序章 ~06~



 馬車が着いて降ろされた先には広大な庭が広がっていた。そして巨大な門。門の上の壁にはなにか文字が書いてあるが、読めない。それもそうか。ここは日本ではないのだ。

 シャルルが、亜子の手を軽くとって歩き出した。

「こちらだ、来い」

「でっ、殿下!」

 背後でデライエの焦る声音が聞こえたが、シャルルは無視をして門を迂回うかいして右手の建物に向かった。

 学院と言われるだけあってかなり大きな建物だ。それに夜だからかなり静まり返っている。ところどころ、部屋にあかりがあるのは見えるが、残っている生徒か教師でもいるのだろう。

「正面から行くよりも、早いからな」

 楽しそうに言うシャルルは建物の前に立つと、背後のデライエに命じた。

「さあ、あやつのところまで案内せよ、デライエ」

「…………」

 渋面を浮かべるデライエは仕方なくドアを開けた。特殊な鍵でも必要かと思ったが、あっさり開いたので亜子のほうが驚く。

 いや、それとも……彼はなにかしたのだろうか?

 この世界には「魔法」が存在するようだ。つまりは、ファンタジーの世界なのだろう。

(ふぁ、ファンタジーとか、本気でありえない……)

 眉を吊り上げながら軽く息を吐く亜子は、ぴくりと小さく反応した。

 地下だろうか? なにか、大きな音がしている。いや、亜子にだけのだ!

(あたし、耳がどうにかなっちゃったの……?)

 恐れながらシャルルに手を引かれて歩く。長い廊下が待っていた。

 静まり返っている廊下の先を歩くのはデライエだ。手に持っているのはランプのようだが、なんだか不思議な形をしている。

(なんか変な世界……中世のヨーロッパっぽいけど雰囲気は)

 小さな灯りだというのに、デライエの足取りには迷いがない。それは、ここの道に慣れているということだろう。

 数人の足音だけが不気味に響く。反響するのが亜子にはうるさいと感じてしまうほどに。

(やっぱり……なんか、おかしい……)

 息苦しさのようなものを覚えていると、デライエがある場所で立ち止まった。ドアがあるが、そこには「立入禁止」と書いた札がさがっている。

 札をどけて、デライエは先に進んだ。そこは地下に繋がっている階段のようで、暗くて先がまったく見えない。見えないはずなのに。

(…………

 亜子は何度かまばたきを繰り返した。

 デライエが持っているランプが邪魔だと思えるほど、暗闇のほうが好ましい。だってのだから。

 明らかに自分自身に何か異変が起こっている。……このことは、隠さなければ。

 階段を降りていくと、その先は広間のようなものがあって、一つだけドアがある。そこにも「立入禁止」の札があった。だが。

「マーテット! 殿下がお越しだ!」

 乱暴にノックをしたデライエが、ドアをいきなり蹴破る。

 突然の乱暴な訪問に、室内に居たらしき人物は驚くこともなく、奥の机に向けていた身体からだを椅子ごとこちらに反転させて目を細めた。

「嘘言って邪魔しようなんてするなよ、オッスの旦那ぁ」

「オッスではない! 少佐だ! それに、嘘でもない」

「はあ? なんで皇子殿下がこんなとこに来るんだよぉ? 意味わか……」

 と、こちらに気づいて青年がぎょっとしたように目をみはる。やたらと目の細い、見る人が見れば、姑息なイメージを受ける男だ。年齢はまだ二十代の前半だろう。

 白衣を着ている青年は、その下はデライエと同じ軍服だ。

「ええええ~!? なんでここに第二皇子殿下来てんの? なにやってんだよぉ、オッスの旦那はぁ!」

 ゴン! と、痛い音がした。デライエが青年の頭を殴ったのだ。

「口をつつしめ」

「良い良い。では話はこやつとするので、デライエは外で待っておれ」

 シャルルが平然とまたも無茶なことを言い出したので、デライエが困ったように眉根を寄せた。

 しかしシャルルは、彼の表情を無視して続けた。

「人払いをせよと命じておる。早くゆけ」

 厳しい一言に、苦渋の色をにじませて「御意」と呟き、デライエは護衛兵を連れて部屋を去った。残されたのは亜子と、シャルル、そして得体の知れない青年だ。

 丸眼鏡をかけた彼は糸目で、そうしているとまるで害がなさそうにみえる。髪はぼさぼさで、シャルルと比べるとどうしても見劣りのする外見だ。

「おやおや。厳しい御方だなぁ」

「フン。皇族に礼儀もないやつに言われたくはないな」

「うわっと、そ、そうでしたね」

 困ったように後頭部をく青年は椅子から立ち上がった。背がかなり高い。

「マーテット=アスラーダだな? ヤト唯一の軍医」

「ご存知とは、光栄至極」

 かしこまったように頭をさげる青年は、目的のマーテットだという。

(この人が、あたしのことを色々教えてくれるの? でも軍医だって……)

 疑問符を頭の上に乱舞させている亜子を放置し、シャルルはすすめられた椅子にどっかりと座った。亜子もマーテットも座ることは許されていないので、突っ立っているしかない。

「慣れない丁寧語は使わずとも良い。不気味に思える」

「そ、そうは言われましてもねぇ~……」

「おまえ、トリッパーに詳しいのだろ?」

「いや……専門家じゃないんで」

 ぶんぶん、と右手を左右に振るマーテットは心底迷惑そうだった。どうやら彼は表情にかなり感情が出るようだ。

(お医者さんには見えないなぁ、とてもじゃないけど)

 白衣はよれよれだし、彼自身も医者と名乗っているような雰囲気ではない。どちらかというと……。

 部屋を見回し、気づく。そうだ。彼は「研究者」に近い。

 手枷てかせをしたままの亜子に気づいたマーテットは眼鏡を押し上げる。

「トリッパー?」

「そうだ」

 シャルルが即答したものだから、マーテットはぽかんと口を開け、こちらを指差してくる。

「マジ……?」

 どう反応すればいいのかわからずに困惑していると、マーテットは近寄ってこようとする。それをさえぎったのは、シャルルの腰に下げられていた飾りのような美しい装飾をした剣の鞘だった。

 はばむようになんでもない動作で差し出された剣に、マーテットはすぐさま動きを止める。そして苦笑した。

「意地の悪い殿下だなぁ~」

「近寄るな。余のものだ」

「トリッパーは希少種。しかもこれほど完全に人間に見えるのは珍しい! なあ!」

 突然マーテットはこちらに輝くような笑顔を向けた。好きにはなれない笑顔だ。明らかに獲物を狙うような瞳をしている。

「おれっちの実験体にならねーか?」

(……ちょ、ちょっとなにそれ……)

 シャルルの言った「悪癖」が露骨に出ているではないか。

「お断りします」

 亜子がむすっとしてこたえると、マーテットはますます喜んだ。

「言葉もきちんと喋ってる! 殿下! ここに連れてきたのはおれっちに研究させてくれるためなんだろ? なあなあ」

 馴れ馴れしい言葉遣いになってしまうほど、興奮しているということだ。マーテットは亜子を凝視し、上から下まで眺める。恥ずかしくて亜子は少し肩をすくめた。

 剣をおさめないシャルルのせいで、マーテットは亜子に近づくことができない。

「名前は? おじょーさん」

「え……?」

「アガットだ。アガット=コナー」

 シャルルが先に答えてしまったので、亜子は口をつぐむしかない。そういえば、トリッパーは身を守るためにも元の世界の名前を名乗ってはいけないのだ。忘れていた。

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