序章 ~06~
*
馬車が着いて降ろされた先には広大な庭が広がっていた。そして巨大な門。門の上の壁にはなにか文字が書いてあるが、読めない。それもそうか。ここは日本ではないのだ。
シャルルが、亜子の手を軽くとって歩き出した。
「こちらだ、来い」
「でっ、殿下!」
背後でデライエの焦る声音が聞こえたが、シャルルは無視をして門を
学院と言われるだけあってかなり大きな建物だ。それに夜だからかなり静まり返っている。ところどころ、部屋に
「正面から行くよりも、早いからな」
楽しそうに言うシャルルは建物の前に立つと、背後のデライエに命じた。
「さあ、あやつのところまで案内せよ、デライエ」
「…………」
渋面を浮かべるデライエは仕方なくドアを開けた。特殊な鍵でも必要かと思ったが、あっさり開いたので亜子のほうが驚く。
いや、それとも……彼はなにかしたのだろうか?
この世界には「魔法」が存在するようだ。つまりは、ファンタジーの世界なのだろう。
(ふぁ、ファンタジーとか、本気でありえない……)
眉を吊り上げながら軽く息を吐く亜子は、ぴくりと小さく反応した。
地下だろうか? なにか、大きな音がしている。いや、亜子にだけ大きく聞こえているのだ!
(あたし、耳がどうにかなっちゃったの……?)
恐れながらシャルルに手を引かれて歩く。長い廊下が待っていた。
静まり返っている廊下の先を歩くのはデライエだ。手に持っているのはランプのようだが、なんだか不思議な形をしている。
(なんか変な世界……中世のヨーロッパっぽいけど雰囲気は)
小さな灯りだというのに、デライエの足取りには迷いがない。それは、ここの道に慣れているということだろう。
数人の足音だけが不気味に響く。反響するのが亜子にはうるさいと感じてしまうほどに。
(やっぱり……なんか、おかしい……)
息苦しさのようなものを覚えていると、デライエがある場所で立ち止まった。ドアがあるが、そこには「立入禁止」と書いた札がさがっている。
札をどけて、デライエは先に進んだ。そこは地下に繋がっている階段のようで、暗くて先がまったく見えない。見えないはずなのに。
(…………見える)
亜子は何度か
デライエが持っているランプが邪魔だと思えるほど、暗闇のほうが好ましい。だって見えているのだから。
明らかに自分自身に何か異変が起こっている。……このことは、隠さなければ。
階段を降りていくと、その先は広間のようなものがあって、一つだけドアがある。そこにも「立入禁止」の札があった。だが。
「マーテット! 殿下がお越しだ!」
乱暴にノックをしたデライエが、ドアをいきなり蹴破る。
突然の乱暴な訪問に、室内に居たらしき人物は驚くこともなく、奥の机に向けていた
「嘘言って邪魔しようなんてするなよ、オッスの旦那ぁ」
「オッスではない! 少佐だ! それに、嘘でもない」
「はあ? なんで皇子殿下がこんなとこに来るんだよぉ? 意味わか……」
と、こちらに気づいて青年がぎょっとしたように目を
白衣を着ている青年は、その下はデライエと同じ軍服だ。
「ええええ~!? なんでここに第二皇子殿下来てんの? なにやってんだよぉ、オッスの旦那はぁ!」
ゴン! と、痛い音がした。デライエが青年の頭を殴ったのだ。
「口を
「良い良い。では話はこやつとするので、デライエは外で待っておれ」
シャルルが平然とまたも無茶なことを言い出したので、デライエが困ったように眉根を寄せた。
しかしシャルルは、彼の表情を無視して続けた。
「人払いをせよと命じておる。早くゆけ」
厳しい一言に、苦渋の色を
丸眼鏡をかけた彼は糸目で、そうしているとまるで害がなさそうにみえる。髪はぼさぼさで、シャルルと比べるとどうしても見劣りのする外見だ。
「おやおや。厳しい御方だなぁ」
「フン。皇族に礼儀もないやつに言われたくはないな」
「うわっと、そ、そうでしたね」
困ったように後頭部を
「マーテット=アスラーダだな? ヤト唯一の軍医」
「ご存知とは、光栄至極」
かしこまったように頭をさげる青年は、目的のマーテットだという。
(この人が、あたしのことを色々教えてくれるの? でも軍医だって……)
疑問符を頭の上に乱舞させている亜子を放置し、シャルルはすすめられた椅子にどっかりと座った。亜子もマーテットも座ることは許されていないので、突っ立っているしかない。
「慣れない丁寧語は使わずとも良い。不気味に思える」
「そ、そうは言われましてもねぇ~……」
「おまえ、トリッパーに詳しいのだろ?」
「いや……専門家じゃないんで」
ぶんぶん、と右手を左右に振るマーテットは心底迷惑そうだった。どうやら彼は表情にかなり感情が出るようだ。
(お医者さんには見えないなぁ、とてもじゃないけど)
白衣はよれよれだし、彼自身も医者と名乗っているような雰囲気ではない。どちらかというと……。
部屋を見回し、気づく。そうだ。彼は「研究者」に近い。
「トリッパー?」
「そうだ」
シャルルが即答したものだから、マーテットはぽかんと口を開け、こちらを指差してくる。
「マジ……?」
どう反応すればいいのかわからずに困惑していると、マーテットは近寄ってこようとする。それを
「意地の悪い殿下だなぁ~」
「近寄るな。余のものだ」
「トリッパーは希少種。しかもこれほど完全に人間に見えるのは珍しい! なあ!」
突然マーテットはこちらに輝くような笑顔を向けた。好きにはなれない笑顔だ。明らかに獲物を狙うような瞳をしている。
「おれっちの実験体にならねーか?」
(……ちょ、ちょっとなにそれ……)
シャルルの言った「悪癖」が露骨に出ているではないか。
「お断りします」
亜子がむすっとして
「言葉もきちんと喋ってる! 殿下! ここに連れてきたのはおれっちに研究させてくれるためなんだろ? なあなあ」
馴れ馴れしい言葉遣いになってしまうほど、興奮しているということだ。マーテットは亜子を凝視し、上から下まで眺める。恥ずかしくて亜子は少し肩をすくめた。
剣をおさめないシャルルのせいで、マーテットは亜子に近づくことができない。
「名前は? おじょーさん」
「え……?」
「アガットだ。アガット=コナー」
シャルルが先に答えてしまったので、亜子は口を
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