第4話 疑惑

 土曜日は勉強部屋に引き籠り、日、月曜日は百花二八〇と顔を合わせないように協会内を逃げ回った。

 四日目の火曜日は眼を吊り上げた百花二八〇が朝から勉強部屋に押し入って来た!


「なんでお前は寝室があるのにここで寝るんだ!」


 勉強部屋の本に埋もれて寝ているのはダメか? 服の後ろ襟を掴まれて部屋から撮み出されたぁー。無言で小っちゃいって言わないでよ。

 ダイニングの椅子に座っても百花二八〇は後ろ襟を掴んで放さない。


「毎日逃げられるからな。今日は逃がさねーぞ」


 鬼か! そのまま食事を済ませると歯磨き洗顔も監視されトイレに逃げ込んだのに暫くしたらドアを蹴られた。はぁー。仕方なくトイレを出たらまた後ろ襟を掴まれてリビングのソファーまで連行された。

 やっぱり鬼だぁ。


「食事は一緒だって言っただろ。何で逃げる?」

「怒るから」


 大きな溜息を吐いて髪をクシャクシャするとふんわり蜜の香りが漂う。


「俺は怒ってない。むしろどうしていいのか分からなくて困ってるよ。Cクラスの俺とホントに調香戦にエントリーしてくれるのか? 俺はどぉーしても香師に勝ちたいんだ」

「うん」


 頭を抱えて箱から出られなかったくせにどぉーしても勝ちたいのか?


「有名な百香の虹彩京が無名の俺を誰だか知ってるのか?」

「百花二八〇」

「なんだそれ?」

「蜜香」

「……なんだそれ?」


 同じ台詞を繰り返すんじゃないよ。面倒臭い人だな。

 また「はぁー」っと青息吐息。髪をクシャクシャしてるけどほんのり香るだけで面白くない。せめて掻き揚げてくれればいいのに。


「よく分らないけど。俺は香雨シオン。一五歳で中等部三年、家は南一区。百香の色々な噂は聞いた事があるけど京の顔は初めて見たし小さいけど何歳?」


 自己紹介? 今時しないってタブレットが言ってた。しかも幼子を見るような目で小さいって言った! 確かに大きくないけど。


「一五歳」

「同じ齢じゃないか。昨日も今日も協会にいるけど中等部だろ? 不登校か?」

「教育課程はここで受けた」


 その話しは必要なの? これが日常会話ってやつか?


「協会って教育課程も受けられるのか? でも俺は南一中等部に通っていて友達にも会いたいしもうすぐ卒業式だから学校に行かなきゃならない」


 そりゃ義務教育ですものねぇ。行かなきゃならないのは知ってるよ。


「どうぞ」

「行っていいのか? ってゆうか京は単語しか喋れないのか?」


 もぉー、俺が監禁してるみたいじゃないか。勘違いが甚だしい。


「ペア登録したからって俺は百花二八〇を拘束しないし何かを強制したりしない」

「だから百花二八〇ってなんだよ! 俺はシオンだよ!」


 百香様に怒ったぁぁぁ。変人枠の人だ。


「シオンの危険を回避しようとしただけ」

「そうか。南一中等部は協会から近いぞ。気を付けるから、早く帰って来るから、大丈夫だから。行こ!」


 南一中等部は規範文法を教えないのか? 言葉が不自由なのはシオンだ。

 シオンは部屋に走り自宅から山根が持って来たカバンを抱えて戻ると笑った。


「行ってきます」

「うん」

「うん、じゃなくて行ってらっしゃいだ!」

「行ってらっしゃい」


 一々煩い。鼻唄交りに走って出て行くほど学校って良い所なのか?


 二月の末になり少し日が延びた。窓枠に腰かけてビルの隙間から夕焼けを見ていたら百花二八〇がまだ帰ってない事に気が付いてしまった……シオンだった。

 薄暗がりで震える手が脳裏を過る。『……精々守護するんだなぁ』か。


 『行って来ます』と言った時の嬉しそうな顔は良かった。眼を細め少し目尻の下がった笑顔をまた見たい。


 早速、事務局で山根を捉まえてごねる。


「車出して」

「京君が珍しい事を言いますねぇ? 外出許可を取らないといけませんよ」

「シオンが帰って来ないから車を出してくれないと脱走する!」

「おや? 名前を呼びましたね。ふふふ。そうゆう事なら仕方ありませんね」


 山根は振返ると他の職員に「備品を買って来ます」と声を掛け、小声で「駐車場にある白いワゴン車で待っていて下さい」とスマートキーをくれた。


 俺が香人協会を出る姿が残らないように出入り口の監視カメラを気香でフリーズさせる。駐車場のカメラもドライブレコーダーもフリーズさせて白いワゴン車の後部座席に乗り込んで隠れた。

 山根は何食わぬ顔で運転席のドアを開けるとさっと乗り込みシートベルトを締めてアクセルを踏む。


「京君、もういいですよ」

「監視カメラは止めましたぁー。はは」

「悪知恵が働きますねぇ。ふふ。用心するに越した事はないですがね。シオン君が通う南一中等部までゆっくり走りますから京君は左側を見ていて下さい」

「うん」


 眼を皿のようにして見ていたけどシオンの姿はなく校門から中を覗いても生徒がちらほらいるだけでそれらしい人は居なかった。


「行き違いになったかも。ゴメン」

「京君のお願いは滅多に聞けませんからいいですよ。シオン君は文武両道で優秀ですから心配ないでしょ」


 あれが文武両道? 電子レンジが使えるって事? 

 車をUターンさせる為に学校の裏手に回ると隣接した神社の境内に妙な人影が見えて車を止めさせた。


「出てはいけません。私が……」


 山根の声を無視して車から飛び出すと境内で数人の男に囲まれているシオンを見つけた。


「シオン!」


 木立に囲まれた境内はそこだけ暗く暗順応が出来ないシオンは見えないのか返事もなく半身に構えた姿勢を崩さないでいる。

 綺麗な構え。ふふ、来た来たぁー!


 勢いを付けて向かって来る人を小柄な俺が投げ飛ばすのは大きな相手の力も利用してタイミング良く流して曳き倒し止めに突く。はは、楽しい。


 倒したグルマンは気香量六五。もう一人のグルマン五八が繰り出した蹴りを払いお返しに飛び蹴り! ほら来い! 投げ飛ばしたパウダリーは五六、弱いー。   あっ、スパイシーと蜜人が逃げる。


「追ってはいけません!」

「はい」


 山根に怒鳴られた……。

 山根は散らばったバッグの中身を拾い集めしゃがみ込んだシオンを支えて車に押し込みとキュッとタイヤを鳴らして発進した。


「問題にならないように京君は協会に送りますのでこっそり部屋に帰って下さい。私が見つけたという事にしてシオン君は病院に連れて行きます」

「うん」


 すっかり日が落ち暗い後部座席でシオンは俯き両手で顔を覆っていた。



 昨夜は部屋に籠り、今朝、目を腫らしていたシオンは山根と一緒に病院に出かけ夕方になっても帰らず。夕食の宅配弁当は一つしか届かなかった。

 何となく二〇時まで待ったが山根からは何の連絡もない。


 もう帰ってこないかも? 名前で呼ぶ必要も無かったか。

 臨時理事会があるから夕食をすませないと……。


 ミーティングルームの前でスパイシーが香った。こっちはいい根性してる。

 二一時からの臨時理事会にわらわらと理事が集まりオゾン二六〇が立ち上がる。


「臨時理事会は俺が招集した。昨日、香雨シオンが何者かに暴行された現場に外出許可無の百香様がいたと報告を受けたからだ。百香様に事態を説明して貰おうか」


 ニヤニヤして俺の落度がそんなに嬉しいか! 

 大体、皆は俺を怖がって必要以上に関わらないのに事あるごとに絡んでくるのは何でなの?


「何の事?」

「証人がいるんだから惚けるなよ」


 部屋の隅に置かれた白いパーテーションを指差して小賢しいオゾン二六〇が笑う。ゲストの証人は暴行犯だろーが!


「西三区のスパイシー一二四。そんな所に隠れて俺に何か用?」

「えっ、違う……俺は違う……ます」


 こんな狭い空間でそこに誰が居るのか俺に分からないとでも思ってるのか、阿呆。同じスパイシーでも人によって微妙に香りは違う。俺の鼻は誤魔化せない。

 オゾン二六〇に言う。


「スパイシー一二四が違うって」

「ふざけるな! 証人は見たんだよな」


 やっとニヤニヤしなくなったと思ったら今度はチェーンをジャラジャラ鳴らしてパーテーションに向かって怒か?


「いや、あの……」


 口籠る弱気な証人に気香を這わせ一気に畳み掛ける。


「勘違いか? スパイシー一二四、矢田柚木。名前を覚えたよ。矢田柚木」

「済みません! 勘違いです」


 ガチガチと歯を鳴らして震える声で靡くスパイシー一二四にオゾン二六〇が小声で「勝手な事してざまーねーな」と呟いた。


 なにそれ? 指示してない? 

 それどころかわざと俺と対峙させたんじゃないの? 


「どうやら証人の勘違いのようなので香師君も納得したでしょ。こう頻繁に臨時理事会を招集されては対応しかねますから緊急事態以外は定例会でお願いしますよ。閉会!」


 トラブル嫌いのグルマン一五〇が無理やり閉会した。たまには役に立つ。

 


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