1-6 間諜

「入るよ」

 国防軍護衛長、ニグル・フーリア・ケッペルへと与えられた一室。その中に入室を告げる声が響いたのは、扉がすでに外から開け放たれた後だった。

「待ってたよ、アンナ」

 赤髪の女の不躾を咎めるでもなく、ニグルは椅子に深く腰掛けたままそれを迎える。

「手筈通り、リィナと入れ替わりは済ませて来たかい?」

「一応ね。アルバも寝てたし大丈夫だとは思うけど、後の事は責任持たないよ」

「心配しなくても、そちらは僕の責任だ。君ほどではないにしても、大抵の事なら彼女でも対応できるだろう」

 アンナ・ホールギスはアルバトロス・フォン・ヴィッテンベルクの専属護衛だ。

 本来、一時たりともアルバトロスの傍を離れる事を許されない役割のアンナが一人ニグルの元に足を運んだ以上、その間は代わりの護衛が必要となる。

「そうは言っても、アルバに何かあったら私も無関係ってわけにいかないし。早いとこ話を済ませよっか」

 そして、代わりの護衛を立ててまでアンナがこの場に訪れたのには、当然ながら明確な理由があった。

「そうだね。じゃあ、アルバトロス卿の様子はどうだい?」

 アンナの提案に頷いたニグルの口にしたのは、率直な問い。

 アンナ・ホールギスはアルバトロス・フォン・ヴィッテンベルクの専属護衛だ。

 そして、同時にアルバトロスの監視役でもある。

 アルバトロスがマレストリ王国に全面的に協力をするという保証がない以上、その動きを見張る監視役が必要とされるのは当然の事だった。

「今のところ、特に逃げ出そうとかは考えてなさそうかな。まぁ、まだほとんど顔合わせみたいなもんだから、はっきりとは言えないけど」

「そうだろうね。今はただ、印象のようなものを伝えてくれるだけでいい」

「印象、かぁ……うん、悪くはないよ。色々わかってそうだし、仲良くやれそうかな」

 薄く笑みを浮かべるアンナに、ニグルも笑って返す。

「それなら良かった。腐っても千年前の大魔術師、扱いに苦労するかと思ったけど」

「逆じゃない? 多分、駄々捏ねても無駄だってわかってるんだよ」

「なるほど。それは幸いだ」

 穏やかに言葉を紡いでいたニグルの表情が、そこで僅かに硬くなる。

「……それと、彼の記憶については?」

「そっちはまだわかんない。一通り、現代の基礎知識はありそうだけど、どのくらいアーチライトの記憶を引き継いでるのかまでは聞いてないから」

 転生術は成功し、アルバトロス・フォン・ヴィッテンベルクは現代に顕現した。

 だが、転生術に際して行われた記憶継承術、転生者に依代の記憶を移し替える術の成否については外から一目で確認できるものではない。

 そして、記憶継承術の成否は、少なくともアンナとニグルの二人にとっては大きな意味を占めていた。

「そうか……うん、今はそれでいいよ。君の言う通りアルバトロス卿が頭が切れる人物なら、無理に探りを入れるのは避けた方がいいだろうね」

「わかってる。心配しなくても、上手くやるよ。失敗はしない」

 硬く、真剣な表情となったニグルに対し、アンナの表情は薄い笑みのまま。

「これは、アーチライトのためだからね」

 それでも、響いた声には一切の揺らぎもなかった。

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