4-6 敵

 ティア・エルシア・ウィットランドにとって、アーチライト・コルア・ウィットランドは特別な存在だった。

 ウィットランド家の長兄、つまりは実の兄。それも特別の一端には違いないが、仮に別の関係性であったとしてもアーチライトはやはり特別だったであろうとティアは思う。

 マレストリ王国最強の騎士にして、架空元素『光』を操る等級十四の魔術師。常に自分の前に在った兄の存在が、自分にとってだけでなく周りの誰にとっても敵わないものである事に気付くのにそれほど時間を要する事はなく。

 だから、ティアには動揺はなかった。

 大陸最悪の魔術師ヨーラッド・ヌークス討伐隊にアーチライトが加わると聞いた時も、それだけでなく、ヨーラッドの手でアーチライトが殺されたと聞いた時も。

 アーチライトの肉体が転生術の依代となった今ですら、ティアはアーチライトの敗北と死をどこかで真実だと信じきれていない。あるいは、信じようとしていなかった。

 だが、信じようと信じまいと事実は変わらない。これまでのティアにとって幸いだったのはあえてその事実を突きつけて来ようとする者がいなかった事で、しかし今は違った。

「それは……アルバトロス自身もわかっているのか?」

 不躾にぶつけられた兄の名前にそれでも現状について追求しようとするものの、ティアの喉から漏れた音は、自身も驚くほどに弱いものだった。

「アルバにも同じような事は言ったよ。本人がどう思ってるかは知らないけど」

「それでも、闘うと?」

「そのつもりだから、ああいう状況になってるんじゃない?」

 表面上だけ曖昧な、だがその実明確な肯定を受け、ティアは闘技場へと一歩を踏み出す。

「どうするつもりなの?」

 それ以上は、手袋越しに掴まれた腕に引かれて進めなかった。

「決闘を止める。負けるとわかっていて、ただ死なせるわけにはいかないだろう」

「へぇ、ティアはアルバの事、嫌ってると思ってたけど」

「嫌ってなど………ただ、どう接していいかわからないだけだ」

「じゃあ、死んでほしくはないんだ」

 意外そうな問いかけには、すんなりと頷きが返される。

「当たり前だ。アルバトロスはまだ有用で、そうでなくとも殺したいほど憎むような理由は無い」

「ふーん」

「……むしろ、お前は死んでほしいのか? 随分と打ち解けていたように見えたが、なぜみすみす死地に送り込むような真似ができる?」

「……知ってた? アルバって、左の首に黒子が二個、横に並んでるの」

 怒りになりかけたティアの荒い声に、アンナは噛み合わない言葉を返した。

「何、を?」

「伝わんないか、まぁ、そうだよね」

 満面の笑み。それを訝しむのと、ティアの身体が大きく投げ出されたのは同時だった。

「……どうした、敵か!?」

 自分を突き飛ばしたアンナの先、右、左、後ろ、上と素早く視線を飛ばすも、周囲には人影一つ見えない。遠距離からの狙撃へと思考を切り替える直前、真正面から襲いかかって来た炎の束を間一髪で躱す。

「まぁ、そう取られても仕方ないのかな。さっきは笑っちゃったけど」

「……アンナ?」

 声色は驚愕を示しながら、ティアの身体は淀みなく動いていた。腕は自然と腰の剣を抜き、目の前で拳を構えるアンナへと切っ先を向ける。

「なぜ、お前が……」

「勘違いしないでほしいのは、私はティアを傷つけたくはないって事。このまま大人しく家なり、騎士団本部なり、戦場でもいいけど、とにかく闘技場以外のどこかに行くと約束してくれれば、私は笑って見送ってあげる」

「私が闘技場にいてはまずいというのか? なぜだ?」

「なんでって、そんなの、私よりもティアの方がわかってるでしょ」

 返答を催促するように、二度目の炎が跳躍した足元を抜けていく。

「あの場所にいたら、ティア、身代わりになってでもアルバを助けちゃうから」

「私が、アルバトロスの身代わりに?」

 着地しながらも、ティアの頭の中は困惑に埋め尽くされたまま。アンナの言葉も、今の状況も何もかもが、理解も、納得すらできていない。

「どうして……」

「残念だけど、もう私の話は終わり。続きは、自分の頭で考え――」

 語尾が掠れて消える。

 一歩で懐まで詰める高速機動は、だが人間の身体能力の枠を超える程度。連動して放たれた、文字通り火と化した拳の速度に比べれば、大きく見劣りする。

「っ……」

 アンナの接近に合わせて発動していた術式が、ティアの全身を風へと作り変える。それでも、やっと五分。火の、魔術の速度で襲い来る至近からの拳打は、剣の根本でどうにか捌きながら距離を取るしかない。

 ティアの愛用する魔術剣レーニアは、ティアやアンナが身に纏う魔術礼装と同じく、剣自体の擬似的な風への変成術を可能とする。その上で更に剣の形を保持する特殊な魔術剣の性質は、だが拳打の雨から思うように距離を取れない現状では、むしろ手持ち無沙汰ですらあった。

「ぁ、らぁっ!」

 上体を反らせ、眼前で拳を躱し、崩れた体勢のままに蹴りを放つ。風の速度で襲う蹴りは、しかし同等の速度の火の体術に絡め取られてしまう。

 脚を覆い始めた熱を危険信号と判断し、離脱を試みるも、火の両腕は外れない。もう片方の足で放った蹴りも、体を傾けるだけで躱される。

「ちぇっ」

 魔術障壁が焼き切られる寸前、ティアの発動した魔術が、掴まれた右の脚を風の刃に変えていた。ごく低難度の攻撃魔術、だが自らの身体自体を魔術としたそれは、変成術を完全に身に付けた魔術師にしか使えない高等戦闘技術だった。

「足を潰せれば、それで終わりで良かったんだけど」

 刃からの回避に成功したアンナは、同時にティアの右脚を手放す事になっていた。風の速度で距離を取るティアを、両腕から先以外は肉体を保っているアンナは追えずに眺める。

「そう簡単にやられるものか。もう距離は取った、降参するなら今の内だ」

 正眼の構え。一分の乱れも無い構えの輪郭だけが、微かに光に模られて見える。

「ま、いっか。一回、ティアとは本気で戦っておきたかったし」

 それと相対するアンナの顔には、紛れもない喜色が浮かんでいた。

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