序章 ~09~

 馬車から降ろされたのは庭先だった。屋敷というからには、と想像した通り、中庭のような場所は広大で、色々な花が咲き乱れていた。

 シャルルはずんずんと大股に庭を横切り、マーテットも続く。仕方なく亜子もそれに倣った。

 護衛の兵士がいないことに、亜子は不思議そうにする。昨日のデライエという人物は今日はいないのだろうか?

 迷いのない足取りで進むシャルルは、ふいに思い出したように方向転換をした。庭の奥にあるあずま屋は美しい薔薇で彩られ、まるで恋人たちが語らうのを待っているかのようだった。

 綺麗な作りのその場所へ向かうシャルルを見遣り、不似合いさに不思議になる。彼が誰かに愛想を良くし、愛を語らうシーンなど、まったく想像できなかったからだ。

 シャルルはあずま屋に入ると、掃除の行き届いているのを確かめてから長椅子に腰をおろした。

「座れ」

 ぞんざいに二人に命令をしてくる。マーテットはあっさりとシャルルの向かい側に腰掛けた。どうしようか迷い、亜子はマーテットの横に座る。いくらなんでも王子様の横に座るのはたぶん……失礼だと思う。

 彼はまずはマーテットを見た。

「では昨日の続きだ。トリッパーについて知っていることを話せ」

「こんな、誰が聞いていてもおかしくない場所でっスかぁ?」

 おちゃらけた様子で笑うマーテットにシャルルは不敵そうに笑う。

「どこで話しても同じだ。邸内にも、耳ざとい連中は多い」

「まぁ、そうっスね」

「アスラーダ、余は待たされるのは嫌いだ」

 ぎくっとしたようにマーテットは動きを止める。

「……ほんと、困った御人だなぁ……。じゃあどこから?」

「……アガットのようなトリッパーは多いのか?」

「記憶障害や、肉体変化ですか? まあ、十割十分、そうっスね。

 でも、精神障害に同一の症例は多かったように記憶してっけど、肉体変化が一致してるトリッパーはいないはずっスよ?」

「なぜそう言いきれる?」

「まあそれは企業秘密なんでね……。医者をやってると、トリッパーの遺骸も多く診るし」

「い、いがい……?」

 思わず呟いてしまった亜子のほうをマーテットが見てくる。

「ああそっか。アトは知らねーのか。トリッパーの知識を狙う傭兵集団もいるし、トリッパーは狙われることが多いんだぜ?」

「で、でもあたしは、記憶が曖昧だし……ただの高校生なんです!」

「コーコーセイってのがなにかは知らないが、連中には関係ねーだろーな。ひでぇ拷問をして、色々吐かせる『咎人とがびとの楽園』なんかが、傭兵ギルドでは有名だしなぁ」

 拷問?

 亜子が真っ青になるのを見ても、シャルルは声もかけてくれない。

「寿命で死ぬのは、中央都庁で働いてる連中くらいじゃねーのかね。でもアトは記憶が足りないし、特技もなさそうだからあそこで働くのは無理だろうなぁ」

「と、特技がない人はどうするの?」

「だいたいは地学者になるなぁ。遺跡を回って、調査して報告書を提出すれば、帝国が賃金をくれるし。安全な職といえば、それだな」

 地学者……。亜子は冊子を開いて確認する。

 遺跡を探査する者。簡略的な説明しか載っていない。

「あ、あのっ、地学者っていうのは具体的になにをするんですか?」

「さあ? 遺跡の調査がほとんどだって聞くけど……噂によればトリッパーは帰り道を探して地学者になるって聞くぜ?」

 帰り道?

 その言葉を頭の中で繰り返す亜子は、ああそうか、と納得した。その発想が自分になかったのは……自分が遺跡に出現しなかったからだ。もし遺跡に出現していたら、その遺跡に真っ先に行こうと考えるはず。

(地学者……あたしの世界への帰り道があるかもしれない『遺跡』)

 そういえば昨日の女医の説明にもそんな内容があった。

 示された一本道が、確かなものへと変わる。そんな感触がしたが――――。

「やめておけ」

 シャルルの言葉で思考が中断された。

 彼は青緑色の美しい瞳でこちらを凝視ぎょうししている。

「トリッパーでいまだ誰一人、元の世界に戻った者はいない。はかない望みだ」

「まあその通りだけど、それでも故郷に戻りたいって願うのはしょうがないんじゃないっスか?」

「……そうだな」

 椅子に深く座り込むようにしたシャルルは昨日とは衣服が違う。だが今日もそれなりに華美な格好だ。似合っているので文句は言えないが、かなり目立つ。

(王子様だから、しょうがないのかな)

 不思議になるが、こちらの世界のことだからよくわからない。亜子は面倒なことは考えるのを放棄しようと考えた。どうせまだ知らないことだらけだ。この二人が親切にすべてを教えてくれるとは思えないので、今は深く考えるだけ疲労するに違いない。

「それで、アスラーダ。アガットのような肉体変化の者はいないと言ったな?」

「あい? あぁ、そうっスね。知ってる限りじゃ、いないっスね」

「アガットの肉体変化はどのようなものなのだ?」

「本人に訊くのが一番、と言いたいところだけどー……まだ自覚症状はないし、自覚したくない時期だろうなぁ」

 後頭部をくマーテットの言葉に亜子は激しくうなずいた。

 まだわからない。自分が「なに」に成ってしまったのか。

 シャルルは少し考えていたようだが、今度は亜子に目を向けた。

「記憶が曖昧になってしまったと聞いたが、まことか?」

「……はい」

「憶えていることで、話せることはあるか? 余は異界に詳しくない。話せ」

 話せと言われても……。

 だがこれはいい機会だ。自分がどこまで「憶えている」か、試すいい機会だろう。

 亜子は神妙に頷いた。

「あたしは、地球の、日本という国に住んでいました。住んでいたところは……すみません、これは思い出せません」

「チキュウのニホン?」

「はい。あ、地球っていうのは惑星の名前なんです。惑星の大陸の一つの島国の名前が日本といいます」

 ぽかんと口を開けているシャルルとマーテットに、亜子は不安そうな目を向ける。

「あ、あの……?」

「ワクセイとはなんだ?」

 険しい表情で言うシャルルに亜子は驚いた。どう説明しようかと困惑していると、マーテットがぐっと近づいてくる。

「すっげー! もっともっと!」

「え、ええっと、惑星っていうのは……あの、空の太陽とか月とかと同じで、丸い星のことです」

「はあ?」

 二人の声が見事にハモった。亜子は自分の、少ない知識を総動員して、なんとか説明する。

「たぶんなんですけど、ここも同じように丸い星なんだと思います」

「……丸いのに、なぜ大地が平坦なのだ?」

「それは、星そのものがとても大きいから住んでいる人たちにはわからないんです。宇宙……って、あたしたちの世界では言ってます。つまり、えっと、月みたいなところからこの星を見下ろせばはっきりすると思いますけど」

「月に!? ど、どーゆー世界なんだ、異界ってのは……」

 マーテットは頭の上に疑問符を浮かべている。

「月には、シャトル……ロケットとも言うかな。それでいきます。と言っても、訓練された人しか行けませんし、宇宙ロケットを作るにはすごくお金がかかるので、たくさんは作れません」

「あー、もしかしてクルマと同じ類いの機械?」

 マーテットが少し困ったように尋ねてくるが、亜子は首を振った。

「車とは全然違います。すごく大きいですし、かかる費用や燃料も違うので……」

「……殿下ぁ、異界の人間はあの空に浮かぶ月にまで行くんですってー」

「違いないか、アガット」

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