもいい」

 熱は確実に土を侵していき、すでに表面は炭化しかけてすらいる。いかに耐熱性の高い土に変成していたところで、数秒もすればニグルは熱に耐えられなくなるはずだった。

「結果は同じ、後はニグルが死ぬかどうかだけ。だから、私に従っ――」

 言葉を切ったのは、直感だった。

「――これで、わかった?」

 上下左右、全方向から吹き出した黒褐色の槍の群れを、炎は悠然と躱しきる。

「全身……変成……そんな、無茶を」

 人型をした土の塊、そこに小さく開いた穴から、なんとか声の形を成した音が漏れる。

「二、三個宝石を身体に埋め込んだだけだよ。感覚としても、全身が燃えてるくらいにしか感じないし」

 アンナ・ホールギスは全身変性術を使えない。その理由は、肉体において占める火の元素の割合が足りないためだ。

 ならば、火の元素で構成された魔術宝石を身体の一部とする事で体内元素の割合を変えてしまえばいい。それが、アンナの取った策だった。

 しかし、そんな単純な考えは、単純であるがゆえに実行するには穴も大きい。

 元より全身の変成術に耐え得る造りをしていないアンナは、無理に全身の変性を行った結果として全身を火で炙られるどころか、文字通り全身が火と化したかのような熱と痛みに襲われていた。

「もう一度だけ言うよ、私に従って。そうでないと――」

 アンナは、いまだ全身の変成を解いてはいなかった。だから、続いた悪寒への反応は火の速度に相違なく、それでも回避は意味を成さない。

「そっ、か……」

 一閃。

 闘技場から奔った雷に頭の先から爪先までを貫かれたアンナは、納得したような声だけを残して意識を失った。

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