第3話 栞の人
ミーティングルームに入るとあきらが修一の手を両手の親指でふにふにしていた。時折見かけるこのツボ押しのような仕草になんの意味があるのかは不明。
シオンと二人で入り口近くの席に着くとふにふにを止めてあきらと修一がやって来る。俺の事が大好きなあきらはデカいのにフットワークがいい。
「京にもやっとハニーができたな。まさかシオンとカップリングするとは思わなかったけどこれを巡り合わせってゆうのかもなぁ。久しぶりだな、シオン」
「あきらさん、修一さん、ご無沙汰してます」
知り合い? あきらも修一も小さな子でも見るような優しい顔で百花二八〇を見てる。修一が口を開く。
「ヘーベの容態はどう?」
「変わりません」
「そう」
寂しそうに眼を伏せた修一の肩に手を掛けてあきらが言う。
「変わらないなら希望があるって事だよ。シオン、京は強いから目一杯頼っていいぞ。はははは」
「あっ……はい」
ネームバリューは百香とペアで十分でしょ。目一杯頼るってなに? あきらに問う。
「今度はなんの集まり?」
「香師の目的はお前のハニーだろ? めんどくせー奴だよなぁ。しっかりやれよ。ダーリン」
あきらが席に戻ると〝ジャラジャラ……〟と耳障りな音と共にオゾン二六〇とハーブ六〇が入室した。
理事長席横のキング特等席には向かわずに俺の前で立止る。
「百香様、カップリングおめでとう」
「有難う」
「今年の調香戦はさぞや楽しませてくれるだろうから今からウキウキするなー。シングルじゃ出られないけどな。精々守護するんだなぁ」
百香の出場が本当に嬉しそうなのは馬鹿だからか? ハニーを潰して調香戦に出られなくする作戦なら実にくだらない。
横に座る百花二八〇に向かってニヤニヤとオゾン二六〇が喋る。
「よー、何て名前だっけ? 百香様とカップリングとは兄弟そろって物好きだよな。兄ちゃんと一緒にお前も寝てた方がいいんじゃねーの」
オゾン二六〇にべーーーっと舌を出されて眼を吊り上げた百花二八〇が立ち上がると椅子が勢いよく後ろに倒れ〝ガランッ〟と大きな音が響いた。
眠るヘーベの弟か。
兄弟揃って百香の守護を受けるから巡り合わせってことねぇ。
それにしてもここで挑発に乗るのは子供っぽい。オゾン二六〇に掴み掛かりそうな百花二八〇の腕を掴んで制止した。
「おぃおぃ、百香さまー。ハニー教育ができてないねぇ。俺が教えてやろうか?」
鬱陶しい! 適当にあしらってこの場は早くお暇しよぅ。
「突然のミーティングは蜜人教育の見直しについてか? グルマン一五〇、オゾン二六〇が蜜人の教育指導するそうだから早急に立案したらどう?」
「そうだね。そろそろ見直してもいい時期だから香師君はこっちで詳しく説明してくれたまえ。緊急理事会の必要はないでしょうけどねぇ。はは……」
俺に無茶振りされてもトラブル回避の為にグルマン一五〇は上手くその場を纏める。
更にあきらが拍手を促し室内がキングを讃える音で満たされると調子よくニヤニヤとオゾン二六〇が笑う。
この機を逃すことなくさっさと百花二八〇を連れ部屋を出て事務局に急ぐ。
職員が出払って新人の田中しかいないじゃないかぁ。
「田中、調香戦まで協会内に一部屋用意して」
「協会の仕事でない宿泊は自己負担になると思いますから理事会が終わるのを待って山根さんに聞いた方がいいですよ」
山根におんぶに抱っこ。ちょっとは仕事しろ。
国の人口一億人の〇.一%しかいない香蜜人でも合わせて十万人はいるんだよ。
「俺が引っ越すわけじゃないからグルマンの許可は要らないよ」
ほら、マニュアルがあるじゃないか。ペラペラとファイルを捲って田中が言う。
「京さんと同程度のお部屋だと約一ヵ月で二百万リーフは掛かりますけどお支払方法はどうしますか?」
使う予定もなく百香というだけで助成金やら支度金やらの名目で勝手に増える俺の預金は一〇桁だった。俺が死ねば国庫に帰属するだけぇ。
「俺の預金から引き出してすぐに手配して」
「ちょっと待てよ、俺の部屋なのか? 二百万リーフも払って貰えないし両親に相談もしないで決められないよ」
田中が手配しようとすると横で百花二八〇が掴んだ手を振り払い口を挟んだ。
「あっ!」
「あっ! ってなんだ? 俺の事は忘れてたのか? 少しは説明しろよ」
「慣れてない」
「なにが?」
確か蜜人と一緒に居る時は会話をしたり冗談を言ったりして和やかな雰囲気作りを心がけると学習した。それに普通の未成年者は親の許可が必要。
「ぷふっ!」っと笑いを堪え噴き出した声がして振返ると事務局の入り口で山根が口に手を当て肩を震わせていた。
「済みません京君。二百万リーフは大金ですよ」
百花二八〇をみるとブンブンと頷く。
調香戦までここに居るのが一番安全なのに二百万リーフの方が大事なの?
「四LDKの京君のお部屋に泊めて差し上げたら無料ですよ。必要品も事務局で準備できますがいかがですか? 私がご家族に事情を説明してシオン君のお荷物も預かって来ますよ」
山根の薄ら笑いは何だ?
俺の部屋に泊める? 一ヵ月も? 突然怒る人を?
百花二八〇が眉間に皺を寄せた。
「四LDK? 虹彩京って家族でここに住んでるのか?」
フルネームの必要性は? また、怒ってないか? 気が遠くなって寝てしまいそうだ。楽しそうにクスクス笑っている山根が恨めしい。
返答しないでいたら山根がシオンに言う。
「京君は会議慣れをしていますから理事会で何か起こっても上手に対処できますけどずっと協会に居ますから初めての事が多いのですよ。宜しくお願いしますね、シオン君」
「特別ってそういう事ですか?」
「それだけじゃありませんがカップリングされたのですからお二人でいろいろ話されたらいかがですか? 京君、泊めて差し上げますよね」
「う……ん」
山根は部屋まで付添い使っていなかった一室を片付けベッドメイクを済ませてから風呂やキッチンの使い方の説明を始めた。見ている必要もないか?
勉強部屋と称した大量の書籍が積まれた部屋に籠る。
この部屋を山根が片付けてくれると必要な本がどこにあるのか分からなくなって困るから『触らないで』と言ったらあっという間に歩くのが困難な状況に陥った。
が、地震でも起きない限りはどこに何があるのかは把握できている。
電子書籍も便利だけどタブレット一つしかないしぃ。沢山広げて同時に見るのはやっぱり本でしょ。栞を挟むのも好き。ふふふ。何より本に埋もれると安心する。
あった! 一年前、突然訪ねてきた百香・慈愛に預かったメモ。書かれた蜜香の羅列を眺めて栞に使うのを止め書棚の引出しに仕舞う。
自分は常人と言いながら時々ラベンダー蜜香を振りまく山根と違ってシオンは鼻を付けないと香らないから同じ部屋に居ても気にならない……読みかけの本を読む。
どの位時間が経ったのか〝コンコン〟とドアをノックする音がした。
「京、食事が届いてるけど食べないのか?」
百花二八〇が居るのを忘れてた。読みかけの本を持ってドアを開けると間仕切りのカウンター越しに見えるダイニングテーブルに二つ食事の膳が並んでいた。
おーっ! 百花二八〇は電子レンジが使えるのかぁ。テーブルに着いて何時もの宅配弁当の蓋を開けると湯気が立った。
弁当を少し右にずらして左側に置いた本を読みながら右手に持ったフォークで刺さった物を口に入れる。
おい、消費者トラブル解決に奔走する若い弁護士、取説の指示警告上の欠陥を指摘したまでは良かった。如何に被害者の事故と因果関係があるかをもっと……
「京、行儀が悪いから本を閉じろよ。食事も冷めるからさっさと食べろ」
また、百花二八〇が居ることを忘れてしまった……少し怒ってる?
読んでいた本を閉じ食事を続ける。
「こんな広い部屋にいつから一人で暮らしているんだ? 家族は?」
「ここは九年。家族は知らない」
「家族を知らないでここに九年! ここ以外もあるのか?」
「指導者の所に四年くらいと他の所に少し」
「十三年以上じゃないか……」
百花二八〇の眼が丸く大きくなったかと思うと細くなって潤み口をぎゅっと結んでスッキリキリットした切れ長に戻った。何を考えるとそうなるの?
「こんなに広い部屋でいつも一人で何してる? 洗濯や掃除は自分でするのか? 風呂や食事は何時だ?」
早口で詰問?
「本を読んでるかトレーニングをしてる。洗濯はクリーニング、掃除は山根がする。風呂はシャワーしか使わない。食事は朝晩六時半で昼は一二時に届く」
「それなら風呂は適当に入るけど食事は届いたら一緒に食べるぞ。いいな」
「なんか怒ってる?」
「いや、怒ってない」
命令口調で笑わないし絶対怒ってるでしょ。人が怒った時の対処法は謝るか時間をおくか距離をおくか原因を解決するかだったかなぁ。
常時怒ってる人はどうするの? 逃げるか!
「まだ聞きたい事があるから片付け終わるまでリビングで……」
聞こえない! 食卓まで持ってきた本を抱えて勉強部屋に逃げる。
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