1-5 本性


「……間近で見ると、より一層と壮大だな」

 通りを後にして辿り着いたビルの下、首を少し上げたところで最上階を視界に捉える事を諦めたアルバトロスが小さく感嘆の声を漏らした。

「当面はこのビル、クーべ第二ビルの34階から38階までがアルバトロス卿に用意された居住地となります」

「この建物全てが我のもの、というわけではないのか」

「現在のところ、これが私共に用意できる限界でして。何卒ご容赦を」

「いや、良い。これほどの建築物、全てを与えられても持て余すのが精々だろう」

 アンナが頭を上げるのを待ち、二人は足並みを揃えてビルへと入っていく。

「ひとりでに開く扉、か。逐一驚いていても仕方ないが、しかし奇怪なものだ」

「この時代に慣れるのにはしばし時間が掛かるでしょうが、気になった事があれば何なりとお尋ねください」

 扉を抜けた先の開けた空間、その中心をまっすぐに抜けていく。

「わからないわけではない。ただ、少しばかり慣れぬだけだ」

 アンナより一歩だけ前に出たアルバトロスが、壁に浮き出た四角形を指の腹で押す。

「この自動昇降機についても、使い方まで理解している」

 ほどなくして音を立てて開いた扉の中、小さな一室へとアルバトロスが足を踏み入れ、その後ろにアンナが付き従う。

「もっとも、どの階へ向かうべきかまではわからぬが」

「特にご要望が無ければ、34階からでよろしいかと」

「ならばそうしよう」

 アルバトロスの了解を得て、アンナが34の数字が書かれたボタンに指で触れる。

「…………」

 無言。

 アンナはアルバトロスへと体を向けたまま、アルバトロスは扉の反対、ガラス張りの壁から透けた街並みを眺めたまま、お互いに口を開こうとはしない。

『――34階です』

「着きました」

 平坦な機械音声が目的の階への到着を告げ、短い確認の言葉で追従したアンナが足早に扉から外へと出る。

「……なるほど、なかなか悪くない、が」

 エレベーターの外、すぐに立ち塞がった扉をアンナが開くと、そこは居住空間だった。

 黒タイルの敷き詰められた一メートル四方が玄関代わりという事か、乱雑に脱ぎ捨てられた革靴の隣へアルバトロスも靴を脱ぎ、部屋の奥に置かれたソファーへと向かっていく。

「でしょ? 結構いいもの揃えてもらったんだよねー」

 ソファーの上から帰って来たのは、緩い調子の女の声。

 アルバトロスの見下ろした先には、スーツの上を脱ぎ捨て、ズボンのベルトを完全に緩めてクッションを抱いた体勢で寝転がったアンナの姿があった。

 つい一瞬前までの整然とした姿は跡形もない、見るからにだらしのない赤髪の女に、驚くでもなくただ珍しいものを見るかのようなアルバトロスの視線が固定される。

「ん、何? そんなに見つめて。千年も死んでたら、やっぱ久しぶりの女にそそられる?」

「いや、ただ随分と急に演技をやめるものだと思ってな」

 視線をアンナに向けたまま、アルバトロスも一人掛けの安楽椅子に腰を下ろす。

「だって、アルバの転生術には記憶の継承、だか何だかも含まれてるんでしょ? それならアルバには私の事も結構知られちゃってるわけで、隠しても意味ないじゃん」

「本性を知られていても、それを見せるかどうかは別だろう。そもそも、いくらお前が無遠慮でも、まさかいきなり略称を呼ばれるとまでは思っていなかった」

 溜息と共に、純白のローブを脱ぎ捨てる。

「まぁ、これから四六時中行動を共にするからには、それも時間の問題なんだろうが」

 瞬間、アルバトロスの髪の白色が脱けていく。

 鮮やかな白の下から現れたのは、墨のような艶のない黒色。それに呼応するかのように、アンナを中心に捉える瞳の色も虹色の変化を止めて深い黒に落ち着いていった。

「と、いう事で、ここでは俺もこれでいかせてもらう」

 鈴のようだった声もその透き通った響きをなくし、気だるげな色を帯びる。

「……えっ?」

 態度としてはアンナほどの変化はないが、外見に関してはその比ではない白から黒への脱色に、アンナが甲高い声を上げつつ体を起こす。

「そちらこそ、驚くほどの事ではないだろう。あの程度の装飾呪文、この時代では児戯のようなもの――」

 面倒そうなアルバトロスの言葉は、しかしその途中で中断される。

「近い、離れろ。一体何の――」

「かわいいっ!」

 再度の中断は、しかしアルバトロスの意志を無視した、半ば強引なものだった。

「いやぁ、これはラッキーかなぁ。正直、この仕事乗り気じゃなかったんだけど、まさかアルバがこんなに若くてかわいいなんて。断って前線に出なくてよかったー!」

 奔放を通り越して無遠慮に、アルバトロスの頭を撫でながら小躍りする。

「……kизил」 

 小さく左右に揺らされながら、アルバトロスが吐き捨てるように低い声を発す。

 直後、人間大の火柱が立ち昇り、アンナの全身を包み込んでいった。

「うわっ、いきなり何すんのっ!」

「それはこちらの言葉だ。俺はただ、不躾に罰を与えただけの事」

 しかし、身に炎を纏いながらも、アンナは子供の悪戯を叱るかのように腰に手を当てながら頬を膨らませ、アルバトロスも当たり前のように会話を成立させていた。

「だからって、いきなり攻撃してこなくてもいいじゃん。短気だなぁ」

「一度死ぬまではそれなりに満たされていたので、我慢する事には慣れていない」

「そっか、じゃあ私と同じだ。まぁ、私はアルバほど暴力的じゃないけど」

 体を二、三度揺すり、炎が消えたのに合わせるように、アンナは表面だけの怒りの演技をすっかり取り払う。

「とりあえず、仲良くしようよ。これからしばらくは一緒に暮らすんだから」

「友好と無遠慮は同義ではない。適切な距離感で、という事ならば俺もその提案には概ね賛成だが」

 話を聞いていないのか、それとも気にしていないのか、身を屈めたアンナは鼻先が付きそうな距離でアルバトロスを見つめ続ける。

「で、早速だけど、アルバって結局いくつなの?」

「それは年齢についての問い、と取っていいのか? それと、まだ近い。離れろ」

 背もたれを倒して距離を取りながらの問い返しに、アンナはこくこくと頷く。

「肉体年齢の事なら、おそらくこの身体の元の持ち主と同じ、二十余りといったところだろう。精神年齢となると難しいが、記憶で言えば前世のものは一通り残っている」

「じゃあ、アルバが死んだのはいくつの時なの?」

 畳み掛けるように重ねられた問いに、アルバトロスの眉間に皺が寄る。

「……なぜ、お前のような配慮のない女が護衛なんて仕事を任せられているんだ」

「そんなの、腕がいいからに決まってるじゃん」

 隠すつもりもない皮肉に笑顔で返され、短い溜息が漏れる。

「たしかに、襲撃に気付いていながら護衛対象に対処させるなんて、相当腕がいい護衛でなければできないだろうな」

「でしょ? ギリギリまで我慢するの結構大変だったんだから」

 もう一度、切れ味を増した皮肉にも、更に明るさを増した笑みが戻って来るのみ。

「つまり、やはりあれは茶番に過ぎなかったという事か」

「あ、それ言わない方がいいんだったっけ?」

「俺が知る訳がないだろう」

 呆れたように目を細め、アルバトロスは言葉を続ける。

「推測するなら、あの襲撃の目的は転生術の成功を民衆に知らしめるための演出、もしくは俺の力を計る意味合いといったところか。その上で、先の儀式で失った自負を取り戻させる意図があったのなら、あれが仕込みだとは俺に知られるべきではないが」

「あれ、あの時の話しちゃっていいの? 一応私もそこだけは気を遣ってたんだけど」

 アンナの覗き込むような視線は、首を捻って回避。

「どうせ避けて通れる話でもない。腫れものに触るような扱いをされるよりは、早い内に詳らかにしておいた方がいい。お前もそうだろう」

「それは、私からすれば気を遣わずに済むに越した事はないけど……」

「そもそも、俺の時代から現代までは相当に時が経っている。進歩した魔術の中、いきなり第一線で渡り合えると思い込んでいたわけでもなく、ゆえに落ち込んでなどいない」

 無理に作ったとは思えない、自然に漏れたような口元の笑みは、どのような感情の発露にしろアルバトロスの言葉が心からのものである事を証明していた。

「この転生術を発案した馬鹿は、そんな事もわかっていなかったようだがな」

 更に口角を上げた笑みは、明らかな嘲笑のそれに変わる。

「そういう事で、俺があの女に負けた事にそれほど気を遣わなくてもいい。もっとも、あまり大声で触れ回られるのは望むところではなく、それはそちらもそうだろうが」

「うん、じゃあ、アルバがそう言うならそうさせてもらおうかな」

 そう口にするなり、アンナが獣の速さでアルバトロスに覆い被さる。

 椅子に深く腰を預けていたアルバトロスに回避は不可能。体を守るべく前に掲げられた両の腕も簡単になぎ払われ、赤の直進を止めるには至らない。

「あーっ、やっぱり肌スベスベだーっ」

「……このような行為に許可を出したつもりはないんだが」

 アンナが動きを止めた時、二人の間の距離は文字通り零、頬を重ね合わせる形となっていた。

「ふっふっふ、何を言おうと逃げられまい。なぜなら私の方が強いから!」

「そのような受け取り方をされるとは……」

 少しの間抵抗していたアルバトロスは、すでに力ずくでの脱出を諦めていた。

「そう言えば、まだ年齢についての問いに返していなかったな」

「あ、そうだった。結局、どうなの?」

「俺が死んだのは47の時だ。つまり、精神年齢は47という事になるか」

 淡々とした答えに、アンナの体が一瞬硬直する。

「47、かぁ、それはなんというか、あんまり聞きたくなかったかも。100歳とかだったらもう一周していいんだけど、47、ねぇ、うーん」

 緩んだ拘束を抜け、アルバトロスは安楽椅子から立ち上がり歩き出す。

「なんだ、俺の嘘はお気に召さなかったか?」

「いや、だってうちの親父の一個上だし。ちょっとそう考えると……って、ん? 嘘?」

 今日一番の難しい顔で首を捻っていたアンナが顔を上げた先、アルバトロスの背は廊下へと差し掛かっていた。

「何、嘘なの!? というか、どこ行くの?」

「まだこの体を動かすのに慣れていないのか、少し疲れた。寝るから着いて来るな」

「寝るのはいいけど、年齢は? 結局いくつなの!?」

 掛けられた言葉を無視して追い縋っていく先、目の前で閉じられたドアにアンナの足が止まる。要人の滞在を想定して造られた一室、最新式の電動扉は壁のスイッチで施錠設定をすると向かい側からでは開かない。

 わずかに抜けて来るアンナの声を背に、アルバトロスは階のどこかにあるであろう寝室を探し始めた。

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