4-5 敗北
「あれは……」
ティアの瞳が捉えたのは、闘技場を取り囲む人の群れ。文字通り、闘技場の周りを取り囲むまでに溢れた人々の視線の先には、宙に投射された巨大な立体映像があった。
「とりあえずは間に合ったか」
映像に映し出された綺麗に整備された闘技場を眺め、軽く息を吐く。開始の時刻までまだ一時間以上を残している以上、それが当たり前ではあるのだが。
「うん、間に合っちゃったみたいだね。残念、残念」
すぐ目の前からの声。ティアがそれに反応して視線を下ろすと、そこには赤の戦闘装束を身に纏ったアンナがいた。
「アンナ? どこから?」
「どこって、あの中だよ。流石に、偶然そこらを散歩してたわけじゃないって」
「それはそうだろうが……」
指差された先の人混みまでは、まだ幾分か距離がある。それだけの距離、一人歩いてくるアンナに気付かないものだろうか。
「お前もニグルも連絡が付かなくて困っていた。何がどうなっている?」
「あー、連絡してた? ごめんごめん、気付かなかった」
「それはいいから、早く話を聞かせてくれ」
ゆったりと携帯端末を取り出すアンナに、焦れたように催促。
「いや、話せって言われても、何を話せばいいのかわかんないし」
「そんな事、決まっているだろう……」
溜息を吐きかけ、だがそこでティアは一度止まる。
「待て、アルバトロスの護衛はどうした?」
「護衛? 今から決闘だって時にまでくっついてるもんじゃないでしょ」
「何を言っている! ヨーラッドがすぐ側にいる今こそ、最も危険なはずだろう!」
詰め寄るティアを、アンナは横に一歩だけ動いて躱した。
「わざわざ決闘の舞台まで整えておいて、ヨーラッドがその前に襲ってくるわけないじゃん。もし本当にそうなったら、私がいてもいなくても同じだし」
「だが、それでも――」
「それに、何より、今の私にはアルバの護衛よりもっと大事な仕事があるしね」
更に、なおも向かってくるティアを置き去るように、闘技場とは逆の方向へと歩き出す。
「待て、まだ話は……」
「聞きたいんでしょ、決闘の事。人前で話すような事じゃないから」
「……たしかに、それはそうだな」
早足のアンナにティアがどうにか追いつき、隣に並んでお互い無言で歩く。
店や民家の脇、入り組んだ細い路地をいくつか抜けた先、ふと現れた意外なほどに広い空間で、アンナは足を止めた。
「とりあえず、ここなら大丈夫かな」
「こんな場所があったのか、知らなかった」
「……そっか、ティアは知らなかったか」
アンナの手が手袋越しに壁をなぞり、反転してそこに背を預ける。
「それで、ティアは何を知りたいの?」
「お前も言っていただろう、私が知りたいのはアルバトロスの決闘についてだ」
まっすぐに言い切ったティアに、アンナは億劫そうに目を伏せ、浅く息を吐いた。
「だから、決闘についての、何? 形式? 勝ち目? 条件?」
「あえて言うなら、全てだ。そもそも、私はあの決闘が行われる事になった経緯からして何一つ知らない」
「そっか。本当に何も知らないんだ、騎士団長様は」
もう一度、今度は少しだけ深い吐息の音。それに反応し、ティアの眉が小さく跳ねる。
「ここ数日の間、私はずっと戦場に出ていた。たしかに、連絡に応答できなかったのは私の責任だが、使いを寄越すなり、そちらにも何かやりようはあったはずだ。加えて、この時点でウルマとの戦争と直接関係のなくなった私闘をアルバトロスがわざわざ受けるなど、想定もしていなかったのだから無理もないだろう」
「それ、本気で言ってるの? だとしたら、大分甘いよ」
「何、を……」
表情を変えず、しかし明らかに棘のあるアンナの声に、ティアは口を噤んでしまう。
そんな様子を見てか、それともただ一息置いただけか、アンナは続けて口を開く。
「今回の決闘は、あの式典でのヨーラッドからの申し出をアルバが受けた、っていう、ごく真っ当な流れに沿って行われる。騎士団や護衛団、国の上層部に一般市民まで、ほとんどの人はそう認識してるし、事実としてそれは正しい」
「だが、それはあくまで建前なんだろう? いくらアルバトロスの自尊心が高くとも、ただ勝てない決闘を受けるとも思えない。国としても、今アルバトロスを失うのは……」
「だから、その辺の事情については、公開されてないんだってば」
ティアの言葉は、聞き分けの悪い子供に言い聞かせるように重ねた言葉で掻き消されてしまう。
「それは……だからこそ、事情を知っているお前に聞いているんだろう」
「ああ、残念だけど、私だってこの件に関して何もかも知ってるわけじゃないよ。他の人になくて私にあるのは、ここ数日間のアルバとの会話くらい。それだって本音を言ってたのかどうか確信はないし、詳しい事情はそんな少ない情報からの推測でしかない」
「それでも、アンナはその推測が正解だと思っているんだろう? だから、私にそれを話すためにここに連れてきたんじゃないのか?」
細く、伺うような視線は、だが退屈そうな笑みを捉えてしまう。
「ティアは、そう考えたから私に着いて来たの?」
歪められた口元からの言葉に、ティアは返答できなかった。
「私はこれから、重要な事を言う。だけど、それが本当に重要なのか、事実なのか、それとも私の推測なのか、あるいは嘘なのか、それに何より、それを聞いてどうするのかはティアが判断するしかないんだよ」
「アンナ、お前は……私の敵なのか?」
直後、弾けた笑い声が、自分の稚拙な表現へのものだという事は、ティアにもはっきりとわかった。
「私はティアの味方だよ。少なくとも、もっと大事なものの為、以外では」
囁きにも似たその声を、今は信じていいのかどうかもわからずに。
「アルバは、ヨーラッドに負けるよ。勝てるわけ無いじゃん。アーチライトですら勝てなかったヨーラッドに、ティアに負けたアルバが勝てるわけない」
だが、その後に続いた言葉だけは、妙に納得できてしまっていた。
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