第30話 香神降臨

 神殿には絨毯が敷かれすっかり膳の用意が整っていた。


「香子様、給仕長のトレミーと申します。膳の配置はこれでよろしいですか?」

「奥に六膳横並びにして後はコ型。六膳に向かって左側に百香と士官を右側に関係者、次に給仕、職員の順でお願い」

「承りました」


 穏やかに頭を下げる給仕長はポイズの後ろで顔を歪めていた人だ。

 皆が席に着いたら奥の六膳の一番左側にシオンを座らせ隣にオメガを抱いた俺が座りその隣には神犬オッドアイ。


「父上、膳の用意が出来ました」


 白緑びゃくろくの肌をした父上が禍々しい気を放ち香守と蜜守を連れて現れる。

 シルバーの短髪をピシッと撫でつけて白い肌に青い目をした香守がオリエンタルの気香を放つ。


「香神様の降臨だ。控えよ!」


 眼に映らぬベールで神殿が封鎖され空間が歪むとざわついていた百香や宮廷職員達の顔も歪む。


「父上。禍々しい気を抑えろ。悪魔か! 皆が死ぬよ」

「愛しき御子よ、久方ぶりじゃのぉ。父に不遜な振舞はいかんぞ。は・は・は」


 父上が笑えば歪んだ空間は一瞬にして清らかな聖域に変る。

 蜜守が寄って来てオメガをポイッと投げた。

 オメガをキャッチした香守が笑う。


「ふふふ。強き童。我の力を授けた甲斐がある。はは。香子様が愛おしいか?」


 オメガが頷いた。頷いたのにポイッと投げたぁ……あきらがキャッチ。


「御子様、可愛らしいお姿ですこと。うふふ」

「御子様、お会いしとうございました」

「蜜守も香守も愛してるよ」


 この二人が側に居てくれた。髪を整えてくれた。一緒に酒を飲み手を繋いで歩けば寂しい事なんて無かった。会いたかった蜜守と香守。

 蜜守に手を伸ばして抱きしめると小翼がパタパタする。


「これ! 我の眷属を独り占めするでない。我が寂しいであろう」

「父上が早く助けてくれなかったから寂しかったのは俺だ!」

「神殿が無くてはなぁー。はっはっは」

「嘘付け! 手抜きだろ。シリウスと愛梨は俺が神の子だって知らなかった!」


 父上が蜜守を見やる。蜜守に行かせたのか!


「それは解せませんわぁー。我はちゃーんと現世を学び香子様が生まれるから大切に育てよと申しつけましたわぁー。おほほほほほ」


 怪しい……原因を究明しなくてはいけない。


「蜜守はいつ、どんな風に言ったの?」


 赤い髪は腰より長く白い肌に赤い目をした蜜守が人差し指を口に当て小首を傾げる。


「黒い小さなTシャツとお尻の半分出る腰パンとやらを穿き、夢枕で『香様が転生するよぉ、尽くせよぉ、神だよぉ、イエー』っと?」


 親指と人差し指、中指を出して蜜守がポージング。


「それを見てシリウスは何て言ったの?」

「『良かった。あははは』と手を叩いて喜んでいましたわぁー」

「蜜守……愛してるよ。父上は何で蜜守に行かせたの?」


 惚けた顔をして酒を飲んでいた父上の眉が上がった。


「現世の戯言は現世の者が解決するのが理。あはっ。御子が香神を祀らなかったのが悪い」

「俺なの? だからニューイヤーも来てくれなかったの? 現世は髪を触っちゃいけないし誰にでも張り付いちゃいけないんだ。香守と蜜守が居ないと寂しくて死ぬ!」


 俺の膨れた頬をオッドアイがペロペロ舐める。


「神犬をあれしたではないか。そんなに拗ねるものでは無いぞ」


 あれってなんだあれって! 自分は神界で眷属二人とのんびりしてるだけだろ!


「ふふふ。香神様は御子様を案じ我慢の限界を超えオッドアイを下界に降ろしたのですよ。あははは……」


 香守が笑い父上がオッドアイの頭を撫でると見た事のある小神に変った。


「あーっ! オッドアイだったのか……なんで言ってくれなかったの!」

「香神様に獣は口を聞いては成らぬと命じられたのよ。それでもコウちゃんのお世話ができるだけで充分幸せだったわ」


 そうだ。銀髪で眼光鋭い女神は声が無いと聞いた。それに下階級の女神は俺に近寄ることは無かった。

 人型オッドアイを抱きしめても獣の香りがする、ふふ。懐かしく温かい獣の香り。俺を見つめていた色違いの眼になんで気付かなかったんだろう。


 父上に『死を妨げる事は業を落とす機会を奪い転生を妨げる』と諭され、何百年か経ってから言葉の意味を理解した。オッドアイは俺の失敗から生まれた小神。


 小翼が盛大にパタパタする。知ってか知らずか蜜守が言う。


「現世の子が弱いのは自業自得。神を忘れた民など好きにさせたらよいのですわぁー。おほほは。アランビックの方が余程マシ」

「そうだね、蜜守。アランビックやドブソニアの方が信仰が篤い」


 香守が言うと蜜守に弾き飛ばされ隅で縮こまっていたシオンが呟く。


「俺達は弱いけど京の事が好きだから居て欲しいんだ」


 蜜守が冷やかな眼でシオンを睨んだ。


「我は蜜人の守護神・蜜守。我が与えし秘薬を持つ者よ、香子様を寂しがらせる不束者が何を言う。京などと呼ぶでない、戯け!」

「違う! 俺は側に居ようとしたよ。遠ざけていたのは京、香子の方だ!」

「様が無い! 弱者を守る為に遠ざけた事も分からぬのか。この大戯け!」


 あらら、シオンの眼がうるうると光る。


「蜜守、シオンを泣かせると言葉が通じなくなるから止めて」


 シオンが流し目で蜜守を刺したぁぁぁ。


「神様と一緒にするな! 人間は弱いんだよ……普段何もしなくても困った時だけ神様を頼るに決まってるだろ! 京、違う! 香子は強いだけで寝癖も直さないしお茶も入れられないしほっといたら飢え死にするけど俺は一緒に居たいんだ!」


 守護神に威張る蜜人に蜜守の赤い眼が燃える。


「香子様にお茶を入れさせるとは何事か! 御子様が人の子に生まれどれ程不便な思いを強いられるか……うふふふ……ピィーピィー泣く赤子で、うふふ……小さくて可愛らしいこと。うふふ」


 蜜守の嗜虐的思考が働いた。蜜守は映し水晶を見ながら笑っていたに違いない。


「我は香人の守護神・香守。我の力を与えし百香よ、なぜ香子様を寂しがらせる?」


 仙香が進み出た。


「知らなかったとはいえ全ては私の不徳と致すところ。申し訳ありませんでした」


「仙香が記憶を封じなければ香子様は寂しい思いをせずに済んだのだぞ。それに付けても百香が香子様に従わぬとは何たる事か。現世の百香は不甲斐無く情けない……」


 香守が仙香を責める……だと思った。


「現世は平和で信仰が薄いから香神の子を信じない。父上のせいでしょ!」


「えぇーーー! 我は御子を愛しておるぞ。民も愛しておるがなぁー。はっはっはっは」


 強神が『えぇー』って言うな! 何でも博愛か! 

 オメガを抱いたあきらが進み出て父上のグラスにワインを注いだ。


「香神様。俺は成長した香子や皆と俺の店で酒を飲むのが夢なんだ。ダメか?」

「控えよ!」


 香守があきらを威嚇してもあきらは動じないで父上の眼を真直ぐ見つめる。

 ぶれない人に父上が笑う。


「は・は・は、大事変はまだ起きておらぬ。御子よ、どうするのじゃ? 友や家臣の百香を見捨て人身を捨て我と帰るか?」


 大事変じゃなかっただとぉー! やっぱりね。

 シリウスの占いはどうなってる?


「蜜守と香守を置いて行ってよ」

「いかん。蜜守と香守は我が眷属じゃ、置いて行ったら我が寂しいであろう。大体千年経ってもお伴を創らぬ御子が悪いのであろう」


 俺なのぉー? 納得はいかないが父上の肌が裏柳になった。

 白緑びゃくろく裏柳うらやなぎ緑青ろくしょう千歳緑ちとせみどり、ハンターグリーンと変わる父上の肌色は機嫌のバロメーター。


 蜜守のフカフカ膝枕で寝る!


*****************************


 煩い。枕が無い。眼を覚ましたらまた宮廷の広間だった。

 あきらの声がデカい。


「国家警察が宮廷まで踏み込んでフォレスト国の侵略を阻止した功労者を逮捕できるとでも思ってるのか!」

「コウが寝てる時に勝手な事されちゃ困るよ。また俺が吹っ飛ばされる」


 プロキオンまで何言ってんだ? あー、警察と見覚えのある人が居る。


「その……重々承知はしておりますが山根真は只の公務員ですから告訴が受理された以上警察としては逮捕せざるを得ません」

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