4-4 待ち人

「……遅いなぁ」

 闘技場の外、壁にもたれ掛かりながら、赤髪に赤装束の女が溜息を吐く。

「まぁ、この時間から中にいるようなのは早すぎるんだろうけど」

 決闘の予定開始時刻には、まだ丸々二時間ほどある。にもかかわらず、闘技場の中から聞こえる喧騒は、すでに外にいるアンナの独り言を掻き消すほどになっていた。

「それにしても、やっぱり遅いなぁ。大丈夫かな?」

 言葉の内容ほどの危機感の無い声で、ぼんやりと空を見上げる。

「……あっ、アルバだ」

 上げていたアンナの顔が下がるよりも、呟きの方が先に漏れていた。

「おーい、アルバー!」

 大きく手を振るアンナに気付き、顔を向けるも、黒髪に地味な服装をした少年は歩調を早める事もなくゆっくりと寄ってくる。

「そう大声で名を呼ぶな。いくらこの格好でも、余計な注目を集めたくはない」

「略称だから大丈夫でしょ。普通はアルバの事アルバって呼んだりしないし」

「一応、だ。もっとも、どうやら問題無さそうではあるな」

 一度だけ周りを見渡し、アルバトロスは肩の力を抜いていく。

 辺りに見える常より大分多い人々の誰もが、二人へと特別な注意を向けてはいなかった。人々の半分ほどはすぐ傍にある闘技場へとまっすぐに入っていき、それ以外の半分は足を止める事もなく過ぎて行く。

「で、どう? 私を撒いてまで出かけたんだから、ちゃんと心の準備は済ませてきたんだよね?」

「そんなものはしていない。死ぬ準備など、何の意味も無い」

 普段通り、軽い調子の声を受けて、アルバトロスも常と同じトーンで返す。

「それはそうかもだけど、やっぱりそれでも覚悟していくもんじゃない?」

「要らないな。そういったものは、未練のある者がする事だ」

「アルバには未練が無いって?」

「この時代に転生されて、まだほんの僅かほどしか経っていない。それだけの時間では、そう未練など生まれはしないだろう。それに――」

 アンナが口を開きかけるも、先んじたアルバトロスの口の動きがそれを止めた。

「――我は、負けるつもりで戦いに挑んだ事も、その結果として負けた事も一度も無い」

 一瞬だけ七色を写した瞳に、アンナはわずかに息を呑む。

「……でも、ティアには負けてたじゃん」

「あれは無しだ。話が広がりさえしなければ、無敗の肩書きは守れる」

「もしかして、アルバってそういう感じで伝説になったの?」

「さぁ、どうだろうな」

 それでも、思い出したかのようなアンナの言葉を皮切りに、緩んだ空気の中で二人は互いに笑みを浮かべた。

「今のアルバじゃ、多分ヨーラッドには勝てない。それでも、戦うんだよね?」

 遠慮の欠片も無い言葉は、だからこそどこまでも真摯で。

「ああ、臆病者の誹りを受けるくらいなら、ここで死ぬ方が潔い」

「それなら、私は止めない。だから……」

 迷いをそのまま形にしたような表情は、そのままで固まる。

「勝って。今度は、私の前で勝ってみせて」

 祈るような、願うような声。

「保証はしない。結果が全てというだけの事だ」

 アンナらしくもない必死な願いにも、アルバトロスは追求すらせずただ淡々と返した。

「……うん、意外とそういうのもいいね。堂々と勝利宣言してくれるよりも、むしろ勝って当たり前、みたいな感じで安心できるかも」

「そう思ったのなら何よりだ」

 アンナの調子が見慣れたものに戻ったのを確認してか、ふと、視線を逸らす。

「少し、確かめておきたい事もある。そろそろ闘技場に入るとしよう」

「そっか。じゃあ、一旦ここでお別れだね」

 一歩、闘技場へと踏み出したアルバトロスを、アンナは後ろ手に組んで見送る。

「お前は着いて来ないのか?」

「私も、ちょっとやる事があるからね。中には騎士団の人員もいるだろうから、私がいなくても大丈夫でしょ」

「そうか、ならいい。また、後で会おう」

「うん、また後でね」

 決闘前、おそらく最後になるであろう会話は、いとも簡単に打ち切られた。それきり振り返る事もないアルバトロスを少しの間眺め、アンナも再び壁に背を預ける。

「……ん、やっぱり遅いなぁ」

 もう幾度目かの呟きは、それまでと同様に誰にも届かず消えた。


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